【戴き物】【SS】未だ遥かなる黄金郷

N.H.N.B隊様から頂きました。
ジャラヒが10期、ダリアから逃げつつ、リオと再び逢う手がかりを探している時の話です。
N.H.N.B隊様ありがとうございました!

N.H.N.B隊ジャーナリスト、弧月が出逢った男は―――


□■□■□■□■□■□■

 オーラム共和王国首都・アティルトのスラム街。
 その一角にある雑居ビルから取材を終えて出た弧月を迎えたのは、護衛と案内のために雇っていた傭兵ではなかった。
 口元に人の良さそうな、しかしなんとなく不敵にも思える笑みを浮かべた青年。
 ブロンドの長くない髪をポニーテールのように束ね、オーラムのファッショントレンドを意識したカジュアルで身を固めている。
 ともすれば軽薄な、チャラい若者に見える出で立ちだが、治安の悪い場所の只中で緊張感をほとんど感じさせない様子は、堅気のものではない。
 その顔立ちは20歳前後の若さを感じさせながらも、些か面やつれしているようでもある。
 そのくせ眼光だけは、歳相応の攻撃性を持って弧月を逃すまいと見据えていた。
「肉落ち骨秀で、眼光のみ徒らに炯々として」(中島敦『山月記』)とまでは言わないまでも、何かに追い詰められた者のような凄みを感じさせる顔立ちは、明るめな装いとのミスマッチにより、却って不気味な存在感を放っていた。
 弧月の思考と動きは強ばった。
 ビルを出るときに上着の中に手を入れ、忍ばせたショットガンをいつでも抜けるようにしていたが、手はそのまま固まっていた。
 青年は腰に手を当てている。拳銃や短剣といったものも、見えるところには見えない。
 しかし、だからといって丸腰と言える保証はなかった。指や目から魔光線を放つなら、早抜きの必要などない。
 弧月はすくみあがっていた。
 彼女とて、セフィド軍の臨時動員兵として訓練されているし、いくらかの危険もくぐり抜けてきている。凶悪なだけのゴロツキになら、遅れは取らない。
 残念ながら、この青年はただのゴロツキではなさそうだった。
 彼の表情は、目的をはっきりさせた人間の大胆さに満ちていた。少なくとも、行き場のない欲求不満を暴走させた酔漢の顔ではない。
 弧月は彼の表情と視線、佇まいだけで射すくめられたのだ。
「驚かせてゴメンな」
 青年は口を開いた。若者らしい声。気さくそうな口調。だが、姿勢に揺らぎはない。
「俺は……ウォルト。ウォルト・レディンだ。初めまして、だな。コヅキ・ツカハラさん?」
 この挨拶は、弧月にとって更なる威圧となった。
 青年は自分のことを知った上で接触してきた。……よりによってこんな場所で。
 そこから考えられることは、彼が表通りで話せない立場であること。
 そして、なぜか弧月を尾行していたことだ。
 弧月は目だけを動かし、周囲を窺った。傭兵の姿は見えない。
 ……が、わずかながら地面に血痕が見える。
 その血の赤は、弧月の体の体感温度を急激に下げ、口の中を震わせるだけの意味を持っていた。
 蛇に睨まれた蛙とは、まさにこのことだ。
「……まぁこんなところでいきなり顔合わせて、信用しろって方が無理だけどさ。けど、なんだ。俺って、今うかつに表歩けない身だから、これしかなくてさ」
 レディンと名乗った青年は、なんでもないことのように、自分が後暗い人間であると明かした。
「さっきの兄さんにも、やっぱり信用してもらえなかったから、……あとはお察しな」
 何をしたのかは知らないが、この青年はハッタリではないプロの傭兵を排除して、疲れや負傷の一つも見せていない。
 首から上だけは世間話でもするように振る舞い、下は一切隙を見せない。
 多少なりとも戦闘術をかじっているからこそ、弧月はレディンがかなり場慣れしていることを確信していた。
 ……つまり、彼の意思一つで、自分はたやすく食われるだろうと。
 スラム街のある廃屋の中、二人は対面していた。
 レディンは床に正座して両手を首の後ろに置き、弧月はすぐに肉薄されない距離を開けて、彼にショットガンを向けている。
 しかしこの状況をセッティングしたのは全てレディンだ。
 ここに来るまでの間、レディンは銃を向けられながら、弧月をこの場に先導した。比較的安全な場所で本題に入るためだという。
 状況が完全に相手に握られていることを意識しながらも、弧月はどうにか声を発するだけの余裕を取り戻していた。
「何が目的ですか?」
 得体の知れない男のセッティングした場で、彼女はようやく、単純にして根本的な質問を発した。
「探し物しててな」
 レディンは答えた。すぐに動けない状態で散弾銃を向けられながらも、動揺は全く見せない。
 しかし、その口調からは先までの軽さが影を潜めていた。彼にとってそれだけ重要な案件なのか。
「弧……塚原さん。あんた、文学に詳しいジャーナリストなんだってな」
 レディンの視線は、弧月にまっすぐ向けられていた。
 弧月にとって、人と目を合わせ続けるのは軽くないストレスだったが、今目を逸らすのはあまりに危険だとも思っていた。
「どこからそんな話を?」
 弧月にとっては、それが一番の疑問だった。自分がピンポイントで狙われるような名声や実績、コネを持っているとは思えない。
 ……いや、コネなら一応ある。叔父が高名な医者だ。が、医学会以外でも知られているかは疑問だった。それに、叔父への接触が目的なら、レディンのやり方は回りくどすぎる。
「それは……探し物のことを知ってそうな人を調べてるうちに行き着いたんだ。何か知ってそうで、かつ割と会いやすい人ってな」
 レディンのその返答は、先までの言葉に比べて明瞭さに欠けていた。それを自分で分かっているのか、彼は弧月から視線を逸らした。
「絵本を探してるんだ。けど、出回ってないのか、全然見つからなくてさ」
 絵本という単語に、弧月は内心少々面食らった。
 表通りを歩けないような男が、無名のジャーナリストを捕まえて、絵本を探している。
「けど、今の俺が文学者とか出版業者に会うのは、正直無理そうだからな。
 それで、文学方面に詳しくて、できるだけ安全に会えそうな人はいないかって思ってたら、たまたまあんたの記事が目に付いたんだ。フォーネル・クロッシングに、いくつか書いてたよな?」
 確かに弧月は、フォーネル・クロッシングという文芸誌に、文豪ゆかりの地の写真とともに、何度か寄稿文を載せてもらっていた。
 巻末の寄稿者プロフィールに、副業で傭兵をやっていることも書かれていたはずだ。
「……それで?」
 可能な限り冷静そうに振舞おうとしながら、弧月は最低限の言葉で話の続きを促した。
「あとは、セフィドの傭兵組合に問い合わせて、仕事って名目で呼びつけて、話すつもりだったんだけどさ……」
 そこまで続けたところで、レディンは再び弧月に視線を戻した。……口元を微かに、不敵に歪めながら。
「質問タイムは終わりな」
 その視線と声は、先よりも一段低く冷たいトーンを持っていた。
 視線を逸らされたことでいくらか落ち着いていた弧月にとって、それは不意打ちとなった。
 彼女は再び気圧されたのだ。
 弧月の表情が固まったのを一瞬で見て取ると、レディンは後頭部に回していた両手を素早く振り下ろした。
 そして振り下ろされた両手から何発かの魔光弾が放たれ、弧月の両脇をかすめていった。
「…ぁっ!」
 弧月は喉の中で、短く切れたような小さい悲鳴を上げた。
 すくんで固まった彼女の足は反射的に(遅すぎる)回避運動をしようとしたが、それはかえって、自身のバランスを乱すだけだった。
 崩れそうな足を持ち直そうと踏ん張った時、思わず力んだ右手がショットガンの引き金を引いてしまった。
 上向いた銃身から、轟音と共に散弾が発射され、その音と反動で弧月は左斜め後ろに倒れた。
 尻の右側を打ち付けて上ずった呻きを上げながら、彼女は右腕で受身を取り、上半身を床に打ち付けるのだけは防いだ。
 取り落としたショットガンが、むき出しの硬い床に落ちて乾いた音を立てたとき、腰と右腕の痛みに呻く弧月に、レディンが声をかけた。
「こっち見ろ」
 言われるがままに弧月が目を向けると、目に入ったのは、レディンの足だった。
 彼はすぐ近くまで来ていた。
 弧月は彼の顔を見るために視線を上げたが、すぐに後悔した。
 弧月のすぐ前で、無表情のレディンが、開いた右手を彼女に向けながら、彼女を見下ろしていた。
「あんたは俺の質問に答えりゃいい。そうすりゃ、何事もなく表に帰してやる。余計な気を起こしたら……」
 先までよりもトーンが落ち、テンポの遅くなった声と共に、レディンの右手の周囲に、可視化された魔力が発生した。
 暴漢に襲撃されたような体勢で身を震わせる弧月の、涙で潤んだ視界の中央で、レディンは口元を歪めた。

「赤い雨が降るぜ?」

 青白く光る魔力は、彼の手を中心にして、炎のように揺らめいていた。

*****
 ウォルト・レディン、本名ジャラヒ・ワートンは、内心で歯噛みしていた。自分が何者か明かさないようにしながら話すのは、思っていた以上に難しいものだった。
 顔を合わせた時の反応から、弧月がジャラヒのことを覚えていないのはほぼ間違いない。それがわかると、接触する相手を間違えたのでは、という懸念が彼の脳裏をよぎった。
 彼がかつて属していた集団、赤雫☆激団は、武勇とは違う形とはいえ、傭兵業界では広く知られた存在だ。現在その代表を務めているダリアが、殺気立った様子でジャラヒを探していることも、少なくともオーラムではよく知られている。
 有名な集団の代表が、ジャラヒの顔写真を公開し、血眼になって彼を探しているのだ。周期を認識しない弧月は、今のジャラヒを知り合いとは見ないだろう。
 もし彼の捜し物の手がかりがオーラム国内にしかなく、弧月が後でジャラヒの目撃情報をダリアに流した日には、極めて厄介な状況が出来上がってしまうだろう。
 かと言って彼女は、楽しい催しを通じて少しとはいえ語らった相手だ。スラムの悪党のように扱いたくはない。
 だが、こうして会って話しかけてしまった以上、もう後には退けなかった。それに、求める情報について心当たりがありそうな人物を、ジャラヒはあまり知らなかった。
 ダリアにしっぽを掴まれる前に事態を動かすためには、多少強引なやり方になってでも、情報を引き出さなければ。
 ダリアたちの間違った記憶通りの人間として振る舞うのは癪だったが、“あの娘”にもう一度会わない限り、もっとひどいことが避けられなくなる。
 “あの娘”の再来で、歪んだ全てが丸く収まってくれることを願いながら、ジャラヒは自ら捨て去った暗い淵を、もう一度覗き込んだ。

 気の毒なジャーナリストは、あまりにも容易くレッド・レインの術中にはまった。
 ようやくスムーズに問答ができそうになった頃には、弧月の表情は何とも虚ろなものになっていた。まるで死を前にした人間のように。

 ジャラヒはとても不愉快だった。
 かつての殺伐としたギャングとしての自分を、さしたる難もなく呼び戻せたことが。
 弧月に謝罪できるチャンスが来るかどうか、わからないことが。
*****

「それは恐らく、ローベック原作の絵本ではないでしょうか」
 背中から小さな翼の生えた鳥族の女の子が、たどり着くと願いが叶うという黄金の国を目指して冒険する物語。
 ジャラヒが探している絵本についていくらかの解説をすると、弧月は虚ろな表情で俯いたままそう答えた。
「聞いたことないな。あんまり知られてない作家なのか?」
 ジャラヒの更なる問いかけに、弧月はすぐに返答を始めた。その言葉は、ややぎこちなさのあった先の詰問よりも、明らかにスムーズだった。
「ローベックは異界の作家で、ブリアティルトに来たこともありません。たまたまこの世界に流れ込んだ彼の一連の作品が、オーラムのオーデンス・ファウエル伯爵に気に入られ、写本が出版されました。そしていつしか、知る人ぞ知るジュブナイルの名作になっていったのです」
 弧月はそこまで解説して、ひと呼吸置いた。ジャラヒは感心しながらも、より肝心なところへ話を進めた。
「そのローベックの作品には、俺が言った絵本も入ってるのか?」
 弧月は一瞬上目遣いでジャラヒの顔を見上げ、話を再開した。
「はい。ローベックが、何巻にも渡る自分の長編を一冊に収めた、ダイジェスト版とも言うべきものです。残念ながら、この絵本はこちら(ブリアティルト)では大変貴重なものです」
「何でだ」
「文字は訳して書き写すことができますが、紙に描かれた絵を複製することはできません。帝国でそれができるマシンが開発されたそうですが、まだ一般普及できるコストではないようです」
 弧月の論述を聞いている間、ジャラヒは脳内で自分のするべきことを整理していた。焦燥で乱れた目的を、今一度確認する必要があったからだ。
 “あの娘”にどうすれば再会できるかは、はっきり言って分からない。だが、ジャラヒはなんとしても彼女に会いたいし、会わなければならなかった。
 そのためには、まずは彼女と関係のあるものを手に入れてみようと、ジャラヒは考えた。その代表格があの絵本だった。
 彼女の物語があの絵本だけでなかったのは興味深いが、今最も重要なのは、一番知りたいことがはっきりしてきたことだ。
 ジャラヒはようやく、今回最も聞きたい質問を口にした。
「異界から流れてきたあの絵本は、どうすれば手に入る?こっちで出版されたんじゃないやつだ」
 ブリアティルト側で出版されたものは、彼女を描いたものでも、ただの書籍でしかない。ジャラヒが求めているのは、黄金の門の影響を受けたものだ。
 弧月は顔を僅かに歪め、渋みのある表情になった。
「ローベック作品のオリジナルを手に入れるのは、かなり難しいでしょう。古本屋で見つかれば奇跡と言っていいでしょうし、今も持っているような所有者は、そう易々とは譲らないはずです」
「一応聞くが、持ってる人を知らないか?」
 そう問われた弧月の目に、いくらかの光が戻った。まずい兆候だ。恐怖で麻痺した感情が戻りつつある。
 他人の情報を流せという要求に、プライバシーに慎重な報道人のプライドを刺激されたのかもしれない。
「申し訳ありませんが……」
 弧月はいくらか沈んだ声でそう答えた。
 それを聞いたジャラヒは、再び考え込んだ。これ以上の情報を聞き出すのは難しいだろう。とはいえ、充分有力なものは得られた。
 ファウエル伯爵といえば、今の戦争が始まる数年前に亡くなっている。その遺産は、家督を継いだ嫡子に丸々相続されたという。
 ……ジャラヒは口元がにやけそうになるのを抑えた。どうやら道筋が見えてきたようだ。
 当面の目的を果たす目処がついたジャラヒは弧月に礼を言い、表通りの近くまでエスコートしていった。
 まだジャラヒ(レディン)への恐怖心が抜けきっていない弧月は、言われるがままに動いてくれた。ジャラヒが最後に心ばかりの謝礼金とともに渡したラムネの瓶も、素直に受け取ってくれた。
 別れる前にジャラヒは、そのラムネを必ず1時間以内に飲むように念を押した。
 それは、いざという時の切り札の一つとして、怪しげな魔術師から仕入れた秘薬だった。これを飲むと、飲む前の約6時間のことを忘れるという代物だ。
 効くかどうかは確かではなかったが、黄金の雫を使っているのだ。案外信用できるかもしれない。
 それが今のジャラヒにできるせめてもの罪滅ぼしであり、証拠隠滅だった。


 裏路地を去っていく弧月を見送りながら、ジャラヒは切に願っていた。
 弧月がジャラヒのことに気づき、ダリアたちに知らせないことを。
 絵本が“あの娘”につながるという勘がハズレでないことを。


*****
 二週間後、セフィドのある貴族の屋敷が窃盗被害に遭うというニュースが、新聞の一角に掲載された。
 屋敷からは少しの金目のものと、家主が大事に保管していた稀覯本が盗み出されていたという。
 だがその小さなニュースは、弧月にとってはどうでもいいことだった。
 その時の彼女には、記憶の一致しないメモと写真を頼りに書いた記事が、採用されるかどうかの方が問題だったからだ。
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tag : 第10期 ジャラヒ 戴き物

2014-02-25 : いただきもの : コメント : 0 :
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10期その7

ジェインとダリアは幼馴染だ。
少なくともダリアにとっては、物心ついて暗殺ギルドで働くようになってからずっと、ジェインという存在は近くにあった。
ダリアが来るまでは、ギルドの最年少だった少年。
神出鬼没で、掴みどころがなくて。ギルドでも遠巻きにされている少年は、腕の方は確かで、この若さで、どんな仕事だって不手際なくこなすらしい。無口で、一体何を考えているのか、誰にもわからない少年だった。
ダリアだって、彼に話しかけようなんて、思ったことはない。
ただ、仕事で何度か組まされることがあって。
ジェインは人と組むのを好まなかったが、ダリアに文句はないようで。
そのうちにダリアは、ギルドでも遠巻きにされるこの男といることに、違和感を持たなくなっていった。
いてもいなくてもどうだっていい。
いつも勝手に現れて、去っていくのだから、ダリアが気にしても無駄である。
どうせ何も考えていない。
彼はしたいことをしているだけだと。

だけど、もしあの男に、何か考えがあるのだとしたら?
それは、すごく単純なことか、すごく意味不明なことか、どちらかであろうと、ダリアは思った。
どちらにしろ、それを聞いても疲れるだけだろう予感はする。考えるだけ無駄。それはジェインといてダリアが学んだ一つの答え。
だが、今回に限っては、考えなければならないのだろう。
すごく気が重い。考える前からげっそり疲れそうだ。

始まりは――
と、嫌々ながらも、ダリアは考えた。
ソウヤが言うように、ブリアティルトに来たことが、どうやって来たかが鍵なのだとしたら、始まりはきっとその時だ。

ある日ダリアは、一つ、借りのある相手に呼び出された。
ダリアの失態で負った借り。相手はワートン財閥総帥。その時は知らなかったが、ジェインの父だ。
その借りのために、ダリアは総帥に、一つだけどんなことでも理由を聞かずに依頼を受けるという約束をしていた。
その日、その効力を使うために、総帥はダリアを呼び出して言った。

『護衛を頼みたい』
『対象はジャラヒ・ワートン』
『ブリアティルトにいる』

依頼内容は、総帥の息子の護衛だ。
暗殺者に護衛を頼むなんてと思ったが、借りがある以上、ダリアに断ることなどできない。
ダリアは頷いて、それから――

ブリアティルトに降り立ち、ジャラヒと逢った。


ブリアティルト。
お伽話の国。
実際にありはしない、与太話の世界。
子供の寝物語に出てくるような、ありはしない世界に、ダリアは実際たどり着いた。

(あのとき――)

そう、あのブリアティルトに初めて来た日だ。

(確かに、これは問題だわ)

ふう、と息をつく。
ソウヤが示していたのはこのことなのかと納得した。
どうやってここに来たのか。思い出せないわけではなかった。
自分の中では自然すぎて、今まで思い出そうとも考えようともしなかった。
それが不思議だ。
それを改めて考えてみると、おかしさにはすぐに気が付いた。

ダリアはあの日、ジャラヒを探して辿りついた街の酒場で。

(あの子に逢って、ここに連れて来られた)

羽の生えた少女に出逢い、その少女の力で、ダリアはこのブリアティルトまできたのだ。
はっきりと記憶にある。
いや、”記憶にないはず”の少女。
青い髪を乱雑にまとめて、いつも笑顔で、はつらつとした、10代前半だろう女の子。
ありありと思い出せた。

(だけど)

この記憶は、間違いだ。
あの子は、あの世界にいない子。
存在できるはずのない子だと、ダリアは知っている。

(この記憶は違う)

いるはずがないのだ。
だって、彼女は物語の登場人物。
絵本の中にしかいることができないヒロインなのだから。

(だったら私は、どうやってここに来たのかしら)




ふう、とダリアは息をついた。
机に突っ伏してみる。
赤雫☆激団の居間。テーブルに、椅子が6つ。そのうちの端の席がダリアの定位置。机の上には花が飾ってあって、その花の名前がダリアというものだとダリアは知っている。ドロシーが毎朝活けている花だ。
その花を突っ伏しながら見つめて、ダリアはしばし、ぼうとしていた。
そうしていると、ふとダリアの鼻先をコーヒーの匂いが掠める。

「私は紅茶の方が好きなんだけど」
「ミルクを入れておいた。そう変わらない」
「大きく違うわよ?コーヒーと紅茶は」

あの神出鬼没な男がいつどこで現れても、ダリアは驚かない。
だから、一人でいたはずのこの居間で、ジェインがコーヒーを持って突っ立っていたからといって、どうしたというわけでもなかった。
突っ伏していた体を起こし、顔を上げる。
ジェインは、許可されてもないのに、ダリアの前に座って、コーヒーを飲み始めた。
ダリアの前にもコーヒーカップが一つ。

それを置いてジェインは、こちらを見るわけでもなく、手にした何やら難しそうな本をぺらりとめくって、文字を追っている。

「本、好きよね。何を読んでいるの?」

別に、ジェインが何を読んでいてもどうでもよかった。
その問いに意味はない。ただの世間話だ。ジェインに対して世間話を持ち掛けようとするなんて、自分でもどうかしていると思う。
問いかけられたジェインは、めくる手を止めた。
視線を上げてダリアを見る。

「聞きたいことがあるなら、言えばいい」

それは、ダリアにとって、助け舟のようでありながら、突き付けられた銃口のようなものでもあった。

ジェインが何か企んでいる。それを知りたい。
何かを企んでいることに気が付いたのは、実際一番初めからだ。
と、いうより、何かを企まずしてこの男が動くはずがない。企みの内容は、とんでもないことだったり、くだらないことだったり、その時によって違うが、彼が自主的に動くということは、何か隠れた目的があるということ。

