11期その1

11期1







「…兄さん、次はいつ帰ってくるの?」

たわいもない世間話が途切れた後、電話の向こうの弟は、少しだけ言葉を選んで、早口で訊ねた。

「ん、そうだな…」

緊張の混じったその声に、ロイは心の中で息を吐く。
申し訳ないとは思う。
高校を卒業し、家を出てもう数年。年に数回しか帰って来ない兄を、弟が心配していることは知っていた。
義理の弟である龍斗は、ロイに懐いている。
幼いころからずっと。龍斗はロイを本当の兄のように慕っていた。実際、本当の兄だと思っていたのだろう。3つ年下のこの弟は、いつもキラキラ輝いた目でロイを見ていた。
運動も出来て、剣道部元主将。勉強も出来て、生徒副会長なんてやっていた、みんなから尊敬されている。大学だって、推薦で都会の大学に決まって、めったに帰って来ないが、理想で自慢の兄。
それが、龍斗の中でのロイの姿だ。
ロイだって、それに文句があるわけではない。
あの家で、義父母の息子になると決まってから、ずっとそうであろうとしてきた。そして、そうであれたと思う。
龍斗にとっての理想の兄。
義父母にとっての、理想の息子。
そうであったらいい。と、今だって思っている。

「真理も会いたがってる」

龍斗が続けて出してきたのは、妹の名前だ。
5つ年下の妹は、今は高校生だろうか。
いつも龍斗の後ろに隠れていた妹。
歳の差からか、龍斗ほど構ってやれなかったが、仲は悪くないと、思う。
少し照れ屋な彼女は、ロイが話しかけると、いつも真っ赤な顔で小さく俯いていた。
嫌われているかと思ってこともあるが、毎年、誕生日には律儀に花や贈り物をくれることを思うと、疎んでいるわけではなく、彼女の性格なのだろう。幼い頃から人見知りの大人しい子だった。
それがもう高校生。大きくなったものだ。

「父さんも、母さんだって、逢いたがってるよ」

ああ、逢いたいなあ。
とロイは思った。
厳格な義父は、ロイに剣道を教えてくれた。
優しい義母は、いつだってロイを気にかけてくれた。
恩に報いれたらと思っていたけれど、それでもどこか窮屈で、捻じれそうになっていたロイが、なんとかまっすぐに生きて来れたのは、義父の示してくれた剣の道と、義母の優しさのおかげだ。

前回帰ったのは、いつだっただろうか。
お盆だったか正月だったか。

(いや、お盆は、理由をつけて帰らなかったんだっけ)

帰ったら、色々と話さないといけないから、それが面倒だった。
就職はどうするのだとか、この先の話だとか、今までの話だとか。
義父はまだ何も言ってこないが、義母は相当やきもきとしているらしい、と龍斗に聞いた。
正直に言うと、放っておいてほしい、と思う。
が、そんなこと言えるはずもない。世話になっている義父母に、不義理をするわけにはいかなかった。
帰らなかったこと自体が不義理だと言われてしまえば言い返せないが、彼らに面と向かって、それを言うのは避けたい。
今でもロイは、彼らの、理想の息子で、兄でありたかった。
だけども、帰ったら、悲しませなければならない。

もう何度も自分の中で問いかけている疑問の答えは、それだ。
どう悩もうとも、何を選ぼうとも、ロイは、彼らの望む答えを用意してあげることは出来ない。

「今度は帰るよ。義母さん体調も気になるし。正月くらいに。まだ先の話で悪いけど」
「!!ほんとだね?絶対だから!!」
「ああ」
岸辺ロイは22歳になった。
大学だってもう4年だ。周りの友人は当然ながら就職か、院に残るかを決めている。
ロイだってモラトリアムはもう終わり。
選ばなければならない。
選んで、決断しなければならない。
このままでいたいなんて、見ないふりをすることは、ロイには出来ない。
そんな自分の中にある生真面目さは、きっと義父ゆずりのものだろう。
少し苦笑して、ロイは目を閉じた。

「おれも、話したいことがあるから、母さんや父さんにもよろしく」

お休みを告げて、ロイは静かに、その電話を切る。
いつまでも、逃げているわけにはいかないのだから、いい機会だ。
『向こう』では、逃げるくらいなら死にたいくらいに思っているのに、こちらに戻るとこうなってしまう腑抜けさに自嘲する。
それから息をついて、壁にかかったカレンダーを見た。
そこに目をやるのはもう癖だ。
今日は火曜日。

(早く、帰りたいな)

帰りたい。と、一人暮らしの家の中で思う。
思い浮かべたのは、龍斗たちのいる実家ではない。
それが少しだけ罪悪感を突く。
思い浮かべたのは一人の女性。
いつもいたずらを企んでいるように笑う、桃色の髪の大切な女性だ。
帰ったら、きっとまた無理難題を言われるのだろうと思って苦笑する。
でも、それがなぜだかロイの心をほっとさせた。
それから続けて思うのは―――

(…こっちの方が、重大か。…大丈夫か?)