『ジャラヒを生きるに値するかどうか、見張れ。そうでないなら、処分しろ』

そんな依頼をダリアにふっかけて、ジェインは何がしたかったのか。
最初は、何を企もうがどうでもいいと思っていた。
ジャラヒを殺害しろ、ではなく、処分するかどうか、判断をダリアにゆだねる、曖昧な依頼。
曖昧ではあるが、生きるに値しないなら殺害しろという、明確に殺意を持っている依頼。
ダリアがそれを引き受けたのは、ブリアティルトに残ると言ったジャラヒがどうなったのか、興味があったからだ。
ただ、それだけ。
ジェインの企みなんてどうせいつものことで、深く考えはしなかった。知っても碌なことはない。関わりすぎると、彼に振り回されることになるのを知っていたから。
そうして、結局は、知らなくても碌なことにならず、結局は振り回されることになっている。
だから、ここでどういうことなのか、問い詰めたい気持ちはあった。

何故そんな依頼を持ち掛けてきたのか、きちんと聞きたい。
だけど、それを聞くのは覚悟が必要だった。
何を聞こうと動じない覚悟。
それから―――

(私が知っているジャラヒ・ワートンは真実ではない)

(抜けている、何かがある)

(知りたい。けど知ってしまうと)

今まで、あったものを、壊してしまうだろうという覚悟だ。

ジャラヒ・ワートンを犯罪者として追って、何も知らないままの方が、きっと楽なのかもしれない。

だけど、もうダリアにはそれは出来ない。

もう、生き方を知ってしまった。
3年間を永遠と繰り返すブリアティルトには確かに存在していて、幼いころから狭い暗殺者の世界で生きてきたダリアには、持ち得なかったもの。

こんな世の中で、幸せをはぐくむ者もいて。
優しさを捨てない者もいて。
希望を胸に抱く者もいて。
戦いの中、切り捨てるでなく、ひとつひとつを掴みとって、次につないでいく者たち。
この世界は、どうせすべて3年で終わってしまうのに、誰も『どうせ』なんて一言も口にしなかった。
意味がないなんて、誰も言わない。
そんな者たちと接してきて、ダリアは初めて疑問に思った。

(ジャラヒは、どうだったのだろうか)

ただ、人を裏切るだけの犯罪者で、衝動で人を殺めて組織を潰し歩くような、そんな人間だっただろうか。

そうだと肯定する記憶と、そうではない否定する確信。
どちらを信じるか、そんなこと、言うまでもない。

だけど、それを認めてしまうと、きっと、ダリアは変わってしまう。




「ジェイン」


聞きたいことがあるなら聞けと、ジェインは言った。
はぐらかすつもりはないらしい。
いや、この世界、ブリアティルトに来てから、ジェインははぐらかそうとしたことは一度もなかった。
ただダリアが聞かなかっただけ。

「ジェインは何を考えているの?」

色々と、聞きたいことはあった。
だけど、結局のところダリアが聞きたいことは、昔からひとつだけ。
彼が、落ち込んでいるダリアに、桜の花びらを持ってきたときから、ずっと。
一人で出来る仕事の依頼に、思い出したようにダリアを巻き込んだり、気まぐれに現れて、消えて、振り回して。
何も言わずに、巻き込むだけ巻き込んで。ダリアももう、彼の行動に意味なんて求めないようにしていたけれど。
今回のことだけではない。ずっと、そう聞きたかった。

そんな聞き方されても、困るだろうことは承知だ。
案の定、問われたジェインは瞬きして、ぴくりと唇を動かす。それでも表情は動かさずに、一つだけ息をついた。

「おまえらしくないな」
「そうね。あなたの考えてることなんて、どうでもいい」
「そうか」
「だけど、それでも知りたかったのよ。ずっと」


そう言ってしまうと、少し楽になった。
覚悟が出来たのかどうかは、自分でもわからない。
問われているのは、変わる覚悟。
このまま彼と話して、それを聞いてしまったら、今のこの関係は全て終わってしまう。
だけど、それを承知で、ダリアは続けた。

「そうね…一体、あなたは私にどうさせたかったの?」

しばし、ジェインは黙った。
ジェインの長考には、ダリアも慣れている。だから、別に急かすつもりもない。

ジェインはダリアから目線を外して、手元の本を見た。それから本を閉じる。

「お前は、昔…本が好きだった」

ぽつりと独り言のように、呟く。

「俺が家から持ってきた本を、こっそりと盗み見して読んでいた」
「…気づいてたのね」

いつもどこにいるのかは知らないが、たまにふらりと組合にやってくるジェインは、本を持って帰ってくることがあった。
組合員に用意されている粗末な部屋に、その本を置いたままジェインは仕事に出かけることもあって。幼いころのダリアは、こっそりとそれを読むのを楽しみにしていた。

「字が読めて、嬉しかったのよ」

ジェインが出した話題は、ダリアの問いとは、関係がないように見えた。
だけど、彼が自分から何かを話すことは珍しい。
だからダリアもそれに付き合って相槌を打った。

ジェインが言っているのは、ダリアが組合に売られてしばらくたったころの話だ。
元いた村には、本なんてなかった。
組合に来て、本なんて初めて目にして。その時の興奮は、今でも覚えている。

「ジェインが、文字を教えてくれたのよね、絵本で」

無表情で淡々と、声に出して絵本を読む少年と、その横で、これまた無表情にそれを聞くダリア。
一時期組合でも話題になった光景だが、二人のあまりの無表情で淡々と絵本に向かい合う姿は、あまりにもシュールだったので誰も近寄ってはこなかった。
ともかく、文字というものを初めて知ったダリアにとって、忘れられない記憶だ。

「あれは、弟に読み聞かせていて、慣れていたからな」

読んでくれた絵本は、おとぎ話だった。

一人ぼっちのお姫様が、女の子と友達になる話。
宝石姫と呼ばれるお姫様は、とても綺麗で、みんなのあこがれ。だけど、そのあまりの美しさに、誰もお姫様に触れられず、お姫様はいつもひとりぼっち。
そんなときにやってきた女の子は、お姫様の美しさなんて気にせずに、友達になってくれるのだ。
だけど女の子は、行きたいところがあるのだと言って、お姫様から去っていく。
残されたお姫様は、女の子に勇気をもらって、王子様と仲良くなって、結婚してめでたしめでたし。

ありがちな寓話で、目新しいものではない。
だけど、ダリアが初めて触れた物語は、そんな陳腐なものでも、宝石みたいにきらきらと色づいて見えた。
ダリアはその本を、文字を覚えるまで何度も何度も繰り返し読んだ。
友達のいないお姫様はとてもかわいそうに見えた。
それでも、お姫様にも、友達になってくれる女の子が現れたのだ。
お伽話だとわかっていても、それはダリアに、ほんの少しの希望を与えてくれた。
だから、女の子が「おうごんのくに」を目指すのだと言って去って行ったときは、ダリアも少し寂しく思った。

「お前も、あいつと一緒で、黄金の国に行きたいと、言っていた」

何かを思い出しているのだろう、ジェインは薄く目を閉じて、どこか遠くを見つめるように視線を動かした後、手元の、少し冷めたコーヒーを一口含む。
そして、ジェインは黙った。
これで終わり、と言うように、カップを机に置いて、正面を――ダリアを見る。

「私が、黄金の国…に?行きたいと、言って?」

その言葉を、わけがわからず、反芻してみる。
これは「ダリアに何をさせたかったのか」という問いの答えだ。
答えを彼は言ったのだと、理解はしたが、意味がまだわからない。
その答えは、ダリアが黄金の国に行きたいと言っていたから、だと言う。
いつもながらジェインの答えは難解でわからない。

「黄金の国は、ブリアティルトのオーラム。来れただろう?ここに」

ダリアがわかっていないのを理解して、もう一言ジェインは付け加える。
付け加えられたところで、その意味は未だに理解不能だ。

「ちょ…ちょっと待ってよ。私をここに連れてくるために、ジャラヒを処分するって、依頼を出した、ってこと?」
「処分するかどうか、見極めろと。価値がないなら処分しろと言ったんだ」
「どっちでもいいわよ」

ここにダリアを連れてくるために、ジャラヒをダシにして依頼したのだと。

そう言っているのだろうか。

「よくはない。が確かに――処分するなら、同じことだな」
「それに私は、あなたがそんな依頼をする前に、ここに来てるわ。ジャラヒの護衛に、あなたの父から。
 私を連れてくることが目的なら、もうそれは終わっていたはずよ」
「…そうだな。お前は、確かに、一度来ている。あの男によって」

そう頷いて、ジェインは一呼吸置いた。
その間は、ジェインにしては短いものだったのかもしれない。
一呼吸。だが、ダリアが言葉を挟むほどの空白はなかった。


「ダリア。お前は、どうやってこの世界に来たか、覚えているか?」


突如投げられた問い。
その質問が、事前に、ソウヤによってもたらされていなかったら、何の事だか動揺したかもしれない。
だけどダリアは、そのソウヤのおかげで、今ここで投げられたジェインの一手の意味がわかった。
先ほどの絵本の話。それから、黄金の国に来た経緯。



「…お伽話の女の子に、連れられて来た、とでも言いたいの?」

ダリアの中には、記憶があった。
青い髪の、元気な女の子に、手を引かれて、この世界に来た記憶。

だけど。

「まやかしよ」



そんな女の子は、この世にいない。



「幻惑、まやかし、催眠術。そんなものでしょ。貴方が使いそうな手だわ」

女の子はいない。
だって絵本の登場人物だ。
それをダリアが記憶したのは、きっと何かからくりがあるはず。

「知ってるのよ、あなたの力。人の感情を煽ったりすることが出来るんでしょう。
そんな、まやかしのような力を、貴方は使える。
 少女なんて、いない。ここに来たのは全部、仕組まれてのことだわ」
「一度目にやったのは、俺ではないがな」

あっさりと、ジェインはそれを認めた。

「おまえが本当に覚えているなら、大したものだ」
「毒物や、まやかしに対する訓練はしているもの。記憶がおかしいことくらい、わかるわ」


本当の記憶を無理やり呼び覚ます。
覚えている記憶は、ワートン総帥に呼び出された部屋の中。
依頼を説明されて、ダリアは頷いた。
それを確認して、ゆっくりと、総帥は言ったのだ。

『ダリア、これを覚えているか?』

一冊の本を、取り出して。

『ジェラルドと読んでいたんだろう?この絵本』

黄色くて、タイトルのない絵本。
ダリアはその本を、知っていた。

「黄金の国に行く、物語。そうね。それを、私は総帥から受け取った。あの絵本が、キーなんでしょう?」

お姫様と友達になった女の子が、旅をする絵本。
昔、ジェインに読んでもらった絵本。
ダリアが字を覚えた、あの絵本だ。

「そうね。それから元の世界に帰って、あなたと再会して、あなたの依頼を受けた。
 そう。……その時も、あなたはあの絵本を、私に差し出したわ」
「……」
「ええ、ちゃんと、記憶にはあるわよ。まやかしの記憶も。
 『呪文』を唱えてこの世界に戻る?
 それが貴方が私に植え付けたまやかしでしょう?だけど、それは嘘」

踵を3回鳴らして、叫ぶのだ。
『おうちに帰りたい』
すると、ブリアティルトに帰ることが出来る。

誰もがどこかで聞いたことがあるような、異世界から元の世界に帰るシンプルな方法。
この場合は逆だが、その呪文をダリアはちゃんと知っていた。
だって、女の子に聞いたからだ。
記憶にないはずの女の子。
存在しない女の子が、それを教えてくれた。
だけど、幻惑を取り除いて思い出す。
女の子などいなかった。
本。絵本だ。ダリアはそれに触っただけ。

「そんな女の子、いないわ。
 ブリアティルトに私を連れてきたかったって言ったわね。
 絵本を使って、その主人公の幻影を見せて。そうね、まるで出来の悪いファンタジーみたい。
 趣味が悪い。こんなところに私を連れてきて、あなたは何がしたいの?」
「女の子はいない、か」
「…?何よ。あなたの作った幻惑でしょ」

ダリアが見破っても、ジェインはたじろぎもしない。
薄く、静かに笑っているだけ。
ダリアを真正面から見て、満足そうにうなずいて。
それから、名前を呼んだ。


「女の子は、いないそうだ。ジャラヒ」


静かに呼んだ名前は、ダリアのものではなく。
聞き覚えのある名前と、その対象が一致するのに一瞬間が空く。
ジャラヒ。ジャラヒ・ワートン。
ダリアの追う、裏切り者の――
振り向くとそこには、見覚えのある男が立っていた。
いや、少し違う。
背が少し伸びた。髪も。綺麗に整えられていたあの金髪は、ぼさぼさに後ろに纏めている。それから、少し痩せていて、前よりも骨ばった印象を与えていた。だけど碧の目は、爛々と輝いていて。

「――ジャラヒ」

ダリアは、久しぶりに彼に名前を呼びかけた。

ジャラヒは顔を上げてダリアを見ると、片手だけ上げてそれに応える。
それからごくりと唾を飲んで、ジェインを真正面から睨みつけた。

「まやかしだそうだ。ジャラヒ」

睨まれてもジェインは動じることなく、もう一度その言葉を口にする。

「黙れ」
「女の子はいない。ほら、ダリアも言っている。俺の作ったまやかしだそうだぞ?」
「…リオは、いる」

静かにそうジャラヒは言って、姿勢を正す。
深呼吸するように、大きく吸って、ゆっくりと、吐く。
それから、もう一度口を開いた。ばくばくする心臓を、押さえる様に、胸に手をやって。

「リオは、いるよ。おれは知ってる」
「残念ながら、いないが正解だ」

だがジェインは取り合わず、視線をジャラヒからダリアに合わせ、頷く。

「そう。ダリア、正解だ。
 あれはまやかし。お前をこの世界に連れてくるための、ちょっとしたサービス。
 お伽話のヒロインになれた気分だったろう?」
「悪趣味だって、言ってるじゃない」

ダリアもジェインの悪趣味さは知っていた。例え彼が良かれと思ってやっただろうことが、良かったことなど一度もない。
だからダリアにとっては、そのくらいは想定の範囲内。
それよりも、なぜこんなことをしでかしたのかが気になる。
もっとも、きっとそれも悪趣味な理由だろうが。

「リオはいる」

その悪趣味な男の弟は、何度もそれを口にしていた。
ジェインに騙されているのだろうか。そんな騙されるような可愛げのある男だとは思っていなかったが。
そんな様子を見ると、追っているときは、一目見たらすぐさま撃ってやると思っていた男だと言うのに、銃に手を伸ばす気もわかず、なんだかとても慣れた呆れたような心地がするだけだった。

「…あなたの言うリオって、あの物語の主人公、青い髪の女の子よね?あの絵本の」
「…違う」
「違うって…」
「おれが言ってるのは…」

ちらりとダリアを見たジャラヒは、歯がゆそうに唇を噛んだ。

「うちのリーダーだ。リオディーラ。お前をここに連れてきて、いっしょに暮らして、遊んで…覚えてるだろ?」
「……知らないわよ」

第一、ここに連れてきたのは、最初のはワートン総帥で、二度目はジェインだ。
どうやってか知らないが、絵本を媒介に、何かをしたのだと、彼自身も言っている。まやかしだと。

「知らないわけあるか!
 リオだぞ?正義オタクで、バカで、どうにかしてるくらい元気で、アホで、食い意地はってて、バカで、でも優しくて…お前も、一緒にいただろ?何話してんのか知らなかったけど、よく、一緒に飯食ってたの、知ってるぞおれは」
「…そんなの、知らないわ」
「そのお前の頭の髪留めだって、あいつとお揃いだろ?」
「その辺にあったのを使ってるだけよ」

彼が何を言っているのかわからない。でも、嘘を言っている様子はない。
ジャラヒ・ワートンは、追われて逃げる過程で、おかしくなってしまったのだろうか。

「…悪いけどジャラヒ。そんな子知らないわ。私は、あなたの言う子に心当たりはない。
 あるとしたら…ジェインに見せられた、まやかしでだけ」
「そっちのが誤魔化されてんだよ!あいつはいた!ちゃんと!おれは知ってる!おれだけじゃない、ロイも、…傭兵仲間だって、みんな知ってる!」

「では、なぜ今いない?」

熱くダリアに詰め寄るジャラヒに、冷たくジェインが割って入る。
冷たく。少し面白がるように。

「答えは、お前が物語を終わらせたから、だ。
ハッピーエンド。おめでとう。
物語が終わったら、登場人物の出番も終わりだ。
まあ、そうだな。前の巡りでは、もしかしたらお前の言うように、仮に彼女がいたとしよう。
だが、今はいない。
何故だ?存在しないからだ。
ブリアティルトの<時>は巻き戻され、人は再びこの世界を歩む。また再び始まったブリアティルトを。
だが、そのブリアティルトは、時は戻れど、人は進んでいる。一歩ずつな。
お前の友人も、そうだろう?
子を生した者もいる。新たな友人を作ったものも。次の目的を携えて、人は進む。
お前も、ダリアも。
時は戻っても、確かに進んでいる。
だが、終わった話の登場人物は、先には進めない。
エンディングを迎えたのだから、そこで終わりだ。
周囲の傭兵たちもすぐに気が付く。彼女は、いなかったのだと。
なぜなら、実際、いないのだから―――やがて忘れる」

ゆっくりと、幼子に言い聞かせるように。

「ジャラヒ。全てに忘れられたら、いないということだ。そうだろう?」
「だから、おれは、忘れない!!」


叫んだジャラヒから、閃光が舞った。
青い閃光は、ジェインを掠め、壁に刺さって消える。
それでもジェインが動揺することはなかった。

「…癇癪とはみっともないな」
「黙れ!クソ兄貴!何が言いたいんだよ!何がしたい!?
 一体なんだ?今まで口も聞いたこともないような弟に、説教かよ!
 おれの仲間を手にかけて、おれを始末しようとして、ダリアを惑わせて。何がしたい!?」
「惑わせる?」

口の中で笑って、ジェインはダリアに目を向けた。

「俺はダリアに嘘を言ったことは一度もない。ああ、あの少女のまやかしを見せたのは、惑わしたことに入るのか…。だが、彼女に言ったことは、全部本当だ」

ジェインと、目が合って。瞬きをしたダリアは、その饒舌なジェインを、何だか不思議な気持ちで見ていた。
嘘をつかれたことはない。
確かに、ジェインが言ったことは、全部いつも本当だった。
ただ、言葉が足りないので、ダリアにも全てを理解することは不可能で。
ダリアはいつも、彼のことを、その発する全ての行動から読み取るしかなかった。
それに成功したのか、ジェインはダリアの近くを好むようになり、ふとした時にふらりと現れるようになった。神出鬼没な男、得体のしれない男。だけど、嘘はつかない。それがダリアの知るジェインだ。


「…ではジャラヒ。正解を教えよう」

ジェインは嘘をつかない。
ダリアも知っている。
だけど、未だかつてなく長く、言葉を紡ぐジェインは、こんなにたくさんの真実を紡いでいるのに、ダリアには、いつも以上に、何を考えているのかわからなかった。

「お前がずっと、幼いころから読んでいた絵本。黄金の国の物語は、お前の父と母が、昔いた異世界、ブリアティルトに帰りたくて書いた物語だ」
「…は?」
「お前の父は、ある日偶然、事故で黄金の門を通ってブリアティルトに飛んだ。そこで、母と出逢った。二人は恋仲になり、子供を産んで幸せに暮らしていた。が、ある時二人とその赤ん坊は、黄金の門のゆらぎで、突然元の父の世界に戻ってしまった。父は自分の故郷のその世界で、一緒に暮らそうと母と家を築いたが、母にはその世界は合わなかった」

お伽話を読むように。つっかえることなく、ジェインは語る。

「母はブリアティルトに帰りたくて、毎日毎日ブリアティルトの話をした。毎日毎日。延々と。朝起きて眠るまでずっと。やがてその話には、妄想が加わり、膨らみ、物語になった。父はそれの話に付き合い、その話を書き取った。絵と、文字をつけて。母が語った妄想を、父が絵本にし、母がそれをまた読んで、また妄想をふくらませ」

そこで一呼吸おいて。

「そして母は気が狂って自ら死んだ」

唐突に、その話は終わった。

「…は?」
「正解。真実だ。まだ付け加えるか?
 ブリアティルトの血が入った俺たちは、幻惑のような、魔法のようなものが少し使える。
 母はもちろん、ブリアティルトの人間だからな。
 こちらで強い魔法は使えなかったが、彼女は物語を作った。
 俺は人の感情を増幅させられる。お前は…お前はなんだと思う?」

唐突に、正解と告げられた長くて短い話。
ジャラヒはそれを受け止めることが出来ないのだろう。微動だにせず固まっている。

「俺のもお前も、魔法と言うのもためらわれる、小さな力だ。
 俺が持つのは、憎しみだとか悲しみだとか、喜びだとか、増幅させて人の判断を誤らせることしかできない力。だから、俺は人といるのは好きではない。鬱陶しい。共にいられるのは、ダリアくらいだ。
…さて、ジャラヒ。まだ正解がわからないか?」


ジェインの答え合わせは、もう少しのようだった。
それは、ジャラヒに対する答え合わせでありながら、ダリアに対しても立派な回答だ。
感情を増幅させるまやかし。幻惑。魔法。
ジェインがダリアと共にいることを好んだ理由。
ダリアはいつも冷静だから。
感情がないわけではないけれど、諦めるのは誰よりも早かった。
希望なんて、世界にはないと思っていたから。
だから、ブリアティルトに来る前からも含めて――ジェインといても平気だった。
平気なようにしていたと言ってもいい。
自分を崩すのは、嫌いだ。

たまに現れるジェインは、いつもこちらを窺って、何かを納得するような、謎の素振りを見せていたのだが、あれは、ダリアの反応を見ていたのだろうか。

(だとしたら、性格悪いわね。知ってたけど)

変な奴だと思っていたが、彼はわざわざダリアを苛立たせるようにしていたのかもしれない。
半分はそれに成功していたが、爆発するまではいかなかったので、それが彼には不思議だったのだろうか。

ともかく、ジャラヒに対する執着心やら、最近のあれこれは、ジェインと一緒にいたからかもしれない。と、思うと少し安心する。原因がわかっただけ良い。わけのわからない感情は嫌いだ。


「意味がわかんねえ」

彼の目の前にいる弟は、彼のそのちょっとした魔法にかかっているように見えた。
怒り。
爆発しそうなそれを、拳でぐっとおさえている。

「お前のその、わからないフリをするのは、昔からの悪癖だな」
「うるせえ」

ダリアが知っているジャラヒは。
もっと、冷静で、狡猾で、隙のない男だった。こんな簡単な挑発に乗るような男ではない。
なのに、目の前の到底冷静でないジャラヒにも、ダリアは違和感を覚えることはなくて。
ダリアが感じるのは、彼に対する殺意ではなく。どこかから、そこはかとなく、焦りのような何か。

(――何かしら…この…)

「例え――」

小さく声を絞り出して、ジャラヒはそれでも折れなかった。

「たとえ、あいつを生み出したのがおれだったとして…」
「わかってるようで何よりだ。
 小さいころから読み聞かされた物語の主人公を、母親譲りの妄想力で生み出した。それがお前の魔法だ。ただし、完全に生み出すことなんて出来ない。お前に出来るのは、自分をそうと騙すこと。それと、周囲を少しだけ騙すことだけ」
「黙れって!」

青い閃光がもう一度飛ぶ。確実にジェインをまっすぐに狙ったそれは、届くことはなかった。
面倒くさそうにジェインがそれを払う。
閃光は消えて、それで終わり。

「そういえば、それもだな。小さな火薬の爆発や、水素爆発を、魔術のように見せて脅かすんだったか?ブリアティルトではこれくらい使えても、向こうの世界じゃただの奇術だな」

道具を使った疑似的な魔法のような目くらましは、ギャングであるジャラヒの得意技。
男の言うように、ただの奇術だ。そんなものが魔法だと言うのなら、失笑するくらい、誰でも出来る化学変化。ジャラヒはそれを上手く見せるのが得意だった。

「そうと自分で思い込み、周りをそうだと見せる魔法。お前が昔から絵が好きだったのも、その表れだろう。
 ともあれ、あの娘を生み出したのはお前だ。
 ――あの日、組織を襲われたお前は、無意識のうちに『彼女』に助けを求めた」

組織の残情を見て、衝撃を受け、無意識に助けを求めたジャラヒは、その<魔法>を使うために、火を放った。
火を放ったのは、彼女を本から解き放つための<魔法>の儀式のため。
解き放たれた彼女は、ジャラヒと再会し、彼をブリアティルトへと誘った。

「…全部、おれの妄想だと言うのかよ」
「その妄想のお陰で、彼女が生まれ、それにより黄金の門が開いたのだから、誇ってもいい。父からの伝言だ」
「…っ!」
「あちらの世界ではただの奇術、妄想だが、ブリアティルトでは違うだろう?
 『あの娘』もここでなら生きられた。お前の奇術も魔術になった」

お伽話の娘は、ブリアティルトでは具現化に成功していた。
もう妄想なんかではない。
ジャラヒ以外の者ともしゃべることができ、笑うことができ、生きることが出来た。

「さて。ダリアをブリアティルトにやったのは、だ。
 お前を守るためと、本当にブリアティルトに行けるのか、試すためだ」

ジェインはちらりとダリアを見る。

「それからもう一度ここにダリアをつれてきたのは――」
「貴方も来てみたかったんでしょう。ブリアティルトに」

ふう、と息をついて。
長い髪を掻き上げながら、ダリアはジェインを遮った。

「もういいわよ。一生分喋ったんじゃないの。聞いてたほうが疲れるわ。
 貴方がブリアティルトに来たのは、気になったから。
 私を連れてきたのはただの気まぐれ。それでいいわよもう」

いつも通り、ジェインがダリアを仕事の依頼に巻き込むのと同じ理由で、もういい。
何故こんな依頼を受けたのかとか、こんな依頼になんで巻き込むのかとか、ジェインに文句を言ったこともある。
その度に、彼は、なんとなく。としか答えなかった。
その、なんとなくの理由をいつも知りたかったが、こうやってそれを聞いて気づいたのは、知ったところで何もないということだ。

「正解だとか、答えだとか、私はどうでもいいのよ。
 どうしたいのジェイン。こうやって、弟と仲良く話がしたかったわけでは、ないんでしょう?」

もしそれが本命なのだとしたら、少し笑える。
そう思いながら、ダリアは薄く笑う。

「私は受けた依頼、まだ達成してないのよ」

ジャラヒを処分するか、生かすのか。
ジェインから受けたその依頼。

その依頼がどうして、どういった理由でなされたものなのか、ジェインはまだ語っていない。
でももう、これ以上あの男を喋らせるのは億劫で、聞いたところで、聞かなくてもよかったと思うに決まっている。

「ジャラヒの処分。どうする?やっぱり決めるのは、私?」

ダリアはコートの中の銃を、そっと取り出した。
緩慢な…とまではいかないが、決してすばやい動きではない。
ただ、普通に取り出す。それから手に持って、構えた。

銃口を、合わせる。
けれども、その先のジャラヒは、避けようとはせず、静かにダリアの方を向いただけだ。

「…ダリア。お前が決めろ」
「了解」

小さく頷いて標的を見る。
ダリアが立っているテーブルと、ジャラヒが立っている居間の入り口は、距離にして5歩分。
外しっこない距離。たとえもっともっと離れていたとしても、ダリアが外すことはありえない。

「どうしようかしらね。別に、私はジャラヒに恨みはないし…嫌いでもないわよ。面白いもの」

そう言うと、ジャラヒは少し身動ぎした。

「そうね、ジャラヒに決めさせてもいいかしら。
 このまま死にたいなら撃ってもいいし、もし生きたいなら、命乞いしてもいいわよ」
「…っ!」

その台詞は聞き逃せなかったのか、ようやくジャラヒは反応を見せ、身体を構えさせる。

「…なんっなんだよ。一体…!」
「はあ。相変わらず腑抜けた顔よね。そんなのだから見捨てられるのよ」
「はあ!?」
「悪いけど、私はあんたの腑抜けた顔しか見たことないわ。
 ジェインはあんたの復讐の相手でしょう?せっかく現れたというのに、そんな間抜面ばかりして」
「どこが間抜け面だ!勝手言いやがって!おれだってな!リオは消えるし妄想だとか言われるし、セリは見捨てて来ちまったし知りたくない父親と母親の秘密聞かされるし兄貴は母親の名前名乗る変態だし凶暴女は銃突きつけてくるし!」
「喧嘩売ってるわけ?」
「ああ、売りてえよ!あーもう!何が妄想だ!いみわかんねーよ!妄想で何が悪い!リオはいたんだ!いる!思いだせよダリア!お前も!!」
「…それがあんた言いたいこと?最後の言葉と思っていいかしら」

そう、目を細めるダリアに。
ジャラヒはそれが審判だと気がついた。
銃を構えるダリアと、その向こうのジェイン。
いや、ジェラルドだ。
6つ年上のジャラヒの兄。
ジャラヒは、記憶にある兄から、殺意を向けられたことしかない。
まず、子供の頃に死ねと言われた。
あれは、母が死んで、ドロシーが屋敷を去ってしばらくの時だ。
本を読もうと誘ったら、お前を殺してやりたいと、そう言われた。
それ以来、ずっと会話はない。
何故そんなに憎まれていたのか、ずっとわからなかった。
成長してからは、忘れてしまって、気にしたこともない。
「赤き涙雨」の仲間が殺された時も、すぐに兄の仕業だと思った。父が兄に指示したのか、兄の独断なのか、それとも兄は関係なくて、父が誰かに命じてやらせたことなのか。
どちらでもいい。ただ、事実、父も兄もそれが出来る。やる理由もある。否定もしないのだから、そうなのだきっと。
ジャラヒは殺意しか向けられていないのだから、そうとしか思えない。
きっと、ジェラルドは、あの時からずっと、ジャラヒを消したくてしかたがないのだ。

「まあいいわ。もう一度聞くわね。貴方はどうしたいの?ジャラヒ・ワートン」

ダリアはそう言って、銃口をずっとジャラヒに向けたままだ。
ダリアの気に入る答えを言えば、殺されずにすむのだろうか。
やるならさっさとやればいいのだ。
兄も兄だ。ダリアなんか使わずにさっさと自分でやればいいのだ。
兄ならそれも簡単にできるはずなのに。どうしてこんなまどろっこしいことをするのか。
どうしてそんな。



(――ああ)

『お前は、どうしたい』

(どうしたい、か。そういえば、前も聞かれたな)

リオと逢った時のことだ。逢った…いや、それ自体がジャラヒの妄想なのだとしたら、逢ってもいないのかもしれない。
組織を潰されて逃げたある汚い街で。とにかく、逃げて、追いつかれて。
その追手は、追いつめたジャラヒに向かって、兄から聞けと頼まれたという質問を口にした。
『お前は、どうしたい?』
結局、それに答えた所で、「聞いたら後は好きにしていいと言われた」と言ったその追っ手は、ジャラヒをボコボコにしたのだが。

(どうしたいって、そんな)

あの時は、ここから逃げたいに決まってると答えた。

今だって同じだ。ここから逃げて――

(いや、違うな)

逃げても、別に何もない。
何も得るものはないし、何にもならない。
もうセリラートはいないし、助けもない。
逃げて、生き延びて、だからといって、何をするんだ?わからない。

(どうしたい、か)

(そうだな。そういえば――それを言って叶うなら、これって『願い事』になるのか?)

願い事、というのは、黄金の国を目指す少女の物語のキーワード。
少女が出逢う様々な人は、みんな願い事を持っていて、少女はみんなの願い事をひとつひとつ叶えていくのだ。自分の願い事は、あと回しにして。

繰り返し繰り返し読んだ話の中で、ジャラヒはやきもきしたものだった。
人の願い事なんて、聞かなければいいのに。
自分の願い事を、優先すればいいのに。
だからジャラヒは、少女の願い事が叶うまで、絶対に自分の願い事は、知られちゃだめだと思ったのだ。




『ジャラヒの願い事は、駄目だよ』

『最後に、いっしょにかなえるんだから』



(そうだよな。おれの願い事は、最後だ)


だから、ジャラヒはダメだと、あの時リオは言ったのだ。
まだ、リオが近くにいて、ダリアもいて、ドロシーもソウヤもいた頃。
ロイばかりを頼るリオを見て、ジャラヒはやきもきしていた。はっきり言ってくだらない嫉妬だ。
リオは、ロイをヒーローだと言って。
『願い事』を叶えるから、助けてくれとロイに頼んだ。
ロイは、苦笑して、ジャラヒに頼んだらいいのにと言ったのだけど、リオはジャラヒはダメだと答えた。ジャラヒの願い事は、駄目だと。
それを盗み聞きして、リオに拒否されていると、避けられていると思ったジャラヒは、今思うと、間抜けだと自分で思う。

(約束したもんな。忘れててごめん)

小さい頃、まだ本の中にいたリオと、それを読んでたジャラヒとの約束。
大事な大事な約束。絶対に破れない約束だ。


唐突に笑えてきた。
これが、妄想なのだろうか。
そうかもしれない。幼い頃、妄想で作り出した友達。
だけど、どんな形だって、友達は友達だ。リオはあの幼い頃、大好きな友達だった。
そして今は―――



あの子がたとえ妄想でも、ちゃんと生きていたと、ジャラヒは知っている。
そうだ。
妄想を、具現化するなんて、大層なことじゃないか。



「――何笑ってんのよ」
「いや」

銃口を突き付けられていることなんて、どうでもよくなってきた。

だって、そんなこと、どうとでもなる。

(もしそんな力を、おれが持っていて、リオがこの世界で生きたのだとしたら)

それが、ジャラヒの妄想の力なんだとしたら。

あんな子を。リオを。
生み出したのが、もし自分だというのなら。
優しくて明るくて素直で、あほでバカで間抜けで、正義のヒーローを目指しているわりにちょっとがめつくて、頭は悪いのに計算高くて、でもお人よしだから良い目にあうことは少なくて、屋根の上とか高いところが好きで、でも翼なんかあるくせに飛べなくて、毎日ヒーローごっこと言いながらゴミ拾いしてて、拾ってる間に宝物さがしのトレジャーハンターごっこになって、気がついたら夕方すぎてて、帰ってドロシーに怒られて、ダリアに笑われて、嬉しそうにしてて、明日も明後日も、ずっとずっと笑っているようなあの子を。
妄想の結果生み出したのが、本当にジャラヒだと言うのなら。

それは無敵だと言ってもいい。


(そんなすごいことができるなら、おれはなんだってできる)

(なんだって、出来るし、叶えられる)

(リオの願い事だって、おれの願い事だって、おれが――)

(いや、それは最後に、一緒に叶えるとして)

ふう、とジャラヒは息をついて。

それから、銃口を向けるダリアに笑ってやった。


(これは、願い事じゃないぞ、リオ)



「ダリア」
「何よ」

急に笑ったジャラヒに、ダリアは少し銃口を揺らした。

「お前は、リオを覚えている」
「は?」
「リオを覚えていて、絶対に忘れない。これからもずっと」
「何を…」
「お前はリオが好きだ。だから、おれを絶対に撃てない」

ダリアは、本当はリオを覚えているのだ。
そう決めた。
そう決めて、ダリアを見る。
ダリアはリオを覚えているから、ジャラヒの不甲斐なさに腹が立ったのだ。
ずっとジャラヒを追っていたのもそう。
ジャラヒがリオを救い出す手段をなかなか持ってこないから、やきもきしてたのだ。
絶対に、そうだ。

「だとしても、あんたを撃てない理由にはならないわよ!?」
「リオが悲しむぞ。あいつが悲しむとみんな悲しいから飯がマズイ」
「大丈夫よ。あの子のことだから、あなたが死んでも、すぐにけろっと忘れるわ」
「そこまであいつは薄情じゃねえよ?」

ほら、やっぱり覚えてる。
ダリアは不思議そうな顔をしていたが、ダリアが彼女を知らないわけないのだ。忘れるわけない。
だって、ダリアもずっと、あの子の友達だったんだから。

「ダリア」

ダリアの手の先の銃口は、すっかりぶれてしまっていた。
名前を呼ばれて、ダリアは我に返る。
呼んだのは、彼女の背後に佇むジェインだ。

「あんたは」

ジャラヒはもう動じなかった。
きっちりと、ジェインに向かい合って、言ってやる。
なんだって言えるのだ。
ここはブリアティルトで、ジャラヒは何でもできる。だから、兄なんて怖くない。

「弟の願い事が、知りたかっただけだろう?」
「やめろ」
「昔、弟に読んでやった絵本。女の子の願い事が叶ったら自分も願い事を言うっつー可愛いことを言う弟の願い事、結局聞けなかったから、知りたかったんだ」
「何を…」
「だからこんなところまで追いかけてきた。
 母さんの故郷も見えるし、好きな子連れてデートのつもり。素敵な旅行だよな。兄さん」

ジャラヒは、そうであると決めた。
兄は、ジャラヒを処分しに来たわけではない。
そんなのただのジョークってやつだ。

「お前は…」
「なんだよ。おれには妄想を具現化する力があるんだろ?
 だったらこれがおれの事実だ。しらねーよもう。そう決めたんだから」
「くだらん」

ジャラヒの言葉を、ジェインはバカにしたように鼻で笑う。
だけどジャラヒには、もう何が真実でもどうでもよかった。
妄想なら妄想でかまわない。

「弟が元気でやっているのを見た兄は、満足して帰るんだ」

こんな妄想、都合が良すぎだとしても。もう決めたのだ。


と。
びゅうと。そのとき突然風が吹いた。
 

窓も開いていない、閉じられた居間の中で、ふわりと空気が動く。
その風はダリアの髪を優しく撫でて、部屋中を舞った。
ぐるぐる、ぐるぐると。

「お迎えだ、兄さん」
「くだらん。もういいだろう。妄想ももう終わりだ。早く…」
「なに?もしかしてこんな妄想野郎を連れ戻しに来たわけ?
 そんな浅い理由じゃないよな?
 得体のしれないワートン財閥次期総帥様は、もっと深い考えがあるんだろ?よくわかんねーけど」

ジェインが眉を歪める。
あんなに恐ろしい顔だったのに、今のジャラヒにはそれすらも面白く見えた。
くるくると部屋を回る風も、なんだかとても楽しそうだ。

「兄さんは、物語は終わったって言ったけど」

くるくるぐるぐる、きゃっきゃと楽しそうに風は渦を巻く。

「ぜんっぜん、終わってねえから!」

そう言って、ジャラヒは上を見上げた。
笑っているその風に、合図を送って。

「いいぞ、リオ。兄さんは改心した!ラストの見せ場だ!」

右手を上げて、力を込める。
放電した青い光が、大きく広がって。

「正義の鉄拳、食らわせてやれ!」

閃光を、放つ。
青い光は、風を巻き、渦を巻き、ジェインを貫こうと、一直線に伸びる。
それを避けようとしたジェインは、一歩下がり、身体を捻らる。
そして、その先に――馴染みの少女の、微かに笑った顔と、自分に向けられた銃口を見た。

銃口と、少女と。

少女のその黒髪と、自分を射ぬくまっすぐな目と、微笑んだ唇と。
ゆっくりと順に見て、動きを止めたジェインは。

青い閃光にまっすぐに貫かれて。

「―――さようなら、ジェイン」

その姿を消した。










―――――

ジェラルド・ワートン。またの名をジェインは、元の世界に帰った。

「はー、死ぬかと思った」
「死んだらよかったんじゃない?」
「お前が言うとシャレにならんからその銃しまえ」

崩れ落ちる様に、ジャラヒはテーブルにへたりこむ。
右側真ん中の席。
ジャラヒの定位置だったそこに、当然のように座って、テーブルに頬をうずめた。

「私、まだあんたを殺さないって、決めたわけじゃないのよ?」
「はいはい。黙って消えてすみませんでした。もう消えません」
「それは別にどうでもいいんだけど……まあいいわ」

部屋の中は静かだ。
窓からそそぐ日差しは穏やかで、二人がもう少し黙っていたら、鳥のさえずりが聞こえてくるのではないかというくらい、静か。
風もなく、音もなく、ジャラヒは少し、口を閉じた。
この家の匂いと、テーブルの感触。それから、机の上のダリアの花をしばし見る。
十分に味わって、ジャラヒはようやく口を開いた。

「ダリアはよかったのか?帰らなくて」
「いいわ。やることがあるもの」
「やること?」
「最後の戦よ。英雄戦。呼ばれたの」
「英雄戦て。…おまえ、すっかりここの傭兵だな」

ジャラヒの知っていたダリアは、もっとストイックで、国のことなんて、この世界のことなんて、どうでもいいと思っているようだったのに。
と、意外に思って顔をあげると、何やら面白そうに、ダリアはこちらを見下ろしていて。

「応援されてるもの。当然でしょ?あんたより人望あるのよ私」
「人望…。お前の口から聞くとは思わなかった言葉ベスト3に入るわ」

人望。とてつもなく胡散臭い言葉だ。
ジャラヒがいない間に、ダリアも色々あったのだろう。
わかっていても不思議で、思わずダリアをじっと見る。

「なによ」
「兄貴はいいのか?」
「あいつのことだから、またふらっと現れるわよ。ゴキブリ並の神出鬼没さなんだから。驚かないわよ私」
「ゴキブリて」

ジャラヒがあんなに恐れていた兄を害虫呼ばわりする彼女の方が恐ろしいかもしれない。

「それに」

だけど、ダリアは笑っていた。
不自然じゃない笑い方で、ジャラヒの頭を小突いて、それから。

「あの男より、あんたより、もっと興味持てることが私にはあるのよ。
 私は私。だから、あんたもジェインも、好きにしたらいいわ」

そう言って、背中を向けたダリアは、下手な鼻歌のようなものを口ずさみながら、台所の方に姿を消した。

「…好きに、ねえ」







「ただいま帰りましたー!!ぼぼぼぼ、ぼっちゃんが!ぼっちゃんが帰ってきているときいて!!!!!」

扉の開く音と同時に地鳴り。
何だと思う前に、後ろから強く衝撃を感じて、ジャラヒはテーブルに強く鼻をぶつけた。
痛い。
涙がにじむ。

「ぼぼぼぼ、ぼっちゃんん~!!!!心配してたんですよ!!まったくもう!!!どこに行ってたんですかあああああ!」
「ま、待て待て待て待て」

すぐさま肩を掴まれ、がくがくと揺すられ、魂すら天高く飛んで行きそうになり、慌ててその手を振りほどく。

「死ぬ、死ぬからおれ。はあ。悪い。心配かけて」
「ぼっちゃーん!!!」
「だから掴むな!悪かったって」

ジャラヒを振りまわしているのは、赤雫☆激団メイド、ドロシー。
三つ編みのこの若い女性は、ジャラヒが物心つく前からの乳母で、物心ついた少し後くらいに去って行って、この世界に来て再会した女性だ。
彼女は鼻水たらした泣き顔をジャラヒに見せながら、よかった、よかったと繰り返している。
ジャラヒは、ここを去る前に彼女を傷つけてしまった。
そしてまた、こうして泣かせてしまっている。そのことに罪悪感を覚えながら、ゆっくりと、言葉を続ける。