生まれたばかりの小さな子と、金髪のガラの悪い男を思い浮かべてため息をついた。
ロイが逢いたい彼女の元に帰るのは、まだ少し先になりそうだ。
先に厄介ごとを片付けなければならない。
厄介ごと、とはいえ、ロイが自ら選んだことだ。文句を言うつもりはない。
が、ため息をつくくらい許して欲しいとロイは思う。

(またしばらく、あの姿か…)

自分で選んだことだという事実は、何の慰めにもならない。
だが、それ以外の手段がないのも確かで、つまり、仕方がないのだ。
仕方がない。そうもう一度言い聞かせ、ロイはベッドに横になった。
寝て起きたら、もう水曜日。
ロイの――アスタロトの力が最も増すその日。
毎週水曜日に、ロイは異世界に移動が出来る。







岸辺ロイ、22歳。魔神。
地球と称されるその世界では、ごく普通の大学4年生。
そしてその正体は、魔界でアスタロトと呼ばれる魔神の一柱である。
16歳の頃、異世界なんてものに迷い込み、ひょんなことからその力を得てしまった。そこで出会ったシアンという少女に引きずられて、その世界を救ってしまったのが17の頃。
自らの力の覚醒を果たしたロイは、以来、魔神アスタロトとして生きている。
アスタロトの力は大きくわけて3つ。

一つ、毎週水曜日に時空を超える力。
この力によって、ロイは、地球、シアンのいる世界、魔界、ブリアティルト、等々さまざまな異世界を渡る力を持った。

一つ、過去と未来を見通す力。
魔神の力を一つ開放して、どんな未来や過去でも見通すことが出来る。
はっきり言ってちょっと反則的だとロイ自身も思う。
このあと何が起こるか、起こったか。見ようと思えば見えるのだ。逆に言うと、見ようと思わなければ見えないので、ロイはこの力を使うことは、あまりなかった。
未来や過去を知ることに、それほど惹かれないという理由が一つと、もう一つは、その力を自由に使うのに、魔神の力を一つ、解放しなければならないから、だ。

最後の一つは、勝利を約束する力。
どんなことでも、どんなものでも、約束すれば、絶対に、対象を勝たせることが出来る。
反則どころではない。勝ちが確定してしまうその力。
が、それには魔神の力を二つ解放させることが条件だ。

そう、魔神の力には、三段階あった。
普段は一段階目。岸辺ロイ、すなわちアスタロトの、普段の姿がそれだ。
この姿は、地球にいるときのロイの姿となんら変わりない。平凡な男子学生のそれである。
水曜日に時空移動が出来る以外は、ごく一般的な剣士でしかない。
アスタロトの使い魔である蛇に助けを借りることは出来るので、一般的な剣士とも少し違うかもしれないが、とはいえ、それだけだ。常識から外れたことはほとんど出来ないし、ロイもするつもりはなかった。
この姿で、強くなる。それがロイの望みであり、日々そうであるように努力している。
が、未来や過去を覗いたり、アスタロトの多大な魔力を必要とする場合は、そうも言ってはいられなかった。
なるべく使いたくはないが、アスタロトを第二段階にするその力。
その力を持って、ロイは一つ覚醒を果たす。
魔力を持ってして、見た目すらも、魔神に一つ近づくのだ。


――今の姿が、それだ。

と、ロイはため息を大きくついた。
すらりと伸びた手足。
軽い身体。
軽い割に重心が違うのか、この姿になったばかりの頃は、歩くのにも違和感があったが、今となっては何のことはない。
締まったウエストと大きな胸は、男としてはテンションを上げるべきなのかも知れないが、自らに付くとしたら別の話だ。
纏わりつく長い髪にも、もう慣れた。
要するに、見た目が魔神に一つ近づいて、ロイは今、女の姿をしていた。
頭の上についている角が、多少なりとも魔神らしいのかもしれないが、どこをどう見ても、ただの女の姿だ。人間離れしたわけでもなく、性別が変わって角が付いただけで魔神の力が増すのかと、最初は憤慨したものの、魔力が遥かに増す事実には目を背けられない。
魔女アスタルテの姿。
男の時よりも力は劣るが、それは魔力でカバーできたので、戦闘にも不利ではない。
魔力を得て、魔神としての力を存分に発揮できるのではあるが…
やはり、男、岸辺ロイとしては、この姿はあまり好きではなかった。
もっとも、順応性の高いロイのことなので、すぐに慣れてしまったのだが。慣れると好むはまた別の話だ。