「えっと、ごめん。それから、ただいま、ドロシー」
「ぼっちゃんーー!いえいえ、いいんです!無事でさえいれば!あ、いえ、ぼっちゃんは、禁止でしたね」
「あー、もうそれはいいよ。好きに呼べば」
「ぼっちゃん…」




ともかく。
これで一件落着だ。
セリラートは元の世界に帰った。
ジェインも、消えた。
ドロシーも笑顔になったし、ダリアももうジャラヒを追わない。
ロイも、ジャラヒも、みんな――

「リオ」

先にその名を出したのは、ロイだった。

「どうなったんだ?」
「…ああ。リオは―――」


―――


長い説明を終えて。
口を挟まず聞いていたロイは、深くため息をついた。

「リオがお前の妄想、ねえ」
「…お前だって、知ってたんだろ。リオが普通じゃないって」

普通じゃないのは知っていた。
彼女が、ジャラヒによって消されてしまうことも。

「おれが知ってたのは、リオが絵本の主人公だってだけ。お前のとこの世界に行ったときに、その絵本を読んだ。一部だけどな。お前とこのままいたら、彼女はやがて、目的を達成して、エンディングを迎えて、消えてしまう。それは、予想してたよ」

彼女は、物語の人間。
話を最後まで辿ってしまったら終わりだ。

「ああ。それが妄想とどう違うんだよ」
「おれは、お前の妄想と契約してここに来たと思いたくない」
「そんな理由か!」

一番大きいのはそんな理由だ。
魔神アスタロトが、可愛い女の子に召喚されて付き従ってるというならまだしも、ヘタレ金髪ヤンキーの妄想に召喚されて振りまわされているというのはあまりにも聞こえが悪い。
それはともかく。

「…確証は持てないことは言いたくないんだが…気になることがいくつかある」
「なんだよ」
「一つは、お前の後生大事に抱えてるそのペンダント。リオの羽だろ。それが消えてないこと」

シルバーの鎖に止めてあるその首飾りの先には、茶色の羽がついている。
ただのファッションアイテムのように見せかけているが、その色合いはロイにも見覚えがあった。

「…ここでは実体化するって」
「ここではな。元の世界に戻った時はどうだった?」
「…覚えてねえよ。それどころじゃ…」
「そうか」

リオが消えたのだ。羽だけ消えないというのはおかしい。と思うが、妄想の具現化だからと言われてしまえば、反論はできない。
ブリアティルトでしか実体化できないなら、元の世界ではとも思ったが、それを思い出せというのも酷だろう。
ロイは頷いて、言葉を続ける。

「もうひとつ。おれは、前に幼い頃のリオを助けている」

8の巡りの時だ。
ロイは、そのときも、リオが消える未来を見て、彼女を助けるために策を打った。

「ああ、そんときに助けられて、リオはお前のことをヒーロー扱いだもんな」
「お前は、リオの子ども時代を妄想するか?」
「…変な言い方するなよ」
「あの時おれが助けたのは、黄金の門で迷い込んだ、幼いリオだ。助けて、それで彼女は帰って行った」

13歳のリオではなく、5,6歳くらいの幼いリオ。
傷だらけで、何かから逃げてこの世界まで来たリオは、泣きながらロイを見上げていた。
小さな体で、傷だらけで、ぼろぼろで、…あれはとても妄想から生まれたものとは思えない。
ジャラヒがそんな彼女を妄想で生み出したとは思えないし、それにそのとき、ジャラヒは別の場所で、リオと共にいた。

「…っじゃあなんだって言うんだよ」
「…これ以上はまだ何も確証が持てない。そんなことより、だ」

ロイは、ぱんと手を打った。

「リオを呼ぼう」
「は?」
「お前も待ってたんだろ?」

唐突に言われて、ジャラヒも戸惑うしかない。
リオが、ジャラヒの妄想だとするのなら――
ジャラヒはもう、リオと逢うことは出来ない。
逢いたいけれど、今はもう、それは難しかった。

リオのことを思い出すことはできる。
共に歩くことも、遊ぶことも、きっと出来る。
だけど、それが妄想であるということを、どこかで囁く声がする。
そうなってしまうと、駄目だ。
もう、知ってしまったから、駄目だ。まだ逢えない。
ジャラヒが、時を重ねて、狂ってしまうくらいに彼女を思って。ずっと思い続けて。
そうしないと、ジャラヒはリオには逢うことはできない。
――いつかは、逢うことはできる。
そのことはジャラヒは確信していた。
だけど、そのときは、それはもうジャラヒではなくて、妄想で狂った男の姿だ。
そうしてようやく、ジャラヒはリオと物語を再会することが出来るだろう。
でも、今は無理だ。
その時が来るまで、ジャラヒはずっと生きなければならない。

「ジャラヒ。逢いたいんだろ?」

魔神は、そう囁いた。

「おれは、逢わせることが出来るぞ」

胸を張って、揺らぐことなくロイは言う。

「魔神だからな。それくらいの願い、叶えてやるよ」
「…うさんくせえな」

まるで、悪い魔神に惑わされる愚かな男みたいだ。
そう思って、ジャラヒはふっと笑った。

どうせ彼女を狂うまで思って生きなければいけないなら、魔神に魂を奪われるのも同じことだ。

「えーっと、お代は魂だっけ?」
「お前の汚い命なんてごめんだな」

呆れたようにロイは言って、少し考えた。

「リオには焼き鳥で手を打ったんだけど…そうだな、お前には、おれの立派な肖像画描いてもらうってのでもいいかな。魔界のおれの部屋にどーんと飾れるようなやつ」
「おまえ、自分の部屋に自分の肖像画飾んの?いや、いいけど。ひくわ」

それからロイは、リオを呼んだ。
必要なのは、ジェインが残したあの絵本と、ジャラヒが取っていたリオの羽。
それから、ロイの魔神の――魔神であるアスタロトの、真の力を解放して、その魔力で目印をつけて、彼女を呼ぶ。

リオが帰ってきたときには、時はもう1000年。
やがてブリアティルトは、11度目の周期を迎えようとしていた。



――
10期ストーリー完
2014-02-21 : SS : コメント : 0 :
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第10期SSその6

999年ももう終わる。
1000年まではあっという間だ。
英雄戦が終わって、凱旋があって、1000年を迎えて。
気がついたらすぐに元通りで、ブリアティルトは11度目の周期を迎えるのだろう。

「飽きたってわけじゃ、ないんだけど」

ベッドに寝転がりながら、ソウヤは独りごちた。

やる気が無い。
と言ってしまえば簡単だった。
何をやればいいのかは、なんとなくわかっている。
やるための、駒も出揃っている。
お膳立てはしっかり整っていた。

「なんかもう、わかんなくなっちゃったんだよね」

誰に向かって、というわけではない。
強いて言うなら自分に、だろうか。自分で自分に言い訳、というのが一番近い気がする。
言い訳したところで自分で納得ができるかどうかは別だ。
だけどソウヤは意味のない言い訳を続けざるを得なかった。
なにせ、ソウヤは、この巡りでしなければいけないことを、全て放棄してここまで来たのだから。

「だってさー、ダリアがジャラヒのことどうでも良くなっちゃうなんて、予想外じゃん」

あんなにジャラヒを追うと言っていたダリアは、もう時折気にするくらいで、今はもう、ジャラヒのことを口にすることすらあまりない。
中盤の戦で何かに感化されたのか、今は傭兵の仕事を、文句も言わずにこなしている。おそらく最後の戦に、彼女は呼ばれることになるだろう。
あんなにジャラヒを憎んでいたというのに、何かで吹っ切れたのか、もうその片鱗は見えない。
ソウヤは何もしなかったのに。いや、ソウヤが何もしなかったからだろうか。

本当だったら、ジャラヒとダリアを、もっと早く逢わせるつもりだったのだ。
逢って、話をさせて、誤解を解かせる。
そうしたらもっと自体は簡単だっただろう。
二人で協力して、ジャラヒの目的に向かえばさっさとハッピーエンドだ。いや、ハッピーエンドを迎えられるかわからないが、ジャラヒも楽になれただろうし、ダリアも意味の分からない憎しみに踊らされなくてもよかった。
だけどソウヤは、ジャラヒとダリアを結託させるという仕事を放棄した。
その結果、こんな最後になってまで、二人は顔を合わせていない。おかげでダリアは長いこと、ジャラヒを憎んで意味がわからなくなっていた。まさかそこから自分で抜けだすなんて。本当にびっくりした。
女の子はすごいなあ、とつくづく思う。


なぜソウヤが仕事を放棄したかというと。

原因は、まあ、ひとつしかない。
予想外のことを、彼が――ジャラヒがしたからである。

(なんで、ドロシーまで傷つけてんのさ、あの男)

ジャラヒ・ワートン。
おとぎ話の娘が好き好きで大好きで、いろいろとこじらせている男だ。
初めて彼女への愛を聞いた時は、熱烈というかこじらせすぎててどうしたものかと思った。
男前なのにもったいない。残念だなあという印象を持って彼を見ていたのだが。
リオが消えて、案の定、気が狂うかのごとく、彼女を追い求めて失踪したジャラヒは、どさくさ紛れで何をしたのか、ドロシーを傷つけて消えていた。
半ば廃人のように、何も言わなくなったドロシーを看病することになったのは、することないから引き受けるよと手を挙げたソウヤだ。
予想外だった。
ソウヤが予期していたのは、このままだと、ジャラヒがあのおとぎ話の少女を消してしまって、慌てふためいて大変なことになるだろうなあ。というくらいだったので、残されたドロシーが、ジャラヒに何かをされたのだと知った時は耳を疑った。あの男は、ただの可哀想な青年どころか、立派な加害者だ。
ドロシーは、ジャラヒは悪く無いと庇うだけで、なにも言おうとしない。
一体何をしたのかわからないということも、苛立ちを誘う。
毎日ドロシーの面倒を見ながら、もうなんだか、あっという間に時が過ぎて…
もう、ダリアとジャラヒの間を取り持つ気もなくなっていた。

だけど、ダリアは、勝手に立ち直って、独自の道を進んでいる。
それと、もう一つ予想もしていなかったのが…

「ロイとジャラヒも、か。なんであいつら仲良くなってんだよ」

仲良く、とまでは言いすぎだが、お互い生きて会話して協力しているというだけで、この二人の間では奇跡だ。
絶対に、ロイがジャラヒをぶちのめすと思っていた。
もしくは泥沼になって延々と繰り返すのかと。
ロイはあの性格だ。飄々とした仕草を崩すことなんてありえない。
となると、ジャラヒも、ロイに頭を下げるなんてありえっこなかった。元から嫌い合っているというのもあるが、リオのこととなると、ジャラヒは余計に頑なになる。
到底、ロイに歩み寄るなんて、あの男が出来るはずがない。
リオの憧れのヒーローがロイだったというだけで、口には出さずともジャラヒはロイが憎くてたまらなかったはずだ。口には出さないことで、彼の中で負の感情が、どんどんどんどん膨らんでいっているのは、見ているだけでよくわかった。
ロイもロイで、そんな弱い男を気遣うことはしない。

(あんなに相性悪すぎる二人なのにな)

結局、ロイは譲り、ジャラヒは礼を言った。
おかげで、ロイの力で元の世界に戻るなんて、反則技みたいな方法で、ジャラヒは手がかりを掴みに行っている。
ロイの力は反則技だ。
異世界に飛ぶ、願い事を叶える、強くなって冒険する。リオがお伽噺の住人になってまで夢にしていたそれを、生身で全てやってのけるスーパーヒーロー。
だからロイは、リオにとって憧れで、正義の味方で、かがやく星の人、なのだ。
おそらく、ロイが本気を出して、自ら全ておわらせようとしたら、こんなこと全て暴かれて、あっというまに終わるのだ。反則技だ。
だけど、ロイ自身もそれを知っているので、彼は本気なんて出さないだろうと思っていた。
ロイは自分が強くなるのには貪欲な男だが、その分、周囲になるべく深入りしないように、線を引きながら接している。ジャラヒは彼のそういう所が嫌いなようだったが、事情を知っているソウヤから見ると、そりゃそうするだろうと思う。だって、一々深入りして、本気になっていたら、全てが破綻してしまう。そういう反則技を持っているのだから。

(でも、もうあいつ、やる気満々って感じだったなー)

遠慮無く扉をこじ開けて、聞きたいことを聞くだけ去っていった。先ほどのことだ。


結局のところ、ソウヤが何もしなくても、事態は進んでいた。
ダリアとジャラヒが手を組んで、悪を倒してハッピーエンドという筋書きは消えてしまったが、ジャラヒはロイなんていう反則技で道を開いているし、ダリアも自ら吹っ切っている。
このまま行くと――

(どうなるんだろ)

ジャラヒは、ダリアからの情報なしに、きちんとあの子の秘密を見つけられるのだろうか。
ダリアは、ジャラヒと協力なしに、ジェインと向かい合うことができるのだろうか。

(おれは、どうあればいいと思っているんだろうか)

(リオちゃんが、戻ってくればいいと思っている)

(あの子はおれ達の希望だから)

複雑な思いはあるが、その気持ちは変わらない。

「…じゃあ、さっさと終わらせるか」

やる気が出てきたわけではない。
別にもう、どうなったっていいかなという気持ちもまだある。
だけど、それではダメだと、自分で自分を叱る声もどこかにあって。
その声があまりにもうるさいので、ソウヤは立ち上がることにした。

「ダリアには悪いけど」

自分で自分の道を見つけて歩き出した彼女には、少しだけもうしわけなく思う。
彼女にとっては、このままのほうが幸せなのかもしれない。
わからない。
だけど、ジャラヒにはロイが一手打ったのだ。
だとすると、終わらせるためのソウヤの一手は、こちらに打つしかない。
彼女のとなりにいる『あの男』が何を考えているのか掴めない以上、放置するよりも、こちらから打って出た方が懸命だ。これ以上の不確定要素は増やしたくない。

ベッドから這い上がって、部屋を出る。
煤けた汚い居間に、これはドロシーが留守でよかったと心から思いながら、ソウヤは赤雫☆激団、本拠地に向かった。









「あら、ソウヤ。珍しいわね」

出迎えたダリアは、薄く微笑みを浮かべてすらいた。
紅茶をいれて、和菓子を添えて。
客間にソウヤを招き入れる姿は、本拠地のホストとして非の打ち所もない。
前の巡りで、ジャラヒやドロシーと共にいたときは、外にいるか、部屋にいるかのほとんど二択で、客間にいることなんてなかったというのに。
話には聞いていたものの、目の前にすると強烈だ。
ダリアが普通の女の子に見え…なくもない。
部屋の中だというのに、コートの中に銃をたくさん忍ばせているのが見えるので、普通の女の子と言い切ることはできなかったが。

「や、ちょっと、ジャラヒを見たって情報があって。それを伝えに」
「へえ…」

ジャラヒの名前を出しても、もう飛び出そうとはしない。
ただ、まだ思うことはあるようで、その目を薄く光らせて、口元をゆるりと曲げるその顔は、怖い以外の何ものでもなかったが。

「もしかして、もうジャラヒのことはよかった?」

そうカマをかけてみる。
するとダリアは、にこりと笑って。

「そう見える?」
「見えません。ごめんなさい。すみませんでした」

ダリアの笑顔がこんなに怖いとは思ってもみなかった。
少し柔らかい態度にはなったが、彼女は暗殺者だ。一度狙った獲物は逃さない。必ず依頼を全うするが信条。プライドを持っているのだ。ジャラヒを諦めたのか?と聞かれて、そうなの!なんて答えるはずがなかった。

「ちょっとね。気になっていることがあるの。あいつのことで」

怯えたソウヤに、ダリアは身を少し引いて、危害は与えないことを手を振って示した。

「あいつ?」
「凶悪兄弟のことよ。ジャラヒとね、ジェイン。…兄弟なの、知らなかった?」
「いや、知ってたけど…」

どうやら、ダリアなりに色々と考えているらしい。
ジェインからの依頼でジャラヒの殺害を企てていたダリアは、もっと盲目的なのだろうと思っていた。
ジャラヒを追っていた時の彼女がそうだったから。
リオの記憶がないので、ある程度は仕方がない。
ジャラヒ・ワートンは犯罪者だ。彼を危険視するのは仕方ないのだが、それでも、彼女はそれ以上にジャラヒに拘っていた。
拘らせていたのは、そう仕向けたのは、

(ジェイン・ワートン)

得体のしれない、ジャラヒの兄。
ダリアの幼馴染。暗殺者。
ドロシーも、彼のことは知っているという。
あまり詳しくは聞けなかったが、気高く優しい方だと、そうドロシーは言っていた。
まったくそうは見えないが。
ドロシーは人を悪くいうことはないので、その辺りは話半分に聞いておく。

ソウヤから見ると、ジェインという男ほど怪しい男はいない。
ジェインは偽名。ワートン財閥の跡取りで、暗殺者で、ダリアと幼馴染。
ダリアにジャラヒを処分するかどうするか任せるなんて、曖昧な依頼をして、このブリアティルトにやってきた。
ソウヤ自身、自分は怪しく見えることを自覚しているが、ジェインという男の比ではないと、思う。
そんな怪しい男の幼馴染であるダリアは、彼のことをどう思っているのか、そちらもいまいち掴みきれない。
幼馴染というくらいだから、仲がいいかと思えば、何日も口もきかないこともあるらしい。
特に行動を共にしている様子もない。
セリラートのほうが、ダリアにしつこくしているぶん、彼女と共にいることが多いくらいだ。
部隊メンバーとして以上の関係は、少し探ったくらいでは見えなかった。
それでも。

(きっと、なにかあるんだろうな…)


そう思うのは、邪推かもしれない。
けれど、ダリアはジェインの依頼を覆そうとはしないのだ。
盲目的にジャラヒを追うのは、ジェインの依頼だからというのもあるのだろうかと、そう思っていたので、ここでダリアが、ジェインを疑うようなことを言ったのは、少し意外だった。

そして、もっと意外なのは

「私がね、ジャラヒを追っていたのは」

ダリアが、自分の考えを、ソウヤに話そうとしていることだ。
思わず息を飲んだ。

「えっと、ダリア、いいの?」
「ん?」
「おれに話しても」

ドロシーに話すならわかる。彼女はなんでも聞いてくれるから。ダリアは、一味の中で、ドロシーを一番信頼している。長い間、同じ部隊で戦っていたからなのもあるだろう。
ロイに話すのも、わからないでもない。ダリアはロイを苦手と言うが、ロイと対等に並べるのは、おそらく一味の中ではダリアくらいだ。ジャラヒはロイとお互いぶつかり合いすぎる。淡々と仕事をこなす者同士、ダリアとロイのコンビネーションは悪くなかった。きっとダリアの考えも、ロイに話すことによって、何か得るものがあるだろう。
それなのに、部隊の誰でもなく、ドロシーでもロイでもなく、ソウヤに話そうとするなんて。

「何言ってんのよ。あんたしかいないじゃない」

それは、今この場に、という意味だったのかもしれない。
だけどダリアは、誰でもいいから、その場にいるから話すような、そんな人間ではない。
少し柔らかくなってきているとはいえ、まだぶっきらぼうで、初対面の人間と朗らかに話ができるわけでもなく、慣れてきても、自分の考えなんて、伝えようとするような、そんなことが出来る人ではなかった。
だから、その『あんたしかいない』は、『あんたでいい』の肯定に他ならなくて。
ソウヤは、何も言えずに、こくりと頷いた。

「そう、ジャラヒを追っていたのはね、ひとつは、何も言わずに消えたジャラヒに腹がたったから。銃殺確定、って思って。まあ、勢いってやつね」

勢いでやられる方は溜まったものではないが、ダリアの中では問題ないらしい。

「でも、まあ、一応仲間だったわけじゃない?そんな勢いで、いつまでも、殺す!とか思えるはずないのよ、ほんとは」

冷静に、自分を分析しながら、ダリアは目を背けずに言った。

「きっと私は、ジャラヒに執着があったのよね。だから、固執したんだわ。だけど…」

ジャラヒ・ワートンとダリア。
元は、護衛対象と、護衛という関係だった。その頃の話は、ソウヤも伝聞でしか知らない。
ドロシーと、ジャラヒとダリアと。リオが部隊長を降りた後、三人で部隊を組んでいたのだという。
ソウヤが知っているのは、9の巡りの時。
一度は元の世界に戻ったダリアが、ジャラヒを処分するかどうか見極めると言って、ブリアティルトに帰っていた。
ジャラヒもダリアも、殺されるだの処分するだの言っている割に、二人はどこか通じ合っているようで、楽しそうですらあったのだ。
二人の仲は悪くない、はずだった。

「だけど、その…私があの男に固執する、原因が、根底が見えない」

原因、根底、なぜ、ジャラヒに拘っていたのか。執着していたのか。
感情は確かにそれを告げるのに、冷静に考えるとわからない、とダリアは言う。

その答えを、ソウヤは知っていた。
リオディーラの存在だ。
ダリアの中では、もうリオの存在はない。

「何かすっぽり、抜けている気がするのよね」

リオの存在がないとなると、ジャラヒの存在も変わる。
それはもう、ソウヤに向かって「リオはおれの命」なんて真顔で熱烈なことを言える男のことだ。
リオがいないジャラヒなんて、すっぽり何かが抜けているどころではなく、まるでもう、腑抜けた掴めない霞のようなもの。
ダリアの中でジャラヒはどんな男になっているのだろう。
さぞかし悪逆非道なギャングに違いない。
ロイは、そのギャップの激しさで、リオがいない今と、リオの居る真実を見極めることが出来たと言っていたが、彼でなければそんな芸当なんて出来るはずはなく、ともすれば、ダリアのようにそのまま矛盾を抱えて苦しむしかない。

「それと、ジェインよ。実はね、ジャラヒを処分するかどうするか判断しろって意味の分からない依頼、持ってきたのはあの男なのよ」

ソウヤはそれを知っていたが、ダリアにとって、それはトップシークレットのはずだ。それをさらりと口にして。

「あの男は、怪しい!」

そう言い切った。

「い、いいの?幼馴染なんでしょ?あの人」
「あら、知ってたの?だから、あの男の怪しさは、私が一番良く知ってるわよ」

そう力強く言われれば、ソウヤも、「そう…」と頷くしか出来なかった。
どうやら、心配するまでもなく、彼女は彼女なりに、考えて、先に進もうとしているのだろう。
ソウヤが出る幕は、なかったのかもしれない。
だけど、ソウヤに話をしてくれたダリアのために。
ソウヤは、やっぱり、終わりの始まりのキーを打つことにした。
きっと彼女は自分で見つけるだろうけど、あの男の立てているだろう計画の一部として知らされるより、こうやって先に示した方がいい。
悩むかもしれないけれど、突然告げられて、混乱させられるより、よっぽどマシだ。

「ダリア。おれからはひとつだけ」

混乱させられる、というのは同じかもしれない。
だけど、彼女なら、きっと答えを見つけ出すだろう。

「ダリアはどうやってここに来たか、覚えてる?」
「?」
「君は、ちゃんと知ってるはずだ。君が、ジェインが、どうやってここに来たのか」

この世界には、黄金の門なんて便利なものがある。
だけどそれは、例外はあれど、本来、自由自在に使えるものではない。

「考えてみて。それで、全部わかるから」

話は終わりだ。お茶を飲み干して、ソウヤは立ち上がった。

「ごちそうさま。美味しかった。英雄戦、出るんでしょ?がんばって」

ダリアはしばしきょとんとしていたが、手を振るソウヤに頷いて見せたので、大丈夫だろう。

とりあえず。
これでソウヤの出来ること全てだ。
あとは、英雄戦と呼ばれる最後の戦いを待って、1000年を迎えて、新しいめぐりに入って…

(ちゃんと、みんなで、迎えられたらいいんだけどな)

ソウヤには、そう祈ることしかできないけれど。



□■□■□■



鼻につんとくる鉄の臭いと、煙たさに、ジャラヒは思わず咽返りそうになった。
咳払いして、胸をとんとんと叩く。

「っひゃー、懐かしいな…」

降り立ったのは更地だった。
以前はきちんと本拠地としての建物があった場所で、こんなすっからかんな土地を見るのは初めてだったけれども、それでも感じる懐かしさは、ブリアティルトとはまるで違う空気のせい。
普段あまり気にはしなかったが、都会とされるアティルトでも、空気は綺麗だったんだなと思う。
見上げても汚い鉛色の雲しか見えないここと、青空で明日の天気がわかるオーラムと、比べるまでもなかった。

懐かしいを連呼して、きょろきょろと周囲を見回すセリラートを放置して、ジャラヒは目を瞑った。
ここはスラムの一角。
廃ビルだったここを根城に、赤き雨はあった。
入り口はガキどもの中でも鼻の利くやつらが陣取っていて、何かあったら、その隣の部屋にいるセリラートに報告することになっていた。セリラートが入り口近くの部屋を陣取ったのは、彼いわく、奥まで行くのが面倒臭いから、とのことだったが、それだけが理由ではないことは、仲間全員が知っていた。
何が攻めて来ても、その部屋の奥に怪しい物が足を踏み入れたことがないのが答えだ。
赤き雨の特攻隊長にして守り神なんて、相反する二つ名で子どもたちに憧れられていたセリラート。
この部屋が破られたのは、最後のあの一度だけ。
あの日、セリラートがジャラヒを呼びに行かなければ――。
そんな悔いを彼は決して口にしない。
言ったところで何も変わらないと知っているからだ。
――あの日。仲間たちは、何かを悟ったようで、セリラートに、すぐにジャラヒを呼んできて欲しいと言った。
ジャラヒが居るのは、ワートン財閥のあの高いビル。街を象徴するビルの中。街中で一番セキュリティが高いあそこに、ジャラヒを呼びに行けるやつなんて、セリラート以外にはいない。
絶対に大丈夫だから。すぐにあの人を連れてこれるのはセリラートしかいないから。信頼してここを任せて、すぐにジャラヒを呼んできて欲しい。
そう言われて、セリラートはここを後にして…ジャラヒを連れて戻ってきた時、もう誰も生きてはいなかった。
後悔がないわけないのに、セリラートは何も言わないから、ジャラヒだって何も言えなくなる。

更地になってしまったそこを一歩歩く。それからもう一歩。
もう少し進んで、ここがセリラートの部屋だった所。
それからもう少し奥に行って、右に曲がって、ここが…

「セリ。お前の言う、おれが何か探してたって場所。…お前がブリアティルトに飛ばされた時の場所、ここでいいか」

ここは、いわゆる談話室。
本棚のある部屋。ここでジャラヒは、よく子どもたちに絵本を読み聞かせていた。

「ん。ああ…」

今はもう何もない。更地だ。

別に、ちゃんとした手がかりが残っているとは思わなかった。
感慨はある。だけど、それに見合うだけのものなんて、ここにはない。ただのスラムの一角の更地。
だけど、どうしてもここに来たかった。
もう一度目を閉じて、静かに手を合わせる。
それに習って、セリラートも息を鎮めたのがわかった。
手を合わせて祈る。
後悔は口にできない。だけど…

(不甲斐ないボスで、本当に、ごめん)

ジェームズに、エイミー、ベネッタ。トルノにモンテーザ、ここで死んだ、たくさんの子どもたちに。

(遅くなって、ほんとにごめんな)

子どもたちには、謝りたかった。
きっと、ジャラヒが帰ってくるのを最後まで待ち望んでいたに違いない。
許してくれとは言えないし、許されるとも思っていない。だけど、謝らない理由にはならない。謝罪と、こんなジャラヒを慕ってくれたことに対する感謝を。
手を合わせて祈って、しばらくして、ジャラヒは立ち上がった。





「相変わらずでけーな。おまえんち」

向かったのは、ワートン邸。
自分の家だ。自分の家だが…ひさしぶりに見るそのデカさに、今までそんなことを思ったこともない圧倒感を感じる。
アティルトで暮らしていた家と比べてはならないことはわかっている。
だが、あの赤雫☆激団の本拠地と、別邸にいた頃のことを…本拠地はやっぱり広くていいよな~などと言っていた自分の言動を思い返して、少し虚しくなった。

「っていうか、お前のしたかったことって、里帰り?」

脳天気に後ろで言う男のことは無視しよう。
話すと言ったのに、長い話は嫌だと拒否したのはセリラートだ。
せいぜい、わけがわからず翻弄されるがいい。

「さて、どっから入るか…って、おいセリ!」

自分の部屋の方向を探っていたジャラヒだったが、堂々と玄関で呼びベルを鳴らしている男の姿を見て悲鳴を上げた。









「おまえんちだろ?別に忍び込まなくても…」
「傭兵生活が長くて忘れてるかもしれないが、おれは指名手配犯だ」
「あー。やっちゃったのか…」
「…なんでおれ、お前が頼りになると錯覚したんだろ」

執事か誰かが出てくる前になんとか逃げ出した。
ぐるりと屋敷の周りをまわって、どうにか目の届かない所で落ち着く。

「よくわからんが、つまり、おまえの部屋に行きたいってことか?」

やっぱり説明は必要だったのかもしれない、と頭を抱えたジャラヒ。
その思惑をようやく読み取ったセリラートは、ぽんと手を打った。

「まったく、そういうのは早く言えよ」

やれやれと肩をすくめて、ジャラヒの肩を叩いた後、どこからかロープを取り出し、それをひょいと投げて。
窓枠に上手く固定させ、ぐいとロープをひっぱり、強度を確認。

「あそこの窓は死角になってるから、そこから入って右に真っ直ぐいけば、おまえの部屋だろ?」

身軽にロープを使って窓に乗り上げたセリラートは、

「おい、ジャラ。早くしろ」

やっぱりとても頼りになることが発覚したので、ジャラヒは頭を下げて、それからロープを掴んだ。

「頼りになりますセリラート先生」
「任せなさいジャラヒくん」


そういえば、昔から、ジャラヒがどこにいても、セリラートは呼べばすぐに姿を見せたものだった。
屋敷の警備もそんなに甘いものじゃないはずなのに、必要なときに、彼は必ず現れる。
屋敷でも、ワートン財閥のビルでも、どこでも。
自分の家のセキュリティがそんなにザルなのかとちょっと心配もしたが、だからといってジャラヒにとっては好都合でしかなかったので、気にはしていなかった。
セリラート曰く、セリラートに全てを教えた育ての親のほうがもっと上手く忍び込めていたらしい。
ともかく、セリラートは屋敷の住人だったジャラヒよりも屋敷を理解していた。

「まあ、もう何年も経ってるわけだし、俺が知ってた頃と同じとは限らないけどな」

と言いながらも、「そこに監視カメラ」「そっちは見張りの溜まり場」などと誘導し、あれよあれよという間に、ジャラヒは見覚えのある部屋に来た。

「鍵は…かかってないみたいだな」

ゆっくりと扉を開ける。
開けると、そこは懐かしき自分の部屋だ。

「……」

自分の部屋、だった場所。

「ん、まちがえたか?」
「いや、あってる」

何かを期待していたつもりはなかった。
もう、何年も経っている。
自分の居場所だったその空間が、そのまま残っているはずはないと、わかってはいたけれど。

「……」

その何もない空間を見回して、何の感慨もわかずに、ジャラヒは首を振った。
ここが、自分の部屋だったことは間違いない。
柱の傷…ドロシーに身長を測ってもらったときにつけたものだ。
床の、古ぼけていたが、絨毯の染みも。夜中に気取ってブラックコーヒーなんて作って、あまりの苦さについ吹き出してしまったときのもの。
それ以外に、もう机もベッドも棚もない。何もない空間。
だけど、ここが自分の部屋だったことはわかる。

「何か、探してたのか?」
「それも言ってなかったっけ、本だよ」

黄金の国の絵本。
燃えてしまったあの絵本は、一冊ではなかった。
全何冊だったかは忘れたが、長い本だったので、いくつかに分かれていたことは覚えている。
その内の一冊を、スラムの子どもたちに、と持っていったのだったが、数冊は、ジャラヒの部屋にあったはずだった。

「弱ったな…」

処分されていたとしても不思議はない。だが、自分は思っていた以上に期待もしていたらしい。ここにないことに落胆する。
他にあるとすると…

(父さんの書斎か母さんの部屋。図書室、か)

目星をいくつか付ける。
一番ありそうなのは母親の部屋だ。
なにせ、あの物語を一番最初に語ってくれたのは、ジャラヒの母親だ。
ジャラヒが物心ついた頃に亡くなった母親。
ほんの少しだけ覚えがある。ベッドの中で、ジャラヒを膝に乗せて、あの絵本を読んでくれた微かな記憶。
すぐに母は寝たきりになって、ジャラヒに本を読んでくれる役目は、ドロシーに変わった。
亡くなって数年経っても、母の部屋はそのままだったから、もしかしたら、今もあのまま残っているかもしれない。
あの絵本が、厳格な父親の書斎や図書館に置いてあるとはなかなか思えなかったが、母の部屋なら、1冊くらいあるのではないか。そう思うのは簡単だった。

「セリ、もう一箇所いくぞ」
「了解」

母の部屋は、屋敷の奥だ。
表通りに面している側ではなく、静かな、物音もしない廊下を通った先。ジャラヒが屋敷に住んでいた時も、めったにこんな奥まで来たことはなかった。

足音を立てないように静かに進んで、奥の部屋の前まで来る。

「鍵が掛かっているはずだ」
「了解。任せろ」

主人が亡くなってもそのままになっていた部屋には、いつも鍵が掛かっていた。そういうものだと思っていたから、幼い頃のジャラヒは、それを疑問に思ったことはない。
だが、今となっては、思う。
何故、いつも鍵がかかっていたのだろう。
いなくなったジャラヒの部屋は、全て取っ払われ、鍵も掛かっていなかった。消えた犯罪者である息子のことはどうでもいいが、亡くなった妻の部屋は大切に取っておきたいのだろうか。
そう考えると納得は出来たが、あの父に、そんな感傷があるようには思えないのだが…

「ジャラヒ」

ジャラヒの思考は、セリラートによって止められた。

「鍵、空いてる」

ジャラヒを庇うように前に出たセリラートは、腰を低く屈めた。

「どうするジャラ、開けるか」

扉に手を掛け、ジャラヒを見ずにそう問うた。
部屋の中に、何かあるらしい。
ごくりと喉を鳴らして、ジャラヒも構えた。
いつもの癖で精神を集中させ、魔術を…使えるように、脳内で描いたビジョンは、すぐに霧散された。
舌打ちしそうになる。
ここでは魔術なんて、気軽に使えないことを忘れていた。
道具を使って、擬似的に似たようなことは出来るが、ブリアティルトにいたころに、ホイホイ使っていたものとは違う。この世界でジャラヒが頼れるのは、主には銃。
そんなことすら忘れていたことに自分で呆れる。すぐさま、懐に忍ばせていた銃を手に取るが、戦いでこれを使うことなんて、ブリアティルトでは殆どなかった。護身用に持ってはいたが、便利な魔術に頼りきりだったので、久しぶりの銃は、少し不安が残る。上手く撃てるかどうかなんて、こっちにいたときには思ったこともなかったのに。
それでも…と、息を飲んで、ジャラヒは、セリラートに目配せをした。
開けろの合図だ。
躊躇している場合などない、何があっても、この扉の中にあるものは、きっとジャラヒの望む手がかりに違いないのだから。




扉を開けて目に入ってきたのは、桃色のベッド。白いカーテン。古びているが上品な装飾の施された机、棚、本棚。
薄い空色の絨毯はカーテンの隙間から入る日差しを受けて輝いていた。
それから…

「…っ」

まるで、この部屋の主が亡くなっていることなんて感じさせないくらい整えられた部屋のソファで、コーヒーカップ片手に寛いでいたのは、グレーのスーツの壮年の男だった。
白金色の髪を後ろに撫で、短く整えられた顎鬚。刻まれた顔の皺は歳を感じさせたが…切れ長の緑の瞳が、彼を実際の年齢よりも若く見せていた。その瞳を、開いた扉に向けて。

「お帰り、ジャラヒ」

ワートン財閥総帥は、ジャラヒを出迎えた。

「父、さん…」
「え?オヤジさん!?」

全身が、時が止まったかのように硬くなった。
目の前に居るのは確かに、もう、何年も逢っていない父。

(待てよ…)

口の中が乾く。
ここで、こうやって逢うことは、もっと早く想定していてもよかった。
この家に行くということは、その可能性を、もっと吟味していて、よかったはずだ。
だけどジャラヒがその顔を見て思ったのは、

(何で、こんなところで…)

想定外という言葉だけだ。
まだ、早い。
まだ、顔を合わせるつもりはなかった。

だって、まだジャラヒはそれだけの力を持っていない。
もっと後で、もっと力をつけて、ここに帰ってくるつもりだった。
蘇るのは、あの日、この街を飛び出したあの衝動。
リオに出逢う前の、あの自分。
許せなくて、殺したくて、壊したくて、死にたくて。
死にたいのにしねなくて。どうしていいかわからなかった。
死にたかったのは、全てが自分のせいだったから。
死ねなかったのは、いつか、この男に…

(殺してやる)

復讐を、遂げようと思っていたからだ。
だけど、あの時の自分には、無理だともわかっていた。
嫌になるくらい冷静な自分は、父を殺めることは無理だと知っていた。知りながら復讐に舞い戻る勇気なんて、なかった。

ぐっと、拳を握る。睨みつける。
今ならやれるだろうか。
隣にはセリラートもいる。一人ではない。
対する父との距離は、7歩程度。
撃って当たらない距離ではない。

「お前もジェラルドも、目つきが悪いな。誰に似たんだ」

唇を噛みしめるジャラヒの前で、父は睨まれてもたじろぐことはなかった。
静かに見返して、それから、手にしたコーヒーカップを仰ぐ。一口。
喉を潤して、微笑みすら浮かべていた。

厳格なあの父親が…ワートン財閥総帥が、形だけでも微笑む姿を、ジャラヒは初めて見た。

「ダリアとは、逢えたか?ジャラヒ」

「何を…」
「聞いただろう、彼女から。君の護衛。頼んだんだ。お前は弱いから、すぐに死んじゃうんじゃないかと思って」

親切心とでもいうように。
投げつけられた言葉は、ジャラヒを強くえぐった。

(何を…)

何を言っているのだろうか。
ジャラヒの大事な組織を潰し、逃げ出したジャラヒを追い、それから突然護衛だなんて、ダリアを送り込んで。

(バカにするにも、ほどがあるだろ)

そうでもすれば、息子が言うことを訊くとでも思ったのだろうか。
それだけのために、殺したのだろうか。
スラムのあの子どもたちを。
そうすれば、息子は大人しくなると。
この男は、思ったのだろうか。

(…殺してやる)

もう一度、強く思った。
出来る出来ないではない。
やらないと、もうどうしようもなかった。
衝動で無謀なことをするのは、ジャラヒは好まない。だが、もうどうしようもない。
生まれて消えない殺意は、結果なんて求めずに、溢れ出るばかりだ。
目の前が真っ赤になる。
縋るようにセリラートを見ると、彼はただ、ひとつ頷いたので、ジャラヒはもうそれでよかった。
銃を取る。
当たるかどうかはいい、それを構えて放てば…

「リオちゃんには、逢えたかい?」

そうして、構えようとした銃が、手から、するりと落ちた。

「は…?」

床に落ちて、がちゃんと音がする。
だが、そんなこと、どうでもいい。

「お前、昔から好きだったな。あの子の話。今はブリアティルトにいるんだろう?」
「どう、して」
「それとも、魔法を解いちゃったのか、ジャラヒは。解かなければずっと幸せにいれたのに。残念だ」

父親の言うことが、よくわからなかった。

「ダリアから、お前がリオと幸せに暮らしてるって聞いて。それなら別に、いいかと思ったんだよ。ほんとは」

耳をすり抜けて、脳に入らない。
何故、ブリアティルトを知っているのか。
何故、リオのことを知っているのか。
リオのこと、それと、その結末まで。
するりと全部、まるで見たことあるみたいに当てて。

「だけど、お前は戻ってきた。物語を終わらせて。
 となると、もう良いだろう。幸せな物話はもう終わったんだ。ジャラヒ。ほら、めでたしめでたし。な?」

見たこともない、笑顔で。ジャラヒに微笑みかけた。

ジャラヒの知る父親は、違う。
いつも厳格で、妥協を一切許さず、現実的。
圧倒的カリスマで、財閥をまとめている、泣く子も黙るワートン総帥。
物語なんて読まなかったし、ジャラヒが小さい頃は、子どもである自分にも近づいてこなかった。
だからジャラヒは仕事に向かう父しか知らなかった。
ジャラヒだって厳しい父を避けていたし、二人で何かを話したこともない。
父についてなんて、ほんとは何も知らない。
だから、本当は父が、物語が大好きで、あの子の話も読んでいて、黄金の国を知っていたとしても不思議はないのかもしれないが…。

『もう良いだろう』

そう言った父の示すことは一つだ。
物語は終わったのだから、言うことを聞けと。
そう言っているのだと正しく理解できる。

「お前は、もう一度あの話を見たくてここに来たんだろう。ジェイン…母さんも、あの物語が大好きだったから」

ジャラヒには馴染みの薄い、母親の名前。最近でもどこかで聞いたことがあった。どこだっただろうか。そんなことをふと考える。
父親の戯言なんて、聞きたくなかった。

「残念だが」

ぱんと、手を打って。
まるで、ジャラヒが聞くまいとしていることなど承知しているかのように。
注意をもう一度寄せ付けてから、父はゆっくりと言った。

「ここにあの本はない。諦めろ。お前の部屋を処分するときに、ジェラルドが全部処分した」



「ジャラ」

父がそう言ったのと同時に、隣のセリラートが声低く呼びかけてきた。

「お前が探してる本ってやつ、絵本か?」
「へ?あ、ああ」
「表紙が黄色でタイトルがないやつ?」

何故急にそんなことを問うのか。
疑問に思ったが、セリラートの顔は真面目だ。冗談を言っている様子はない。
こちらを見ようとせず、視線はジャラヒの父親に向けたまま。
拳だけを腰の下で握って、息を飲んでいる。
その様子を見て、ジャラヒもはっと気がついた。
父親に気を取られて、注意を怠っていた。完全にミスだ。

「その本、ジェインの旦那の部屋で見た。ブリアティルトの。間違いない」
「ジェイン?」

聞き返して、それからすぐに思い出した。
この会話は、ここに来る前に、した。
ジェイン。ジャラヒの母親の名前。だが、ここで言っているのは、母親のことではない。
セリラートの言うジェイン。
それは、ジャラヒの兄、ジェラルドの偽名だ。

ジャラヒが納得したことに気づいたのだろう。セリラートは小さく頷く。
それからセリラートは薄く笑った。

「いいか、ジャラ。3つ数える。それから窓から飛べ」

視線をワートン総帥から離さないまま。
それでも、ジャラヒには、セリラートが指しているのは、総帥の死角、左隣の窓だとわかった。
幸いここは1階。少し地面より高い位置に接しているが、飛び降りるのに全く問題はない。

「何人だ?」
「知らん。多いのは確かだ。だが、隙をつけばやれる。だろ?」

(3)

本当は、ここで、父親を撃ったほうがいいのかもしれなかった。

(2)

だが、撃って、満足して、捕まって。
それで得られるものを考えると、復讐心には割にあわない。
憎いのは事実だ。
いつか、復讐を遂げてやりたい。
復讐を遂げて、子どもたちに、やってやったぞと、言いたい。

(1)

だけどジャラヒには、今はそう出来ない理由があった。
復讐よりも、優先すべきものが今のジャラヒにはある。

(0)

ゼロを頭に刻んで、大きく跳躍する。
父親が、何かを叫ぶのが見えた。
途端、扉が開いて、数人の黒服達が、部屋の中に飛び込んでくる。
銃を撃とうとしたジャラヒだったが、先ほど落としたことを思い出して、舌打ちしながら、窓の縁に手をかけた。
応戦するよりも、やはり逃げたほうが早い。
そのまま窓を飛び越えて、着地。大きく走る。それから―――

「行け、ジャラ!!」

部屋の中で、器用に身体を回転させて、黒服に蹴りを上げているセリラートを見た。
セリは、ジャラヒにそう叫んで、そのまましゃがみ、黒服の背後に回ってから、肘鉄を食らわせる。
一人、そのままもう一人。
攻撃を食らわせて、また叫ぶ。

「俺なら大丈夫だ。知ってるだろ!?お前なら!」

行けるかよ!と叫びたかった。
もう、あの時のような後悔は、したくなかった。
力足らずな自分を、悔やんでいる。
今の自分なら、なんとか出来るかもしれないのにと、そう思っていた。あの、全てを失った日のこと。
でも、今のジャラヒは、魔術は使えないし、銃だって落としていて、戦おうにも、もう窓の外にいて、もう一度舞い戻るなんて、バカのすることだとわかっている。

「元に戻る呪文!わすれんなよ!」

そう言って笑って、セリラートはもうジャラヒを見なかった。
窓に近づこうとする男たちを端から殴り倒し、攻撃を避け、蹴りを繰り出す。
セリラートは強い。
死なない。
殺しても死なない男だ。それは一番、ジャラヒがわかっている。

(…っ!!)