と。

「遅いぞ陰険魔神!!!」

赤雫☆激団本拠地に帰ってきたロイを出迎えたのは、そんな怒号と、赤ん坊の泣き声だった。
慌てて居間に駆け寄る。
そこにいたのは、怒り心頭といった風な金髪ヤンキーことジャラヒ・ワートンと、泣き叫ぶ赤ん坊。
その赤ん坊リオディーラは、ジャラヒに抱きかかえられて、ぐずっていた。
ジャラヒはどうすればいいのかわからないようで、眉を潜めながらロイを睨んでくる。
それを無視して、駆け寄ったロイは、そっとリオを受け取った。
それから自らが持つ魔力で、ふわりと彼女を包み、両手でゆっくりと揺らして、歌う。

「遅くなってごめんな、リオ」
「っとに、ちょっと実家に帰ってくるって、一週間も留守にしてんじゃねえよ」

リオに気を使っているのか、少し小声なジャラヒは、手に持った鈴をリオの前で鳴らした。
すると、ぐずっていたリオも、柔らかい魔力の中で気を良くしたのか、泣いていたことなど忘れてしまったかのように、きゃっきゃと笑って、ロイの胸の中で揺れる。

「…お前、一週間くらいの留守番も出来ないのか」
「あほか!リオはぐずるし、何故か近所では嫁に逃げられた亭主扱いだし!ドロシーは笑うだけだし!ダリアはおっかながって近寄ってこないし!おれの苦労を留守番の一言で終わらせるな!!」
「う…え…うぇ…」

ジャラヒの怒りを察して、リオが再び声を震わせた。
慌てて、落ち着かせるために、体を揺らせてやる。

「大丈夫だぞ、リオ。大丈夫。ジャラヒは別に怒ってないし、ここにはおれがいるから、な?大丈夫だ」

そう笑ってやると、安心したようで、泣き顔から、ぽかんと口を開けたリオは、やがて、もう一度笑顔を取り戻した。
ふう、と安心したように、ロイが肩を撫で下ろすと、横のジャラヒも同じような恰好で息をついている。

金髪のガラの悪いこの男。ジャラヒ・ワートン。
ワートン財閥の次男にして、元ギャングなこの男は、こう見えて結構なお人よしであることは、割と知られている。
彼は赤ん坊を放っておくことなど出来はしない。
ましてや、この赤ん坊はリオなのだ。
赤ん坊に泣かれたことが、実は結構なショックなのだろう、ジャラヒはもうロイに何も言おうとはしなかった。どうやら凹んでいるらしい。

「まあ、仕方ない。魔力不足だったみたいだな。これで当分ぐずらないだろ」

だから、まるで慰めるようなことを、ロイは口にしていた。
魔力不足でぐずっていたのは事実だ。
だが、ジャラヒを気遣ってみせるなんて、今まではあり得なかったことだ。
ジャラヒとロイは、赤雫☆激団の中では、犬猿な仲だということで知れていた。
もう長いこと同じ部隊にいるのに、顔を合わせば皮肉の応酬。たまに手足が出ることさえある。
戦闘で肩を並べて戦ってはいたものの、日常生活で世間話なんてする仲ではない。
友達なんて仲ではありえないし、強いて言うなら、同じ部隊のいけすかないやつでしかない。
それは今でも変わらない。
が、前ほどいらつかなく、ぶつからずいられるようになったのは、リオディーラの存在のおかげだろう。
と、ロイは腕の中でうとうとしだしたリオに目をやった。

「…さんきゅ、助かった」

それを見て、ほっとしたように、ジャラヒが小さく礼を言うので。
ロイは思わずリオを取り落しそうになったが、なんでもないというように、頷くにとどめた。




オーラム、アティルトに本拠地を持つ赤雫☆激団は、6人でなる団体である。
三人1組の部隊を基本としているこのブリアティルトで、一味はその6人を3人ずつで分け、一つを本隊赤雫☆激団。もう一つを遊撃隊として、きらめき隊と名づけていた。ともにネーミングはリオだ。
リオディーラ。赤雫☆激団のリーダーである。
明るく元気で、好奇心の塊で、ヒーローになると言っては、街でヒーローごっこを繰り返して遊んでいる彼女は、部隊の太陽みたいな存在だった。
その彼女に助けられ、彼女の為に生きるなんて誓って、共にいたのがジャラヒだ。
元はワートン財閥の次男坊という身分だが、スラムを開放するために、友人と二人でギャングになって組織を作り、街一つ分の裏の組織を一掃したらしい。その後、父と兄に組織を壊滅させられ、逃げていたところをリオに助けられた。以来、彼女を見守っている。
見守りながら、ジャラヒは、リオは自分にとっての世界のすべてだなんて、空寒いことを本気で言う。
この男は本当に、呆れるくらいリオを想っていて、だからこそ、あんな事件が起きたのだった。