わかっているから、もう振り向かなかった。
唇を噛み締めて、走る。走って、走って、それから。
叫んだ。

あの世界に帰る、ブリアティルトの黄金の門を開く呪文。

踵を、三回鳴らして。

「―――おうちに、帰りたい!」





―――
――



空気が澄んでいた。
煙臭くない。

気がついたら。
あっという間に、元の世界の森の中。
黄昏の聖域。黄金の門がある、オーラム奥深くだ。
深い森なのに、青空が見えて、雲なんて、ひとつもなかった。
その青空の下で、ぜーぜーと息を吐きながら。

ジャラヒは、剣を片手に首元に蛇を巻いている男を睨んで言った。

「…あの、元の世界に戻る呪文ってやつ、間抜けすぎねえ?」
「ああ、あれな。あれはリオが使ってたやつ。おれのは呪文とかいらないんだけど、お前には、おれの方式より、リオの使ってたやつのが良いかなって思って。まさかほんとにそれで帰れるとは思わなかったんだが…すごいなリオの呪文」
「…そうかよ」

そういえば、ダリアが一度ブリアティルトから元の世界に戻った時、リオは彼女に、ブリアティルトに戻れる呪文を教えてあげたと言っていた。その呪文を使ってこちらに戻ってきた…と聞いていたが、こんな呪文だとは知らなかった。

「やあ、でも、あれだ。その呪文、おれの世界の本では、異世界に飛ばされた子が、もとの世界に戻る呪文としては結構有名所。そっから取ったのかな、リオは」
「へー」

雑談を重ねる元気もなかった。
もういいや、とジャラヒはその場にへたり込む。
すう、と息を吸って、やっぱりこっちのほうが空気は断然綺麗だな、なんて思って。
ともすれば、何かを考えそうになる自分の頬をパンと殴った。

「よし」
「で、どうするんだ?」

一人で帰ってきたのかと、ロイは聞かなかった。
何があったのか、とも。
今後の予定だけ、そう聞くので、ジャラヒも、淡々とそれに答える。

「兄貴にあってくる」
「兄貴?」
「ダリアと一緒にいる、ジェインなんて女の名前名乗ってる変態」
「変態なのか」
「知らん」

母親の名前を偽名に使うような男は、変態呼ばわりで充分だ。

正直な所、恐れる気持ちはあった。
何よりも恐ろしかった父親と対峙しておきながら、今更かもしれない。
だけど、ジャラヒにとって兄とは、父親とはまた違った恐ろしさを持っていた。
誰にも興味を持たず、一体いつも何をしているのか悟らせもしない。神出鬼没な男だ。
いるのかいないのか、わからない、優秀な兄。
得体のしれない、という言葉が一番合うかもしれない。
得体のしれない。それなら放っておけばいいはずだった。
だけど――
兄が、明確に自分に殺意を向けたことを、ジャラヒは覚えている。

幼いころに一度、リオと逢ったときのいざこざで一度、それから今回、ダリアを通じてもう一度。
未だかつて、兄から向けられた感情は、その殺意だけ。
それ以外は、こちらに興味なんて全くないみたいに、目を合わせたこともなかった。
いや、それともうひとつ。

『おまえは、どうしたい?』

リオと出逢って、兄の放った追手に追われて追い詰められた時、兄は、追手を通じて、ジャラヒにそう尋ねてきた。
ジャラヒが兄から受けたコンタクトは、殺意と、その意味不明な問いだけ。
それだけなのに、――それだけだからこそ、あの男が怖くて、震えてくる。

だけど、逃げるわけには行かなかった。
セリラートが教えてくれた手がかりだ。これを逃す訳にはいかない。
震える身体を抑えて、ようやくジャラヒは息を整えることに成功した。
立ち上がって、歩く。
ロイはそれ以上何も聞かなかった。
何もする気もないらしい。しばらく歩いた後、じゃあ、終わったら呼べ、とだけ言って、家の…赤雫別邸の方に向かう。
ジャラヒが向かうのは、本拠地の方だ。
別邸よりは大きいが、実家の屋敷とは比べるまでもなく小さな、ジャラヒの家。
そして、ここに、兄も居る。
ふう、と息をついて、ジャラヒは扉を開けた。



2014-02-19 : SS : コメント : 0 :
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第10期その5

久しぶりの赤雫☆激団本拠地の前まで来て、ジャラヒは重く足を止めた。

本当に久しぶりだ。
2年ぶり…だろうか。そう。リオが消えて、もう2年だ。
ジャラヒも2年、年を取った。
彼女がいた時は、このブリアティルトにいる自分の身体は、まるで時が止まったかのように変化はなかったというのに、彼女が消えた途端、全ての時は動き出したかのごとく、背も伸びて、髪も爪も伸びて、声も少しだけ低くなった。
それに気が付いたときは、笑い出したくなった。
まるで、リオがいた時間すべてが夢だったみたいだ。
あの子と出逢って、この世界に来て、繰り返すブリアティルトの3年間。
幸せすぎて悪夢みたいだと思っていたけれど、本当に夢だったのかもしれない。
だけど、リオがいたという存在の証はまだこの世界にあって、ジャラヒ自身もこの異世界にいて、ちゃんと存在しているのだから、ジャラヒが彼女を否定してしまうわけにはいかなかった。
もう一度、彼女に逢いたい。
逢うだけじゃなくて、夢じゃないという証明を、きちんとした証を得たかった。いや、別に夢でも、悪夢でも構わない。あの子がいればもう、ただそれだけでいい。
伸びてきた髪を乱雑に纏めて、ジャラヒは手がかりを追い求めた。

思い当たる手がかりは一つ。
『黄金の国の絵本』
ジャラヒが幼い頃に読んでいた、リオが主人公の絵本だ。
黄金の国というのが、オーラムのことなのだとしたら、その本に関する何か手がかりが、もしかしたら掴めるかもしれない。

そんなあるとき、ジャラヒはダリアに命を狙われていることを知った。
どうやら彼女は、酷くジャラヒを憎んでいるらしい。
絶対にジャラヒを処分すると言い切る彼女。
あ、これは確実にやられる。そう思ったジャラヒは姿を消すことにした。
彼女に狙われる原因は、ジャラヒにはわからない。
たしかに、前の巡りの彼女は「ジャラヒを生かすか処分するか見極めるために」と言って、ジャラヒを部隊長にしたのだったが、処分する方を選んだ理由、それと、そこまでジャラヒを憎んでいる理由に、全く見当がつかない。
だが、それをなんとかしようなんていう気力や余裕はジャラヒにはなかった。
誤解を解くよりも何よりも、重要なのはただ一つだ。
目の前から消えたあの子を取り戻すこと。
それしか考えられない。
正直言って、それ以外は全部邪魔でうざったいものにしか思えなかった。
ドロシーが寝込んでいることを知っても、ダリアが必死にジャラヒを追っていても、そんなこと、あの子を見つけ出さない限りは、どこか遠くの話にしか思えない。ピンと来なかった。
ただの邪魔な障害だ。

ダリアの手から逃れながら、リオの情報を探して、見つけた手がかりも不発。
元の世界に戻るために、黄昏の聖域を彷徨っても、全く無意味で。門はジャラヒの為に開かれることはない。
途方にくれかけながら、それでも諦められず、最後に選んだ手段。

あの魔神の力なら、元の世界に帰ることが出来る。

それに思い当たって、ジャラヒはそれでもすぐに行動には移せなかった。

あの魔神――ロイは、”こうなること”を知っていたのだ。
リオが消えることを知っていた。
知っていて、あのときジャラヒに忠告していた。
それを聞かなかったのはジャラヒだ。
あんな魔神の言うことなんて聞くもんかと、吐き捨てて、結果リオは消えた。
もう少し、あのとききちんとロイの話を聞いておけばよかったのだろうか。
リオに逢わずに、ロイの忠告通り避けていれば、リオは消えずにすんだのだろうか。

(あの時、リオに逢わずにいれば…)

後悔は、強く、深くしている。
だけど、ロイに何をどう言われていても、ジャラヒはリオに逢うことをやめなかっただろう。
後悔するとすれば、忠告を聞かずに逢ったことではない。
何が起こるのか、どうしてそうなるのか。
ロイの知っている何かを問いたださなかったことだ。
そして、それを言わなかった男のことを考えると、腹が立って仕方なかった。
きっと、あの男は、それ見たことかと言うだろう。
あんなに忠告したのに聞かないから、リオは消えたのだと。

その台詞を聞きたくなくて。それから、あの男の顔など見たくもなくて。
ジャラヒは、一番的確に目的を遂げることが出来る道を、ずっと避けていた。
避けて、それでも上手くいかなくて、どうしようもなくなって、初めて、ジャラヒはロイの元に行ったのだ。

面と向かって頼むなんて出来るわけなかった。
だから、罠を仕掛けて、痛めつけようと思った。簡単にはいかないだろうが、こちらだって、あの男の力を知っている。
ロイは、得意の剣術と、奇術のような蛇を操って戦う。
家の中での接近戦ではこちらが不利ではあるが、隙をつけばなんとかなるはずだった。
ロイは、魔神なんてやっていながら、敵ですらなるべく命を奪わないように戦う癖がある。
剣の道とはそういうもんだなんてよくわからないことを言って、礼を持って相手に対峙するのだとか。
何をバカみたいなことを言っているのかと思うが、ともかくそういうやつなので、ジャラヒが突然仕掛けても、まずは命を取ろうとはしないはずだ。
一気に攻めて、隙をついて、痛めつけた後、異界への道を開かせる。
そして、元の世界に帰れば、ジャラヒの目的はきっと達せられる。

そう思って、ロイが帰ってくる別邸に潜んでいたのだが。
ロイと対峙し、隙をついて攻撃するまではよかった。
傷も与えた。
あとは言うことをきかせて…と思ったのだが。

予想外だったのは、あの男が、リオを覚えていたこと。

ダリアにも、ドロシーにも、なかったことになっていたあの子の存在を、名前を、ロイは言ってのけた。
そうしてロイはジャラヒの隙をついて一本取って。
剣を置いたロイは、それ見たことかとも言わなかったし、あんなに忠告したのに聞かないからリオは消えたのだとも、言わなかった。
いつもは、あの余裕めいた顔で偉そうに、何かあったら力を貸すなんて上から目線で言いながら、自分からは動こうともしないあの男。
自分のポリシーなのか何なのか知らないが、強くなるための鍛錬だとかは欠かさないのに、余裕ぶって敵にトドメも刺さない。一体何様だ。必死になった姿なんて見せようともしない。そんなところがジャラヒは大嫌いだった。

が、目の前にいるロイに、そんないつもの余裕ぶったところは見えなかった。
ジャラヒにやられた足を、しかめっ面で抑えて応急手当。
蛇が包帯を巻いている姿はとてもシュールだ。格好悪い。
魔神だからリオのことを覚えていたのかとジャラヒが問うと、頷いて、魔神だから自分はなんでもあり。なんて大げさに言う。そのちょっと得意げな姿は、いつもみたいに、気取って『別に大したことない』だとか言うときよりも、よっぽどマシに見えた。
それからロイは、何やら考えるように唸りながら、ひとつ舌打ちをした。
何か面白くないことがあったのか、不機嫌そうに眉を寄せて、それから頷いて、ふっと面白そうに笑った。
まるで愉快なことでもあったかのように。
でも、別に嬉しいことがあったわけではないと、ジャラヒは知っている。
あれはあの男の癖だ。
敵に囲まれたときや、逆境に追い込まれたときに見せるロイの癖。あの悪そうな顔。
追い込まれたくせに笑うなんてマゾかと、ジャラヒがいけすかないと思っていたあの癖で、にやりと笑う。

それを見て、ジャラヒはなんだか呆れたような気持ちになった。

(…バカだ)

いけすかないと思っていた、余裕ぶったこの男は、実はただのバカなのだ。ようやくわかった。
思わずため息が出る。

「…何笑ってんだよ。気持ち悪ィ」
「いや」

戦闘バカだと知っていたし、実際ジャラヒもロイをそう揶揄したこともある。悪口として言っていた言葉を、しみじみと胸の内で呟く。

(バカだこいつ)

不思議と悪意は湧いてこず、ああ、ロイはバカなのだなと、ストンと納得した。
だって、こいつは今、一人で何か考えて、何かに腹を立てて、その何かよくわからないものからの喧嘩を、ぽんと買ったのだ。
そういえば、ジャラヒもロイに喧嘩を売って、それを買われなかったことはない。
余裕ぶった態度で、いかにも自分は穏やか無害ですなんて顔をしながら、売られた喧嘩はすべて買うのがロイだ。敵と対峙しても命はとらないと言いながら、ジャラヒより好戦的だ。
喧嘩を売っていた時は、その上から目線の態度に腹が立って、全然気がつかなかった。
よく考えれば、放っておけばいいのに、毎回毎回よくぞ喧嘩を買っていたものだ。
売っていた自分が思うのもなんだが、バカだ。
そうして、今、何かよくわからないものからの喧嘩を買ったロイは、ようやく本気になったようだ。目が爛々としている。
その本気になった原因は、何か目的があってというわけでは無いに違いない。
何か不快に思うことがあって、喧嘩を売られてたと判断したロイは、それを買ったのだろう。
それがきっと彼のスイッチ。

(もっと早く本気になれよ)

とつくづく思う。
もっと早く彼が本気になっていれば、リオが消えることは…と一瞬思って頭を振る。それとこれとは関係ない。
というか、買いかぶりすぎだ。
足に蛇を巻いて止血している男の間抜けさを見ると、つくづく思う。
こんなバカに、今までのジャラヒは、余裕ぶった態度だなんて、上から目線だなんて苛つきながら、それでいて、ロイのことを、何でも出来る万能な魔神様だと買いかぶっていたのだ。
でもまあ、実体はこの通り、売られた喧嘩を喜んで買う、ただの負けず嫌いの戦闘バカだ。

ジャラヒも前から知ってはいたけれど、初めてそれを他意なく納得した。
そう気づいてみると。
まったくもって、今まで何に苛ついていたのか不思議だった。
むかつく男なのには変わりないが、あれほど感じていた嫌悪感はない。
ただの戦闘バカに腹を立てるのもおかしい。
得体のしれない魔神は、ただのバカな男だったのだから、焦燥感を覚える必要なんて、なかったのだ。
こんな男に何を期待して苛立っていたのかと、以前の自分に諭したいくらいだ。


だからジャラヒは、素直にあの物語のことを語ることが出来た。
幼い頃、しつこくしつこく読んだあの話。
優しい女の子が、みんなを幸せにして、自分も幸せになる話。

きっと関係があるに違いないと、彷徨い歩いて見つけた手がかり。
見つけた一冊の写本は、確かにジャラヒの知っている話に似ていたけれど。
短くて、大事なことは何一つ書いていなかった。
これでは…ダイジェストでは駄目なのだ。
やっぱり、元の世界に帰って、本物を探さないと。
そのことをロイに告げると、貸し一つだなんて受け入れて、あっけなく、ジャラヒは元の世界に帰る手段を手に入れた。




が、その前に、ダリアに逢ってこいとロイは言う。
異界に送るのには少し時間がかかるらしく、その間に、ということだったので、そんな時間などないと言うこともできなかった。
ダリアとはいつか話をしないといけないと思ってはいた。
きちんと話をすると、約束したのに、ジャラヒはそれを破る形で本拠地を出てしまった。
それが、彼女の逆鱗に触れて、彼女はジャラヒを始末することを決めたのかもしれない。
そうかもしれないとは思うが、それでは納得できなかった。
だから、話をしたいと思う。
思うが……

(こええ…)

ジャラヒがアティルトをおおっぴらに歩けないのは、彼女たちが街中にジャラヒを指名手配し、明らかな殺意を持って、街に包囲網を張ったからだ。
おかげで、友人たちにも逢いに行けない。
まあ、友人たちを巻き込むわけにはいかないので、顔を合わさないようにはしているのだが…
それでも、幾人かはジャラヒの姿をとらえ、そっと忠告してきた。

『見つかると、本当にまずい。やばい。死ぬぞ』

言っている内容はみんな同じだ。
毒殺刺殺銃殺絞殺。
彼女はフルコースで計画しているらしい。
考えるだけで寒気がする。
それともうひとつ。
正直なところ、こっちの方が命の危機が最大級にまずいと感じさせるのだが…
なぜか、ここに、あの人がいた。

(やばい。今、あの人がいたらまじでやばい。やっぱりやばい。)

今、ジャラヒが玄関先で扉を開けることに躊躇しているのは、9割以上がそれが原因だ。
扉の向こうに、暗黒がある。
あの男が、何故ダリアといるのかわからない。
わからないが、ダリアだけならまだしも、あの男と会話が出来る気がしなかった。
今までだってそうだし、これからもきっとそうだ。
考えるだけで背筋が凍る。

(…やっぱり、無理だ。無理)

扉にかけようとした手を引く。
それから体を反転させて後ろを向いて。


「ジャラヒ?」

ジャラヒは、馴染みの男と再会した。

「おー、ジャラじゃん。久しぶり!」
「わー、セリ?久しぶりだなー元気そうで何より!」
「ジャラも、髪とか伸ばしちゃって。いっそうにチャラくなったなー」
「いやいや、おまえも背、伸びた?ってなんだよこの会話!」

気安く肩を叩きあって、朗らかに笑って。
生死不明だった旧友との異世界での再会にはふさわしくない会話をした後、ジャラヒは頭を抱えた。


セリ。
セリラート。
元の世界で、ジャラヒが作っていた組織、レッドレイニングのナンバー2にして、ジャラヒの親友。

「いやあ、やっぱりお前のツッコミいいな。しびれるわ」
「おれは、なんていうか、あー…」

組織を潰され、逃げているときにはぐれた親友。
生きているだろうとは思っていた。

「あー…言葉になんねえわ。おまえ、なんでこんなところにいんの?」
「感動した?ジャラヒくん。泣いてもいいよ。つーかお前、俺がここにいること知ってただろ?」
「まさかなーとは思ってたけど、見て見ぬふりしてたんだよ」


殺しても死なない男だ。
生きているとは思っていた。
むしろ死ぬのなら自分が先だと思っていた。
だけど、ダリアの近くでその姿を見かけたとき、まさか…と思いながら、彼である可能性を否定していたのだ。
だって、まさかこんな異世界で再会するなんて、偶然ではありえない。
リオを追いかけるのに一生懸命だったこともあり、何より、ダリアの近くにいるもう一人の人物のこともあって、彼らには近づかないようにしていたのだが。

「ふっふっふ。残念。本物のセリラートだ」
「いや、残念つーか生きてて嬉しいけどな。お前なんでここにいるんだよ。なんでダリアと…」
「それ言ったらさ、ジャラ」

目をパチクリさせるジャラヒに、セリラートは肩をすくめた。
それから溜息のようなものをついて、目を閉じ、それからゆっくりと開く。

「お前も、なんでこんなとこにいる?逃げてたんだろ?逃げとけよ。なんでここに来た?捕まりたいのか」

責めるような口調で…いや、実際、セリラートはジャラヒを責めていた。
舌打ちすらしかねない顔でジャラヒを睨む。

「な、なんだよ。おれの勝手だろ?ここはおれの…」
「逃げ出しといて、自分の家とでも言う気か?何しに来たって聞いてんだよ。言えよ」

いつも陽気なセリラートは、その朗らかさ故に誤解されやすいが、短気だ。
言い訳が嫌いで、答えを急ぐ。
先ほどまで笑っていたのにすぐキレるその態度に、仲間たちも、あいつの着火点がわからないと頭を抱えていたものだった。
とにかく、ジャラヒの前で、セリラートは怒りを抱えているようだ。
それがどの程度のものなのか、すぐにはわからなかったが、昔から彼のその癖には慣れていたので、ジャラヒも動じなかった。

「ダリアに逢いに来たんだよ。話がしたくて。もう、逃げるのにも飽きたしな」
「今はダメだ。許可出来ない」
「……なんでお前の許可がいるんだよ」

きっぱりと言われて、その言い草に次に腹を立てたのはジャラヒの方だ。

「おれがダリアと話がしたいっつってんだ。どけよ。あいつだっておれを探してるんだろ?丁度いいだろ。おれから行くってんだから」
「今はダメだ」

梃子でも退く気はないらしい。
短気な癖に強情で、融通の利かないセリラート。
それはお互い様だろうと周りは言うが、対立していつも折れるのは自分の方だ…とジャラヒが言うと、それはこっちのセリフだとセリラートも返す。
そんな仲ではあるので、このまま対峙していたところで、キリがないのはジャラヒにも分かっていた。
チ、と舌打ちして、セリラートを睨む。

(なんだ…?)