その二人の仲間になることになったのが、ロイ。もともとは、ひょんなことでリオに召喚された魔神である。
偶然見つけた魔道書を開けたらロイくんが出てきた!とはリオの談だが、そんな簡単に召喚できる魔神ではない、とロイ自身は思う。
ともかく、召喚されたロイは、リオを助けることにした。
リオがやりたいことを、ロイは魔神の力で気まぐれに助ける。それがロイの役割だった。
そうして、リオと、ジャラヒと、ロイと。三人でブリアティルトを訪れた。
それを追うように現れたのは、メイドのドロシーである。
彼女はジャラヒの元乳母だという不思議な女性だった。おせっかい焼きで、ジャラヒはうざったいように彼女のことを言ったりもするが、頭が上がらないようで、大事に思っていることは見ていてわかる。
ロイたちにとっても、一味の家事の一切を引き受けてくれる、頼りになるメイドだ。
それから、ダリア。
凄腕の暗殺者をやっている女性である。
彼女は、ジャラヒやジャラヒの兄と因縁があるらしい。
ジャラヒの暗殺を企んでいたこともあったが、今はもうそんなことは口にしない。
暗殺業も最近は引き受けてはいないようで、友人と遊びに行くなんて出ていく様子は、普通の女の子にしか見えない。
最後の一人は、ソウヤ。
正義のヒーローリオにあこがれて、なんて胡散臭いことを言って入団を希望してきた、胡散臭い少年である。
謎の少年は、今もまだ胡散臭いが、それでも悪いやつじゃないんじゃないかなんて、思ってしまうくらいには、赤雫☆激団に馴染んでいた。
そんな6人でやっている赤雫☆激団だが。


「リオ、寝たみたいだな」

当のリーダーリオディーラは、赤ん坊になって、ロイの胸の中で就寝中だ。
胸にすっぽりと収まる赤ん坊。これでも、大きくなったのだ。
彼女は、ロイの魔力を吸って、急速に成長している。
今は、1歳と少し、というところだろうか。
彼女は今、ロイの魔力で生きている。
その糧となる魔力を補うために、ロイは魔神の姿を一段階開放し、この姿になっているのだ。
永遠と続くわけではないことが救いだが、彼女がある程度自分で姿を取るためには、少なくとも元のリオと同じくらいになるまでは、魔力を注ぎ続けなければならない。


そもそも、なぜリオが今、赤ん坊なのかというと。

と、ロイは、じっとリオを見つめているジャラヒに目を向けた。
恐る恐ると彼女を見るジャラヒは、ほっとしているようだった。
先ほどまで、彼女のぐずりに悩まされていたのだ。彼女が泣くのは、彼女を幸せにすると誓っていたジャラヒにとって、一番辛いこと、らしい。
赤ん坊の当たり前の現象として泣いているのだとわかってはいるのだろうが、それでも、たまらなくなるのか、リオが泣くと、彼は認めないが、ジャラヒの方こそ泣きそうな顔をする。

ジャラヒが、リオを幸せにしたので、リオは消滅した。
消滅したリオを救うため、ロイは力を使って、彼女に魔力を注いでいる。
それが事態の真相だ。

リオは、「黄金の国の物語」という絵本に出てくる、黄金の国を目指す少女だった。
黄金の国に辿りつくと、何でも願いが叶う。
少女は、黄金の国を目指す道中に、出逢う人々の望みを自ら叶え、助け、ようやく黄金の国に辿りついて、王子様と結婚して、幸せになってめでたしめでたし。そんな絵本。
そんな絵本から飛び出て来たリオは、物語通り黄金の国に辿りつき、これから色々と、彼女自身の物語を作るはずだったのだが。
ジャラヒは、そんな事なんて知らずに、彼女を幸せにしたいあまり、プロポーズまでしてしまったのだ。
それからリオは、幸せになってエンディングを迎えて、あっけなく消滅した。

ジャラヒは彼女を取り戻すためあちこちを彷徨い、ジャラヒを処分するなんて言うダリアからも逃げた。
その末、ようやく彼が手にした答えは、リオは、幼い頃にその絵本を読んだジャラヒが生み出した、妄想の産物だという、そんな解答。
そんな答えを持ってきたのは、ジャラヒの兄で、彼は、その答えだけ残して、ジャラヒの住んでいた世界に戻っていった。

残されたジャラヒに、それでは納得が出来ないと、手を差し伸べたのがロイだ。
ロイは、「黄金の国の絵本」と、リオの残した羽を使って、彼の魔力で、リオを甦らせた。

結果。
赤ん坊のリオが生まれ、赤雫☆激団一行は、赤ん坊のリーダーを育てることになったのだ。



「…おれ、ミルク作ってくるわ」

ドロシーが作り方教えてくれたんだ、と言って、ジャラヒは立ち上がった。
ロイの返事も待たずに、台所へと姿を消す。
どうやら…

(あいつ、まだビビってんのか)

その後ろ姿に、ロイは短く嘆息して、胸元で眠るリオの頭を撫でた。
小さくて、かわいらしい赤ん坊。
赤い頬。長い睫。小さな手。背中にある小さな翼。
どれも、かわいらしくて、抱いているロイも思わず頬が緩む。
魔力に応じて成長するリオは、どんどん大きくなっていって、巡りが終わる3年後には、元の姿に戻るはずだ。
だから、この小さな赤ん坊の姿だって、来月にはもう少し大きくなっている。
それを見守って、育てるのが今回のロイの、ジャラヒの使命とも言えた。
復活したリオを、誰よりも喜んだのはジャラヒのはずだ。
知らなかったとはいえ、自分の手で消してしまった少女を、今度こそ守ろうと、それはそれは大事に、見つめて。
見守って。甲斐甲斐しく、離乳食の作り方を調べたり、これが良いだの悪いだの口に出して。自前で洋服なんか作ったりして。
みっともないくらいに、リオに夢中なのがわかる。
あんなに大事そうなのに。
それなのに、ジャラヒは、リオに自分から触れようとはしない。

(一週間二人にしたら、慣れると思ったんだけどなあ)

だから、ロイは日本に帰る都合が出来た時、ドロシーやダリアに、リオの世話は最小限にして、ジャラヒに任せるように頼んだのだ。
普段、ジャラヒが避けるリオの世話をせざるを得ないように。
そうして、ジャラヒはこの一週間、リオにミルクを与え、おしめを変えて、あやして、今までにないくらいリオに触れたのだろう。
だから、少しはマシになると思ったのだが…
ロイが帰ってきたら、リオはぐずっているし、ジャラヒはすぐにリオをロイに押し付けた。

(…まあ、急にってのは無理か)

焦っても仕方がない。
あのヘタレで態度の悪くてチャラい金髪ヤンキーが、リオを大切に思って、愛していることはわかりきっている。
彼がリオに触れないのは、いくつか理由があるのだろう。

(へタレだからな、あいつ)

子供が苦手、とジャラヒは言うが、そんな事実がないことは、ジャラヒの友人であるセリラートから聞いている。
何せ、スラムの子供たちを集めて、チームを作り、その頭を張っていたのがジャラヒだ。
毎晩寝る前に子供たちに絵本を読んでやったというエピソードは、ジャラヒに言うと怒るが、それを語るセリラートは、読み聞かせはジャラヒの特技のひとつだ、と自慢げに付け加えていた。
赤ん坊となると勝手が違うのかもしれないが、だからといって触れることすらためらうようなものではないだろう。
ましてや、相手はリオだ。
あんなに、恋焦がれていた相手なのに。


(…好きな子だから、ってのが大きいんだろうけどな)

好きな子が赤ん坊になったら、と思うと、わからないでもないが…

(んー、でも、おれだったら、誰にも触らせたくないけどなあ)

たとえば…と自分の彼女を例に考えてみる。
彼女が…シアンが赤ん坊になったら。
そう仮定しても、他の男に触らせるなんて、絶対に嫌だ。
と思うのは、ロイ自身の独占欲が強いのかもしれないが、ともかく、そんなもんだろう。
ジャラヒだって、ロイに負けず劣らず独占欲は強い。何せ、ロイがリオを手伝っていただけで、口には出さないが、元ギャングらしい強い眼光でロイを睨んでいた男だ。
本当なら、リオの世話は全部自分がやると言って、ずっと構っているところだろう。
ロイが魔力を与えるためにリオを抱いたりなんかしたら、嫉妬丸出しの視線を投げつけてくるに違いない。はずだった。
だけど、ジャラヒは何も言わず、すぐにロイに預けて、自分は触れずに、それでいて、愛しそうにリオを見るだけだ。
リオの服を作って、ミルクをつくって、離乳食を作って、寝床を作って、少し離れたところで、大事そうに微笑む。
それで彼が満足なら、それも良いのかもしれないが…。
ロイは、それで納得はできない。
大体、ジャラヒがリオを望んだから、ロイはそれに協力したのだ。
もっとも、理由はそれだけではなくて、ロイの個人的な理由もある。
あの時、リオが消えたことで、ロイ自身の記憶も弄られ、記憶に矛盾が生じることになった。
魔神である自分の記憶ですら弄られたということに、プライドを傷つけられたように感じたロイは、その現象に、売られた喧嘩を買ってやる!とばかりに、対抗策として、リオを復活させたのだ。
いわば、ロイの意地である。
だからこれは、ジャラヒの願いを叶えた、というよりは、ジャラヒの願いを利用したに過ぎない。
とはいえ、せっかくリオが復活したのだ。それならば、ジャラヒももっと…と、思うのも、無理はないことではないかとロイは思う。