何故、そんなところで強情なのだ。
「だから、おまえにそんな権限あるのかよ」

それに何故、この男が出しゃばるのか。
ダリアが今まで追っていたのは自分だ。
その自分が逢いに来たのだから、喜ばれこそすれ、断られるとは思わなかった。
それに、これはダリアとジャラヒの問題。セリラートの出る幕ではない。
もしこれが、ジャラヒの身を案じての言葉なら、わからないでもなかった。
親友が、ダリアの手にかからないように、今は逢うなと、逃げろと言うならわかる。
だが――

「逃げた男よりかは、”そんな権限”あると思うがな」

目の前の男の言いぶりに、ジャラヒの身を案じるそぶりは全く見えなかった。

「とにかく、今まで通りお前は逃げてろよ。
 彼女に命乞いしたいなら、今度チャンス作ってやるから。今はダメ」
「…んだよ、それ」

(命乞い…だと…)

よりにもよって、お前が、それを言うのかと。
胸がカッと熱くなる。
何故彼がここにいるのかは知らないが、ここでジャラヒがダリアと共に過ごし戦ったことも、ジャラヒがどんな気持ちで逃げながら彷徨い、リオを求めていたかも、この赤雫☆激団のことも、セリラートは何も知らない。

だけど、彼は知っているはずだ。
絶対に折れない。命乞いだけはしない。まだ今より二人が少しだけ子どもだった頃の、二人だけの掟。
あのスラムで、共に組織を作って、彼の『親』の復讐を果たして。
子どもたちとあのスラムで、「ギャング」なんて、組織を気取って言っていたのは、彼ら…あのスラムの子供たちを守るためには、絶対に、何があっても自分たちだけは折れてはいけないと、そう誓い合ったからだ。
お互い、例え何かがあって、捕まっても、死にそうな目にあっても。
命を守ること、生き延びること。それよりほんの少しだけ上に位置づけた重要事項。
絶対に、折れない。命乞いをしない。
してしまったら最後だ。自分は良くても、スラムにいる大勢の子どもたちの命は、その瞬間消える。
ギャングだなんて、危険な犯罪者を名乗って街を掌握しているからなんとかなっているのだ。そのボスが命乞いなんてしたことが知れたら、その邪悪さは一気に地に堕ちる。命乞いなんてする小物組織に未来はない。
その砦が崩れてしまったら終わり。すぐに大人たちに蹂躙されて、スラムは元通り、あの汚い死の世界に舞い戻ってしまう。
逆に言うと、その砦さえ守れば、例えどちらかが死んだとしてもなんとかなる。
絶対に手を出してはいけないギャング組織「赤き涙雨・レッドレイニング」
その名前を守るため、二人だけが守る不文律がそれだった。

セリラートのセリフは、その二人の掟を踏みにじるようなものだった。
それだけは、許すことが出来ない。

「セリ、お前、それ本気で言ってんのか?」

本気だとしたら、どうしても許せない。
もう、組織は無くなってしまった。
守るべき子どもたちも、もういない。
全てが消えてしまったのだから、もう関係ないと、セリラートは言いたいのかもしれない。
だけど、だからと言ってジャラヒは、それを認めるわけにはいかなかったし、それはセリラートも同じことだと思っていた。

「んな怖い顔すんなよジャラ」

ジャラヒが睨みつけると、逆にセリラートは少しその顔を緩めた。視線を外して、自嘲するように口を歪める。

「俺だって、恨み事の一つや二つ言いたくなるってーの」
「…何が言いたい。」

茶化すような言い方に、思わずジャラヒが一歩前に出る。
だが、セリラートはそれに取り合わず、首を横に振って、ぽんぽんと顔の前で手を打った。

「あー、もうやめやめ」
「はあ?」
「お前が変わってないことは分かったから、なんかもうもういいわ」
「何の話だよ!」

何やら納得したようにセリラートは頷いていたが、意味がわからない。
喧嘩を売ってきて勝手に納得されてもこちらとしては溜まったもんじゃない。

「お前が相変わらずそーいうやつだなってこと」
「そーいうって」
「高慢で俺様基質でテンパると人の話を聞かないとこと独占欲強いとこ?」
「はあ?」
「まだ聞くか?」

突然始まった人格批評に、とまどうのはこちらの方だ。
セリラートはあまり人についてどうこう言う男ではない。
それを敢えて言うということは、やはり彼は怒っているのだろう。
怒っているから、先ほどから暴言ばかり出るのか。
セリラートは短気な男で、いつもカッとなりやすいが、それを後には引きずらない。こんな皮肉ばかりを連ねるような男でもない。
先ほどはついジャラヒも釣られてしまったが、もし、彼がそこまで何かに腹をたてているなら、こちらが冷静にならねばならない。
では、彼が何を怒っているかというと…

(…あ)

思いつくのは、ただひとつだ。

「ああ……悪い」

今更気づくなんて、自分で自分を消滅させたい。
バカだ。死んだらいい。
ぞっとした。
身体が冷える。
ほんとはもっと早く謝らなければならなかった。
セリラートがいるかもしれないとわかった時点で、すぐに、ダリアに殺されてでも来なければならなかった。
毎日毎日、罪悪感で打ち震えていなければならなかったのだ。
あのときみたいに。

リオと出逢って、ジャラヒは救われて、それから数年間、ずっとずっと考えないようにしていたこと。
絶対に忘れてはならないのに。ジャラヒはそれに蓋をした。
彼女が消えてからも、ジャラヒは彼女のことしか考えていなかった。
考えたくなかったのだ。
いつかは…と思っていたけれど、できることなら、悪夢でもいいから幸せな夢に浸っていようと、ずっと逃げていたけれど。

でも、セリラートにとっては、違う。

「おれが不甲斐ないから、あんなことになってしまって…」

組織を潰してしまったこと。
彼の怒りはもっともだ。もっともどころではない。
本当だったら、顔を合わせた途端殴ってきてもいい。
ジャラヒのせいで、組織は潰れ、みんな死んでしまった。
あんなに守ると粋がっていたのに、守れなかった現実。
そして、その上、ジャラヒは逃げてきたのだ。
リオに出逢って、救われさえして。
救われる価値なんて、あったもんじゃなかったはずなのに、ジャラヒはその手を取ってブリアティルトに辿り着き、そのうえ、その手をまだ欲してさまよっている。

「本当に、すまない。セリラート」

殺されても文句は言えない。
ずっと、心にはあった。
あんなことになったのに、ブリアティルトで、こんなに幸せに生きていていいのかと、悪夢ばかり見ていた。
でも、忘れてはならないと思いながら、のうのうと生きて、そっと、同時に忘れようとしていたのは事実だ。

「あんな、ジャラ」

唇を噛み締めて頭を下げたジャラヒの上から降ってきたのは、セリラートのため息混じりの呆れ声だ。

「人の話聞けって言ってるだろ?」

彼は、がしっとジャラヒの頭を掴んで。

「おれが怒ってんのは、2つな。一個は、ダリアちゃんに追いかけられてるだけでも羨ましいのに、彼女を自分都合で振り回そうとしてること」

ぐいっと顔を上げさせる。

「もう一個は…今解消した。まあ、これは怒ってたっつーか、もやもやしてたっつーか、まあ、すっきりしたからいいや」

顔を上げさせられたジャラヒの前に、ぐっと拳が握られる。
ほら、と促されて、きょとんとしていたジャラヒもようやく何がしたいのか気がついた。
よくわからないが、ともかく。

「おかえりジャラ。生きててよかった」

右手を上げて拳を出すと、ニカッと笑ったセリラートが、力強く拳を押し当ててきた。








セリラートが口を開くのを、ジャラヒはぽかんとした顔で見ていた。
とりあえずこっちに来いと連れて来られたのは、先程までいた赤雫☆激団別邸だ。
帰ってきたジャラヒの顔を見たロイは、セリラートが手を振るのを見て、溜息をついて席を外している。
部屋にいるから、何かあったら呼べとのことだ。
ジャラヒとセリラートが顔を突き合わせているのは、床の煤けていいる居間。
ドアは辛うじて直っている。おそらくロイが直したのだろう。見つかったらドロシーに怒られる。その脅威は魔神である彼も恐れている。
そんな中、汚れたソファに腰掛けて、ジャラヒはセリラートの話を聞いていた。

「えーっと?」
「ああ、お前が『赤き涙雨』に火を付けて、出て行ったあとにな」
「ちょちょちょ、ちょっとまて!」

話がしたいとセリラートが言うので、素直に聞くつもりだったが、第一声から聞き逃せなかった。

「おれが火をつけたってなんだよ!」
「だから、お前が、ガキどもをみんな惨殺。組織に火を付けて逃げた後の話だ。大犯罪人ジャラヒ・ワートンくん」
「はああ!??」

聞き逃せなさすぎて立ち上がる。
いや、聞き逃せないというレベルではなかった。

「なんでおれがあいつらにそんな事するんだよ!
 おれがオヤジに呼び出されて仕事してたときに、組織が大変だって、知らせてきたのはお前だろ!?」
「そーそー、だけどそれはお前が仕組んだ罠で、お前は部下を用いて組織に陽動をかけた後、俺をそこから離して、その間に一網打尽で組織全滅。その後、俺と一緒に組織に戻り、嘆いたふりをした後、俺の隙をついて火を放ち、俺もろとも証拠隠滅。という筋書き。まあ、俺はこうして生きてるけど」

セリラートの語るそれは、めちゃくちゃだった。
だが、違っているのはジャラヒの行動のみで、その時のセリラートの行動や、周りの様子を話ても、齟齬は全く見当たらない。
曰く、なんとなく遊びで組織を作った、ワートン財閥の次男坊ジャラヒ坊ちゃんは、ギャングごっこにすっかり飽きてしまい、頭だけはキレるので、陰険で緻密な計画を作って、仲間を裏切って組織を壊滅させたそうである。

「……それをお前は信じたのかよ」
「信じたっていうか…」

淡々と語っていたセリラートは、そこで言葉を濁した。
珍しく言いづらそうに口ごもって、それでも言うことはきっぱりと。

「俺は、お前が火をつけるところは見たからな」
「は??」
「お前がそんなことするはずないのは、俺だって知ってる。あいつらを大事に思ってたことも。でもお前は火を放った。それは事実だ」

思わず、セリラートの目をじっと見る。だけど、彼が嘘をついている様子は全く見えなかった。
もとより、嘘を付くくらいなら沈黙を選ぶ男だ。
嘘などないことは知っている。

だが、

「おれは、火とかつけてない、ぞ」
「本拠地に辿りついて、血が落ちていて。ジェームズが死んでた。隣の部屋にはエイミーとベネッタ。俺は他の連中を探して飛び出した。お前は、…何か、探しているようだった」

ジャラヒをボスと慕うジェームズが倒れていたのは覚えている。
仲間たちがみんな死んでいたことも。
ジャラヒも駆けずり回って、生存者がいないことを確認した。
それから、セリラートとはぐれ、いつのまにか横にいた実家の黒服共に、「行きましょうぼっちゃん」と声をかけられ…
ジャラヒはその男を撃って逃げた。
この騒動は、ジャラヒの父が起こしたもので、その男もここをやったうちの一人だと気がついたからだ。

それがジャラヒの記憶だ。
火を付けた覚えも、何かを探した覚えもない。

「お前は、火をつけた後、走って逃げた。それは俺も見ている。
だけど、お前がジェームズたちをやったところは、俺は見ていない。みんなお前がやったことになってるが、俺はそうとは思えなかった」

正直もやもやしてたけどな。
と付け加えるセリラートの言葉も、ジャラヒを混乱から救うことはない。
むしろ、混乱は大きくなるばかりだ。
他の奴らが、ジャラヒがやったことだというのはまだいい。ただの陰謀だ。痛くも痒くもない。
だが、他でもない、一緒に過ごした仲間のセリラートが、火をつけるところを見たという。

「どういうことだ…」
「知らねえよ。そーいうことを考えるのはお前の役目だろ。俺は難しいことは知らねー」

胸を張って言い切るセリラート。
火を付けた所を見たと言いながら、かつての役割を示唆するのは、ジャラヒを信頼していると暗に言ってくれているのだろう。

「でもまー、わからんことを考えても仕方ないだろ」

脳天気にそう言うが、きっと彼は本気でそう思っているわけではない。思い悩み癖のあるジャラヒに、考えるのはお前の役目だが考えすぎるなと、いつも言っていたのがセリラートだ。それは当時のジャラヒにとって、ひとつの支えになっていた。
今もだ。もう何年も顔を合わせていないのに、そういうところは変わらない。そんなことが、少しジャラヒを落ち着かせる。

「まあ、そうだな。で、セリ、お前はどーやってここにきたんだ」

合わせるように、ジャラヒも思考を切り替えた。
ブリアティルトには、異世界人が多い。
黄昏の聖域の、黄金の門が原因だ。
異世界を繋ぐ黄金の門は、今回ジャラヒが利用しようとしても全く何の素振りもなかったように、利用しようとして出来るものではない。
何かの<上位>魔力の介入で開くことがあるらしいが、その詳細は明らかになってはいない。
ただ、狙って開かないのに、狙わなくても開くことがあるのが黄金の門だ。
ジャラヒの友人たちも、門を通って、気がついたらここにいたというものが多い。
ジャラヒたち赤雫☆激団のメンバーは、ほとんどが、リオの介入でこの世界に来ている。
ロイだけは別で、その魔神の力に寄って、異空間を自由に行き来出来る。よって、ジャラヒも今回、彼に力を借りようと頼んだのだが、リオディーラの存在も、ロイともオーラムで初対面だというセリラートが、どうやって、この世界に来たというのか。

「やっぱ。黄金の門?」

尋ねるとセリラートは首を縦に振った。

「ああ、ジャラが火を…すまん、その後。お前が何を探してたのか、火の中でちょっと探ろうとして…」

火を付けた後、と言うところを少し濁して、彼は続けた。

「灰が…あの本棚のところに、不自然に灰があって、それに触れて…気がついたら、黄昏の聖域にいた」

そのあとは、ここではよくあることだと街の住民に言われ、そういうものかと傭兵になって、オーラムでダリアと逢うまでは、マッカにいたらしい。
端折った説明だったが、リオの力でもロイの力でもなく、他の傭兵たちのような、黄金の門の作用でここに来たのか。
と、ジャラヒは納得して…

(いや、まてよ)

思考に待ったをかけた。
灰。
本棚。
燃えた、本。

(あ)

ひとつ、思い当たることがあった。

本棚のある部屋。煤けた本。
組織が健在だったころ、子どもたちに毎日読み聞かせていた、絵本。
少女が、願い事を叶えるために黄金の国を目指す話。
あの絵本。

あの部屋で、あの場所で、あのとき、ジャラヒもその本を見た。
灰にはなっていなかったが、煤けてもう読めなくなっていたあの絵本。
ジャラヒが見た時には、セリラートの言うような、黄金の門を繋ぐようなことはなかった。
あの時は、もう読んでやることはないんだと虚しくなるだけで、そこに意味なんてなかったけれど。
あれが、リオの本だとわかっている今、無理やりのこじつけかも知れないが、その本とこの世界を繋ぐ何かが、きっと何かがあるのではないかという、小さな希望が、どくどくと胸を鳴らす。

(手がかりだ)

何がどんな手がかりなのか、ジャラヒにはわからない。
だけど、それは、かつてないほど明確な手がかりだった。

「…セリ。おれ、行ってくるわ」
「は?」
「ほんとは、ダリアと話してからにしようと思ってたんだけど、今まずいんだろ?」
「いや、まずいっていうか、ダリアちゃん今大事な時期だし、おまえがまだ何を考えているのかわからなかったから、気を散らしたくなかったっつーか…」

言われて、ジャラヒは自分のことしか考えてなかったことに気がつく。
何を考えているかわからない危ない男を、リーダーに逢わせるわけにはいかないというのも、冷静になればわかった。
赤き涙雨にいたときだって、彼はそうして、ジャラヒに振りかかる火の粉を払ってくれていた。
今は、それをダリアにしているだけだ。
そう思うと、少し寂しくもあったが、ダリアに彼がついていてくれることを思うと、心強くもある。
なにせ今、ダリアの近くにはあの男もいるのだ。
ジャラヒが心配するのは大きなお世話かもしれないが、それでも、同じ部隊で何度も共に戦った仲間。
仕事だから護ると言ったり、処分すると言ったり、はた迷惑な女性ではあるが、ジャラヒも彼女が嫌いではない。
口は悪く、その態度から冷たさが目立つが、あれでいて結構お人好しのところもあるのだと、ジャラヒは知っている。
ジャラヒがリオについて悩んでいる時は、なんだかんだ言って相談にも乗ってくれた。
その口から出てきたほとんどが『意気地なし』だとか『ヘタレ』だとか、そういう言葉ばかりだったが。
ダリアのことは、なんとなく、部隊の中で自分が一番知っていると思っていた。
だから、このほんの少しの寂しさは、ダリアに向けたものなのか、セリラートに向けたものなのか、曖昧な寂しさだったが、どちらにしろ女々しいものではあるので、自嘲混じりに笑って、ジャラヒは首を振った。

「わかってる。まあ、そっちは任せた。おれはちょっとやることがあるから、しばらく留守にする」
「やること?」
「んー、話せば長くなるが、ちょっと元の世界帰ってくる」

セリラートは、長い話なら今度でいいやと首を振って来たが、多分今後も聞く気もないのだろう。面倒くさい話が嫌いな男だ。
苦笑してジャラヒが立ち上がろうとすると、待て待て、とセリラートはジャラヒ手を伸ばした。
ぽん、と肩に手を置いて。

「じゃ、おれもいくわ」

あっさりと、そう言う。

「は?」
「だから、お前だけじゃ心配だから、俺も行く。別に何か準備が必要なもんはねーよな?」
「いやいや、ダリアは任せたっておれ今言ったよな?」
「ダリアちゃんには旦那がついてるけど、お前はどうせ友達いないロンリー・ボーイだろうが」
「いるわ友達くらい!じゃなくて、旦那??」
「ジェインの旦那。おまえの兄貴!」

セリラートが答えた名前は、ジャラヒの兄の名ではなかった。
だが、あの男がダリアの近くにいるのはジャラヒも知っている。セリラートの言う『ジャラヒの兄ジェイン』があの男なのは間違いない。

「セリは、あの男を信用してるのか」

口の中が乾いて、ごくりと唾を飲む。

「は?お前の兄貴だろ?」

聞き返したセリラートは、ジャラヒの顔色を見て、しばし考えてから首を振った。

「傭兵としては信頼はしている。部隊の仲間としても頼りにはしてる。
 だけど俺は旦那のことはあんまり詳しくないから、信用してるかと言われると、わからんね」

ジャラヒの問いに、そう正しく答えて。

「お前が何を危惧してるのか知らん。だけど、あの人は、ダリアちゃんを傷つけない。それは言い切れる」

それから、ニッと笑った。

「旦那とお前なら、お前を信じるよ俺は。だけど、まあ、それ以上に自分を信じるとすれば、お前が危惧しているのがダリアちゃんの身の安全という意味なら、旦那がいりゃ大丈夫だろって思う。あの人過保護だからな」

そういう風に言われてしまうと、ジャラヒも反論などできなかった。
反論してしまえば、それはジャラヒがセリラートを信頼していないことになる。

「いやね、俺も悔しいのよ。ダリアちゃんの身は俺がかっこ良く守って、まあ、やっぱりセリってかっこいいのね。とか言ってもらいたいわー。そうそう、ちょっと聞けよジャラ。最近ダリアちゃんったら俺以外の男と仲良くしちゃってさ。みんなに配るってお菓子なんか作ってんの。でもあれ、目当ているのかなー、たまに考え事して赤くなってんの!かわいいけど!俺もおこぼれにあずかったけど美味かったなーお菓子。やっぱりさ、ダリアちゃんには幸せになってもらいたいし、変な男は叩きのめすって思ってたんだけど、変な男じゃなかったときは俺どーすればいいのって話で」
「あ、そういう話はどーでもいいわ」

ちょっとどこのダリアの話をしているのかわからないが、これ以上はいけない気がした。想像してはいけない。精神崩壊の危機だ。
ともあれ、話すと長くなるセリラートの雑談をぴしゃりと打ち切って、今度こそジャラヒは立ち上がった。

「セリ。今回は急ぎだ。サポート頼む」
「了解リーダー。俺に任せときゃ大丈夫だ。期待してろ」

おうと応えるセリラート。
どんと胸を叩いて。

「レッドレイニングの力、見せてやろうぜ」

この台詞を聞くのも、本当に久しぶりだ。
ここに来て、そっと、ジャラヒは自分の幸運を痛感した。

(アホだな、おれ)