「なあ、ジャラヒ」

台所に向かって、ロイは投げかけた。
カチャカチャと鳴る食器の音の後、「ああ」とジャラヒの応じる声が聞こえる。


「…もうじき、リオも2歳だな」
「そーだな。哺乳瓶もすぐいらなくなったし、離乳食もどうなんだろうな。もっと別のもんがいいか」

食器の音は消えて、シューと、鍋の音が鳴った。何かを温めているのだろう。ジャラヒはロイの言葉に答えたが、こちらに姿は見せない。

「食事もだけど、着るものもだな。エアロさんのところで、ナギサやトーヤの服余ってないか聞いてくるか…」
「ナギサもトーヤも男だろ。ったく。これだからクソ魔神は。リオは女の子だ。服くらい、おれが作るってーの」

子持ちの友人の子供の名前を出すと、すぐさまジャラヒは答えた。
自分で作るなんて、面倒なことを言って笑う、そのジャラヒの声だけで、彼がリオを大切に思っていることがすぐにわかる。
杞憂だっただろうか。
ジャラヒがリオに触れたがらないのは、何か思うことがあってのことだと思っていたのだが。

「おもちゃも買わなきゃなあ。キャッチボールとか、チャンバラとかするかな」
「だから、リオは女の子だっての!てか2歳児に何期待してんだよ」

女の子と言えば、お人形遊びにお絵かきだろ?と続けて、ジャラヒは言葉を止めた。
「おっ」と、「あちっ」という奇声からすると、湯が沸いて何か出来たのだろう。
しばらく待つと、盆の上に、マグカップ2つとタオルに包まれたミルクを乗せて、金髪が姿を現す。
自分の分まであることに、ちょっとした衝撃のようなものを覚えながら、ロイは礼を口にした。
礼儀知らずのクソヤンキーと思っていたが、実はそうでもないことには、前から気がついてはいた。
何せ、ワートン財閥なんてところの坊ちゃんだ。礼儀はしつけられていたのだろう。
乳母がドロシーだったのもあり、見た目のチャラさとは裏腹に、部屋に入るときはノックは欠かさないし、与えられたものには必ず礼を言う。さりげない気遣いだってきちんとしている。チャラく見えるその見た目で損をしているタイプの男。
だが、知ってはいたが、それにも増して、ロイとジャラヒは仲が悪かったので、気遣い合うなんてほとんどなかった。
ジャラヒを見て、細かい男だと思えど、気遣いが出来るなんて思ったことはない。
故に、自分の分のカップまであることは、今までを思うと衝撃ではあるのだが、…しかし、意外ではなかった。
用意されたミルクを冷ます間、リオをゆりかごに寝させておく。
それから、目の前に用意されたコーヒーを一口含み。ほっと息をついた。
ロイが淹れるコーヒーと味が似ているのは、共に淹れ方をドロシーから教えてもらったからだろう。
苦すぎず、かといって、緩くもない渋み。
同じようにジャラヒもカップを仰いで息をついたのを見計らって、ロイは言葉を再開した。

「2歳になったらさ、絵本、読んであげよう」

さらりと、もう一口コーヒーを飲んで。

「絵本」

ロイは、ジャラヒに念を押した。

「そろそろ、言葉、わかるようになるだろ。情操教育ってね。リオ、絵本好きだったから、きっと喜ぶよ」
「そう…だな」

対するジャラヒは、カップを机に置いて、それからどこか遠くに目線をやった後、首を振った。

「…おまえが読んでやれよ」
「こういうのは交互だろ?おれも読むよ?でもお前も読めよ」

ジャラヒの苦い顔に、気づかぬ素振りでロイは笑う。

「どんなのがいいかな。今度本屋でも行ってみるか。たしか、カイトが本屋だったよな。そういえば、こないだ、ダリアの友達のイレーヌさん、ほら、ダイン伯の。あの子から、本たくさんもらって。あれももう少し大きくなったら、読んでやりたいなあ」

他愛もない風にそう言うと、ジャラヒはそれに相槌を返そうとして、失敗していた。
愛想笑いにもなっていない。
口元を上げようとしているが、その目は鋭く、刺すように冷たい。
その冷たい無表情を一瞬浮かべた後、ジャラヒは目を伏せた。
それを気にせず、ロイはじっと彼を見る。
しばしの沈黙のあと。
ジャラヒは、取り繕うのを諦めたように息をついた。

「…おまえが読めよ。ほんと」
「なんで?読み聞かせ得意なんだろ?セリラートから聞いてる」
「…ったく。やっぱお前、とことん性格悪いなぁっ」

舌打ち混じりで頭を抱えて、突っ伏して。
それから顔だけをこちらに向けて、ロイをじとっと睨む。
取り繕うのが下手なのだから、最初からそうやっていればいいのだ。
と、ロイは、人から悪そうな顔と呼ばれる顔で笑って、言ってやる。

「ほんとは絵本なんて、読ませたくないんだろ」
「わかってるなら言うなよ」

リオは、絵本の住人だ。
だから、彼女は幸せになって、彼女自身の物語を終わらせて、消えた。

だから…というわけではないのかもしれないが、ジャラヒは、ミルクを作っても、離乳食を作っても、洋服を作っても、絵の描き方を教えてやっても、何をしてやっても、唯一、絵本のことだけは、口にしなかった。
絵本を読んだら、彼女がどうにかなってしまうと思っているのか、それとも彼自身のトラウマになってしまったのか、結局のところ、本当の理由は彼自身にしかわからない。
だけど、ジャラヒが、リオに触れることをなるべく避け、絵本を避けようとしていたのは、ロイから見ると確かだ。

「まあ、絵本なんて読まなくても、大人にはなれる。別に読まさなくてもいいさ」
「……」

そうフォローすると、ジャラヒは憮然とした顔を上げた。

「お前が読ませたくないなら仕方ない。他を考えよう」

そう、その顔に言ってやる。
文句があるなら、言えばいいのだ。
ジャラヒが、ロイに遠慮をするとは思えない。今までだって、真っ向からぶつかってきたのだ。遠慮なんて今更だ。
その言えないことが、弱音なのだとしたら、弱みをロイに見せたくないのなら、わかる。
ロイだって、ジャラヒに弱みを見せるのはごめんだ。
だけど、そんなもの見せなくたって、何か手を打つくらい、この男ならするはず。
リオの手がかりを見つけるために元の世界に戻ろうと、時空移動の力を持つロイに、殴り込み、襲ってきた男だ。
こうやって、何かを押し黙るくらいなら、弱みを隠して、過激な手段を用いてでも、なんとかしようとするのがロイの知るジャラヒ・ワートン。
だから、煽るつもりで続ける。

「おれたちに都合がいいように、都合がいいものを与えてやろう。
 どこか遠くにいかないように、翼も取っておくか?あ、リオは飛べないんだっけ」
「…何が言いたい」
「おまえやっぱりバカだなって」

煽りにすらなっていない、直接の悪言を口にすると、さすがにジャラヒは立ち上がった。立ち上がって、何かを返そうとして口を開けた後、その口を閉じて、もう一度腰かける。腰掛けて、肘をついて、目を瞑った。
売り言葉に買い言葉で喧嘩をするほど、もうジャラヒも子供ではない。それはロイもわかっていた。
だからロイは、そのままコーヒーをすするだけだ。

「……お前に言われなくても、わかってるっつーの」
「ああ」
「てかさ。例え、おれが絵本をあいつから遠ざけたとしても、成長したら、あいつは読む。勝手に選んで、読んで、その中のヒーローだとかに憧れてさ、旅に出るとか言い出すんだ」

そんな先の、まだまったく見えない彼女の未来。
まだ先の、そんな未来を妄想して暗くなっていたのか。と、ロイはバカにしなかった。
ロイがその気になったら、リオの未来は見えるかもしれない。
ロイは、その力を持っている。
かつて、ロイがリオの未来を見ようとしたときは、何故か見ることが出来なかった。
見えないけれど、途中でぷつんと途切れていることだけはわかる彼女の未来。
それを一度は助けたのだけど、助けても、彼女の未来が消えていないことがわかるだけで、その未来はロイには見えなかった。
その後、結局ジャラヒの手によってリオは消えて、そしてまた、今はここにいる。

このもう一度生まれ出た、小さな赤ん坊の未来を、ロイは見ようとしていない。
もしかしたら見えるかもしれないし、やっぱり不思議と見えないのかもしれない。
どちらにしろ、ロイは彼女の未来を見る気はない。
もちろんジャラヒの未来も。他の誰の未来も、見る気はなかった。
だから、ジャラヒの言うその妄想が事実になるかどうかはわからない。
ロイにはわからないけれど、まるで、それがわかるかのように、ジャラヒは言うのだ。

「あいつは、さ。絶対読む。おれにはわかる。…だから、避けようとしても無駄だ」

ジャラヒには、ロイのわからない、何かが見えるのだろうか。
未来予知なんて出来るはずはない。だけど、ジャラヒは何かを確信しているようだった。
それにロイは口を挟むことは出来ない。
幼いころからずっとリオの物語を読んでいたジャラヒにしか、わからないことだろうから。
だから、代わりにロイは、肩をすくめるだけに留める。

「つまりおまえは、リオが絵本を読んで、それに感化されて旅に出るのがさびしくて嫌ってことか?」

ようするに、と言葉にしてみると、なんというバカ親かと思う。
酒場でどこかの親父がそんなことを言っていたら、酔っぱらいの妄言にしか思えない。
ロイの身も蓋もない言い方に、ジャラヒはきょとんと押し黙った。

「いや、あー…そう、かもな」

首を振ったあと、しばし考えて、頷いて。
それから、ふっと吹き出して、くつくつと口に手を当てて。

「いやいや、てかそれ、どこのバカ親父だよ」
「おまえだろ?」

段々面白くなってきたのか、肩を震わせてジャラヒは笑っている。
何がおかしいのか、乾いた笑い声を立てて、腹を抱えて。
と、その騒がしさに目を覚ましたのか、突然、空気が揺れた。

「ふぇっ」

続いて甲高い鳴き声が響いて、慌ててロイはゆりかごに駆け寄り、赤ん坊を抱きあげた。
ジャラヒもすぐさま、冷めたミルクにストローを挿して、リオの口元に持ってくる。
小さな手を伸ばして受け取ったリオは、そのままジャラヒに支えられながら、ストローを咥えた。
ちゅーちゅーと吸って、満足したのか、口を離して、ミルクでべとべとになった顔を、にこりと緩めて。
それから、左手でロイの髪を握り、右手でジャラヒの指を握って、面白そうに振り回す。
その小さな小さな手は、ジャラヒの手の半分もない。

「痛いよリオ…けど可愛いなあ、リオ…」
「…ああ」
「よし!リオが旅に出るなら、おれもついていこう」
「はあ?」
「絶対おれもついていくからな、リオ」

ロイが頬を寄せると、リオはきゃっきゃと笑った。
この小さな子が、絵本を読んで、どこかに行くと言うのなら…黄金の国でもどこでも構わない。
魔神の力のすべてを使って、地の果てまで追いかけるぞ。
そうロイが言うと、呆れたようにジャラヒが肩を竦める。

「おまえな…」
「ジャラヒは家で寂しく待つ役なんだろ?」
「誰がそんなこと言ったよ?おれが行かずにどうすんだよ?」
「あーうっ!」

元気よく返事が上がると、それはもう、彼女からの大きな許可だ。

「いいってさ」
「……」

許可がもらえたというのに、ジャラヒの反応は鈍かった。
何を戸惑ったのかわからないが、先ほどの勢いはどこに消えたのか、困ったように苦笑を浮かべている。

「…おまえな」

じれったくなって、ロイは、その変な顔をしている男に、きゃっきゃと笑う赤ん坊を、ぐっと押し当てた。

「お、おい」
「しっかり持て。落ちるだろ」

あたふたとしながらも、なんとか赤ん坊を受け止めて、よしよしとリオをあやしたジャラヒは、あやしながらも、困ったような顔で固まっている。
それからちらりとロイを見たが、ロイはもう、手を貸してやるつもりはない。

「うーっあ~っ」
「あー…よしよし」

ジャラヒの困っている様など気に留めることはもちろんなく、リオはきゃっきゃと、ジャラヒの金色に手を伸ばしている。

「…そうだな。おれが行かずに、どうするんだ、だよな」

頬を触られて、愛しそうにその手を受け入れて。

「なあ、リオ」

ぽつりと呟いたジャラヒは、きょとんとするリオに微笑んで、彼女を高く持ち上げた。


何を考えているのか知らないが。
とロイは思う。


(そんなにリオが大事なら、それでいいのにな)

難しく考えなくてもいいものを、難しく考えて、悩みこむのがジャラヒだ。
わかっていることを、わからないふりをしたり、答えの出ているのに、掴まなかったり。
ロイからすると、いらいらもするし、理解できない。
だが、もうそれがジャラヒだとわかっている。

そんなジャラヒと、彼に抱かれるリオを見ながら、ロイはそっと息をついた。
リオはどんどん大きくなる。
そのスピードに、この男は…ジャラヒはついていけるのだろうか。
知ったことではない、とロイは言いたいのだが。
そういうわけには行かないだろう。

(先が思いやられるよな…)





□■□■□■□■□■□■

2につづく。
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2014-05-27 : SS : コメント : 0 :
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