リオが消えて、ダリアに追われて、自分は呪われているのではないかと思っていた。
全部全部、ジャラヒの元から消えていく。
脳内にあるのは呪詛のような恨み事ばかり。
ロイを恨んで、自分を責めて、寝ても覚めてもリオのことばかり考えていた。
自らの不運を嘆いて、恨んで、…でもそれは、本当は今に始まったことじゃない。
もっとずっと、昔から、恨み事ばかり思っていた。
いつからかはもうわからない。
幼少の頃はもっと、そうじゃなかった気もする。幸せでいっぱいだった。
だけど、物心ついたときからはそうだ。何でこうなんだといつも恨んでいた。
自分の生まれについて、ドロシーがいなくなったことについて、優秀な兄について。スラムの過酷な状況を知って、組織を作って、いい気になって、潰されて、守りたかったものも消えて、逃げて、彼女に出逢った。それから、ロイを恨んで、想いを告げたら彼女も消えて。
組織が潰されたのも、リオが消えたのも、全部自分のせいで。それを責めて。
全部、自分が手にしたものは消えるのかと、恨んで。
恨んで恨んで。

だけど違ったのだ。
ほんとはジャラヒは、誰よりも幸運だった。
あの家に生まれたおかげで不自由もない。これに関しては幸運かどうかはわからないけれど、それでも幸運だったのは、ドロシーと逢えたことだ。
彼女が乳母としてジャラヒを育てたから、今のジャラヒはいる。
それから、セリラートに出逢えた。
スラムを根城にする少年と友達になれたことは、奇跡中の奇跡で、幸運だった。
彼とともにスラムにギャングを作って、一時はスラムの子どもたちを救うことも出来た。
それを潰されて逃げた時だって、そうだ。
リオに出逢えた。ジャラヒの全てを救ってくれた少女。
彼女に関しては、言葉も無い。いなかったら、生きていけなかっただろう。それだけは事実だ。

ジャラヒは、少なくとも生涯で、三度の幸運を得ている。
失った事ばかりに気を取られ、嘆いていたけれど、この三度の出逢いは、その一度だけだって、幸運という言葉では足りなかった。
そうして、今はその幸運の一つが、もう一度手を差し伸べてくれている。
ずっと、自分は不幸だと思っていたが、まったく、そんなことはありえなかった。
気づかなかったのがアホらしい。

こんなに幸運なのだ。
なんだって出来る。
消えたから、奪われたからなんだっていうのだ。
もう取り戻せないものは、確かにある。
だけど、それは、まだ微かにある希望を否定する材料にはならない。

「…さんきゅ、セリ」
「ん?なにジャラ、感動して泣いてんの?」
「泣いてねーよ!」

ふう、と大きく深呼吸をする。湧いてくる力を受け止めて、拳を握った。
負ける気は、もう全然しない。

「よし、レッドレイニングの力、見せてやるか!」
「いや、それさっき俺が言ったよな」














2014-02-17 : SS : コメント : 0 :
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第10期SSその4

嫌な予感がする。
と、ロイは、自宅…赤雫☆激団別宅に入ろうとした足を止めた。

遠征帰りの午後。
ドロシーは、本宅の方で部隊の手伝いをするために留守。ソウヤも今朝方どこかに出かけて行った。おそらく家には誰もいないはずだ。ぶらりと帰っている可能性はあるが、それならそれでいい。
問題は、そうではない場合だ。
検討しなければならないのは、なにかやっかいごとが舞い込んでいる可能性。
その、普通なら気のせいかもしれない予感を、ロイは静かに認めた。
認めて、腰の剣に手を添える。
ロイは、自分の直感を信じている。
直感。魔神アスタロトとしての力と言ってもいい。
手に入れたばかりの時は、その不可思議な気配や予感に戸惑っていたものだったが、今となってはもう自然に全てを感じることができる、不思議な力。
理屈は分からない。何が危険なのか、どうして危険なのか、原因は分からずとも、自分の直感がそう言っているのなら、それを疑う方が危険だ。

(ケツアルカトル)

胸の内で、名前を呼ぶ。
するとそれにこたえるように、ロイの袖元からするりと蛇が這いだした。
蛇は、ロイ――アスタロトにとっての力の源であり、象徴だ。
聖蛇ケツアルカトルと、邪蛇ウロボロス。
実体なく、魔力のみで出来ているその蛇は、ロイに忠誠を誓う、手足とも言える忠臣だ。
戦闘時ではロイの動きをサポートしてくれるケツアルカトルと、相手の動きを縛り付けるウロボロスの力を借りて、ロイは戦場で剣を振るっている。
戦時でなくても、手が届かないものを取る時だとか、尾行だとかにも使ってしまうその力。あまりにも便利すぎて、手足のようになるまで慣れ親しんものだ。

(頼むよ)

その力の一方であるケツアルカトルにそう小さく声をかけ、ロイは扉に手を伸ばした。
蛇は、ロイの手を伝ってドアノブに張り付き、それからすらりと鍵穴へと消えていく。
待つことしばし。
途端、蛇の気配が消え、ロイはごくりと唾をのんだ。

誰かがいる。
そして、その人物は、ロイが中を窺うために忍ばせた魔力の蛇を、簡単に潰した。
気配の消滅からそれを理解し、ロイは剣を抜いた。

只者ではない。気のせいでもなかった。
何かが、この中にいる。

(悪い、もう一度だ。カトル!)

その名を呼び、足元に蛇を呼び出す。と同時に、扉を開けた。
勢いよく一歩踏み出すロイを支えるように、足元で蛇が渦巻く。
ケツアルカトルの作りだした渦は、ロイの身体をどこまでも軽くする。
一気に加速したロイは、居間に躍り出て、そして。
居間に佇んでいたその男の姿を認めるのと、背後の扉に穴が開くのは同時だった。
一歩遅ければ、ロイの腹の真ん中にに穴をあけたその攻撃に、動揺する暇もなく、ロイは続ける。

「来い!ウロボロス!」

男の方に手を伸ばすと、先ほどと違う黒い蛇がロイに応じて伸びる。
漆黒の闇の蛇は、男に向かって直線を描き、それと並ぶように体を走らせ、ロイは剣を振り上げた。

「この…!ドア壊したら、ドロシーが怒るぞへタレヤンキー」
「てめえが避けるのが悪いんだよクソ魔神」

男は悪態をつきながら手を仰ぐ。その手から放たれた青い閃光が、振り上げられたロイの剣を弾いた。
そのまま青い閃光は、追随するウロボロスを跳ね除け、ロイの元に襲い掛かる。
右から、左から。
踊るように無軌道な青い火が、部屋中を照らす。
その一つ一つが破壊力を持っていることを、ロイは知っている。
範囲の広い、宝珠と分類されるその攻撃。
青い弾撃を2発避け、2発をケツアルカトルに庇われ、崩したバランスをくるりと反転させて、息を整えて。それからロイは男を睨みつけた。

男。金髪の青年。冷たい碧の目をこちらに向け、部屋の中心で佇んでいる。
見なれた顔だ。知っている。あれがジャラヒ・ワートン。
元の世界では、何百人も血に染め上げ、ギャングを立ち上げ、それから自らの手で潰し、逃走した、未だ捕まらない悪逆非道の犯罪者。
ダリアが、必死になって追っている男。危険人物だと、彼女は言う。
そう言われるのに似つかわしい凶悪な目つきを持った男は、ソファをするりと飛び越えて、無言でロイとの距離を詰めた。
ジャラヒは。
ロイが知っている彼は、その魔力を弾にして、それを弾いての攻撃が得意だ。
遠距離、中距離から襲いかかる無軌道の閃光。それが彼の攻撃手段。
距離を詰めた接近戦は、彼の体格上も得意ではないはず。
好んでではないが、共に戦った経験から、ロイもジャラヒの戦闘パターンは熟知していた。
もっともそれはお互い様だが。
詰められた距離に焦る必要はない。むしろ、焦らせることが目的なのだろう。

(落ち着け。接近戦はむしろこちらの方が得意だ)

一歩前に出て、ロイも剣を構えた。
ジャラヒの攻撃は素早く、威力もそこそこあるが、言ってみればそこそこでしかない。
避けてしまえば問題ない。当たりそうになっても、剣で払えば威力は落とせる。それに、攻撃威力は此方の方が上だ。
もっとも、それでも油断できないのは、ジャラヒの得意とするのは攻撃だけではなく、むしろそれを目くらましにした奇策であることを、ロイは知っているからだ。
だが、知っているからこそわかる。
ジャラヒは、奇策に強い分、正攻法の攻撃に弱い。
懐に入って、斬る。焦らずとも、それで大丈夫だ。

「久しぶりだな」
「…ああ」

世間話をするような間柄でもなかった。それでも、なんとはなくそう言うと、ジャラヒの方も、少しの間を開けて、頷いた。
だが、依然ギラついたその目に油断はなく、ひとつロイが気を抜くと、たちまちその青い火で蜂の巣にされかねない。
なんたって、犯罪者。『赤き雨』ジャラヒ・ワートンだ。
部隊の仲間だったとはいえ、そんなもの、あの彼が手心を加える理由にはならない。
彼は、やろうと思ったら徹底的に潰す男だ。
今回もきっと、残りの部隊員を始末しに来たのだろう。
ダリアが追ってくるのがめんどくさくなったとか、そんな理由だ。
その冷たい目で人を射抜く。そして、その手を振り下ろすのだ。ためらいもなく。
だって、それがジャラヒ・ワートン。
ロイの知っている、悪逆非道の…

(…そうか?)

思考にノイズが走った。

(…あれ?)

違和感。
何かが引っ掛かる。憎々しいあの男。悪逆非道。犯罪者。元仲間。何故仲間になったかというと、ジャラヒは犯罪者であることを隠していて、気の良さそうな態度で取り繕っていて、ロイとも気があって、一緒に赤雫☆激団を作ろうと…

(いやいやいやいや)

ジャラヒというキーワードから導き出された思考に、慌てて首を振る。
この違和感には覚えがある。
「あの子」がいないことから生じる記憶の齟齬。
意識しないと塗り替えられそうになる偽りの記憶。
これは――



と。
混乱した記憶を正そうとするロイの隙をついて。

「…アトム」

ジャラヒが小さくそう呟くのが聞こえた。

考える前に、とっさに跳ぶ。
と、同時に突然、ロイの足元が弾けた。


「あーあ。これで避けるんだから、ほんとやな奴だよな、おまえ」

カトルが足元をかばってくれていなければ、危なかったかもしれない。
その攻撃は、淡々とぼやいているジャラヒの方から飛んできたわけではなかった。
文字通り、ロイの足元が弾けたのだ。彼の声と同時に。

「敵の前で油断とか、さすが魔神様は余裕だな」

ポケットに手を突っこんだまま、ダルそうにジャラヒは顎で地面を示した。

「そこ。右足に二つ、後ろに一つ」

微かな笑みを浮かべて、ジャラヒが一歩近づく。

「おれが一つ合図出したら、そこが弾け飛ぶ」
「地雷…?」
「みたいなもん」

どうやら、部屋にいる間に罠をしかけていたらしい。
いつも人を陰険呼ばわりするくせに、どっちが陰険なんだと言いたい。

「おまえが避けておれを斬るのと、おれが合図して爆発させるのと、どっちが早いか」

足元には、見たところ、すぐにわかる地雷のようなものはなかった。
とはいえ、これは彼の何かしらの魔術の一種なのだろう。奇策が得意なジャラヒのことだ。ハッタリの可能性は考えない方がいい。
ジャラヒの用意した罠を掻い潜って、一撃を食らわせる。
幸い、ジャラヒの攻撃の殺傷能力はそれほど高くない。
罠というだけあって、その一撃も、直接放たれるそれよりも威力は低いはずだ。多少くらったところで、我慢できないほどではない。

「そうだな。おまえなら耐えられるかもな。試してみるか?」

ロイの心を読んだかのように、ジャラヒはそう言ってにやりと笑った。
からかうようなその台詞。だが、遊びの色はない。
淡々と、声色も冷たく、まるで本当のギャングみたいに、ジャラヒはロイを見ていた。

冷酷で、仲間だって顔色を変えず手をかけることの出来る男。
たとえ過去の仲間だって、やろうと思ったら躊躇いなくやれる。

(…違う)

まただ。また、生じる違和感。
確かに、敵に手心を加えることのない男だと、ロイも知っている。
なるべく命を取るまいと剣を振るっていたロイに、戦いなんだから、そこはお互い覚悟すべきだと、食いかかってきたこともある男だ。
ジャラヒは戦闘中は常に冷静で、非情になることができる。あいつはそういう役割だった。
だけど…
そんな姿よりも、ジャラヒはもっと…

「アトム」
「…っ」

ロイが口を開く前に、ジャラヒはポケットに手をつっこんだまま、躊躇いもなく言葉を発した。
彼の攻撃のキーワード。
彼の殺意を示す言葉。

それと同時に、ロイの右足が弾けた。
途端に激痛が走る。
上げそうになった声を堪えて、ロイは顔を上げた。ぐっと剣を握りなおす。
大丈夫だ。思った通り、殺傷能力はそれほどではない。
命に全く別状はない。ただの足の怪我だ。砕けてはいないのだから、動けないほどではない。
魔神が、たかが足の怪我一つで動揺するわけにはいかない。
大丈夫だ。
冷やりと流れる汗を自覚しながら、そう自分に言い聞かせ、蛇を巻き付かせ、包帯代わりの止血をする。
痛みはある。
攻撃力の低い一撃とはいえ、痛いものは痛い。

(くそジャラヒめ)

(ヘタレヤンキー)

剣の柄を握り締め、心の底から悪言雑言でなじる。

(意気地なしのメンタル豆腐な金髪ヤンキー!)

仲間でも躊躇いなく攻撃出来るくせに、肝心なところでヘタレな男。
リオのことだって、気を窺うだけ窺って、最後の最後まで動こうとしなかった。
今だって、罠を張る時間があったなら、ロイを始末する作戦だって、実行しようと思ったら幾らでもできたはずだ。
でもやらないのだ。ヘタレだから。
やらないけど攻撃はする。
性格の悪さがにじみ出ている。

(…あれ?)

思い切り睨みつけてやる。
と、ふとロイは気がついた。

(……ジャラヒ、だ)

ロイの知っている、そのジャラヒ・ワートンは、性格悪そうに顔を歪めてから、足を庇うロイに向かって、悪態をついている。

「…おまえのその蛇、いつ見ても気持ち悪いよな」

その声は記憶の中にある彼の声よりも、掠れて聞こえた。

「なあ、でもこのくらいじゃおまえ、やられねーんだろ、かかってこいよ」
「言われなくてもそうするつもりだが…」

別にロイは、仲間だった男に、遠慮しているつもりはない。
何せ、他の者ならいざ知らず、相手はジャラヒだ。この機会にぶちのめしてやりたいことに異論はない。
ジャラヒだってそうだろう。手加減するつもりはないだろうし、そんな性格でもない。今だって、彼が有利にもかかわらず、驕ることなく、こちらの弱点を冷静に突こうと窺っている。その目に迷いもなく、こちらがかつての仲間だろうと、関係がないみたいだ。
それはこちらも同じこと。遠慮するつもりはない。
ないのはたしか。だが…

「…おまえ、痩せたな」
「は?」

ロイにはもう、目の前の男、ジャラヒ・ワートンが、噂の血も涙もない冷酷なギャングの男には見えなかった。

ジャラヒが喧嘩を売ってるなら、遠慮なく買うつもりだ。ぶちのめしてやるつもりで行きたい。全力で。
悪逆非道のギャング、赤き雨のジャラヒではなく、金髪クソヤンキーを、だ。
だが、目の前に立っている、金髪クソヤンキージャラヒ・ワートンは、なんだかとってもみすぼらしかった。
いつも整えていた髪はばらついていて、頬も少しこけている。
ひょろ長い手足は、以前の力強さはない。
目だけギラギラと輝いているのは、その意思の力だけで体を動かしている表れかもしれない。
そこにいたのは、先ほどまで感じていた、闇の底からギラギラと目を光らせている残虐非道なジャラヒ・ワートン…ではない。
偽りの記憶を断ち切って、改めて見ると、そこにいたのはただの見知った青年だ。
クールで冷静、時には非情にはなれるけれど、普段はお人よしで、よく貧乏くじを引いていた、ただの青年。
『へタレ金髪ヤンキー』。
何があったのか知らないが、そんなボロボロな恰好で現れて、フラフラした体を支えながら、最小限の動きでロイに向かっている。
こんな罠を仕掛けたのは、普通に向かったのではこちらの動きに対応できないと、読んだからかもしれない。

「はあ?おまえ何言って…」
「ほんっとアホだよな、おまえ」
「はあ???」

目を見開くジャラヒに、ため息をついてやる。
彼がここに来た理由。
それは、冷酷ギャングがかつての仲間を始末しに来たわけではない。
それはきっと…

「リオ」
「!?」

その名を言うと、ジャラヒは明らかに動揺した。
その動揺の隙を見逃すロイではない。
息をのむジャラヒに踏み込んで、剣を前に突き上げた。

「っアト…!」

ジャラヒが舌打ちと同時に右手を握ったのと、ロイの剣が彼の首元に突き付けられたのは同時だった。




「…このっ!陰険卑怯魔神…っ」
「おまえに言われたくない」

罠を張って待ち伏せなんてする男に言われたくない。
だが、本気でこちらに殺意を持っていたなら、ジャラヒなら、その魔術でもっとスマートにやれたはずなのも事実で、ようするに、ジャラヒはロイの殺害までは考えていなかったのだろう。
はあ、とため息をついて、ロイは剣を下ろした。

それからしゃがんで、足の怪我に包帯を巻く。少し魔力を集中させると、痛みが和らいだ。完治するには時間がかかるが、致命傷ではないので放っておけば明日には治るだろう。
ジャラヒはどう出るか、と彼を見やると、彼はもうこちらに危害を与えるつもりもないらしい。バツが悪そうに舌打ちして、近くのソファにどっと腰を下ろしている。
それからだらりと身体をもたれさせ、まるで自分の家みたいに足をソファの上に投げ出した。

(…まあ、自分の家、なのか)

その姿に違和感がないことに違和感を覚える。
偽りなく、全てを思い出してみると、ジャラヒは赤雫☆激団の仲間なわけで、ここでこうやってくつろぐのも自然なのだが、あの悪逆非道のジャラヒ・ワートンがソファでくつろいでいる、という違和感もまだ少しだけあって、そのギャップに戸惑ってしまう。
が、その戸惑いも、すぐに消えた。

「リオを…」

掠れた声で、ジャラヒがその名前を呼ぶ。
その名は、彼にとっては特別な名前だ。
いつも、いつでも、ロイが彼らに逢うずっと前から、彼はその名前を大切に、愛しげに呼んでいたのだ。


(リオ)

赤雫☆激団すべての者から忘れ去られた名前。
魔神の力でロイはかろうじて保っていられたが、油断するとその記憶は奪われそうになる。
ジャラヒが犯罪者であるという偽りの記憶の中で、その作られた記憶にはない名前は、真実を示すカギだ。

「おまえさ、リオのこと…覚えてたんだな…」

ソファの上に身を投げ出したジャラヒの顔は、ロイの位置からは見えなかった。
近づいて見る気にもなれない。
『リオ』は、ジャラヒにとって特別だった。
それをロイは知っている。
だから、ロイは何を言おうか少し迷って

「ああ」

と、軽く、何でもないことのように頷いた。

「魔神様のお力ってやつ?」
「そんなもんかな」
「すげえな魔神。ダリアもドロシーも忘れてんのに。
 おまえ本当にそーいう力あったんだな。なんでもありかよ」


ジャラヒの口からすごいなんて言われても、気持ち悪いしかない。
だけど、ほんとは魔神の力でギリギリ覚えてただけで、お前への反感心のおかげで、偽りの記憶に騙されずにすんだんだ、なんて言う気にもなれない。
だからロイは頷いて、そういうことにした。

「そうそう。なんでもあり。おれは魔神アスタロトだからな。
 別に、リオと通じ合う何かがあっておれだけ覚えてたとか、そんなわけじゃないから、安心しろよ」
「べ、べつにそんなことは気にしてねーよ!あほか!」

返ってきたツッコミが予想通りのもので、少し安心した。
安心、というのも変な話だが、すごいだなんて下手な褒め方をされるよりずっといい。
いつも通りに返してやれば、この男だって、いつも通りなのだ。
少し痩せてて、声は掠れているけれど、ロイの知っているジャラヒ・ワートンは、ここに帰ってきた。
薄れがちだった真実の記憶も、今度はしっかりと確認できる。
リオという少女と、それを見守るみたいにいつも一緒にいたジャラヒと、リオに召喚されて、彼女を手助けすることにした自分。
それから、ジャラヒをどうにかするために来たと言うダリアと、彼の元乳母にして赤雫☆激団メイドのドロシー。何を考えているのか、未だに言おうとしないソウヤ。
そんな一人一人の、本当のあるべき記憶。

ようやくロイは、実感を持ってそれを掴んだ。
これが間違いのない赤雫☆激団だ。
この真実の記憶をしっかり掴む。
もう、騙されない。
そう決意して、それから湧いてきたのは、怒りのような何かだ。

(偽りの記憶、ね)

リオがいないというだけで、一斉に塗り替えられた記憶。
冗談じゃない。
魔神である自分の記憶すらも手にかけようとしたそれが何なのかはまだわからないが、無性に腹が立った。
プライドを爪で引っかかれ、傷つけられたような怒り。
それは、自分に叩きつけられた挑戦状みたいなものだ。

「…何笑ってんだよ。気持ち悪ィ」
「いや」

べつに、誰かに喧嘩を売られたわけでもない。
だけど、ここに来て、ブリアティルトに来て、初めてロイは怒りを覚えていた。怒りを覚えたり、逆境を自覚するとつい笑ってしまう。ロイの癖だ。
わくわくする…と言ったらおかしいかもしれない。
だけど、こんなに心が揺れたのは、この世界に来て初めてだった。
ジャラヒに対して腹が立ってする喧嘩は除外しても、今までだって、オーラムの双子陛下を傷つけた黒幕に対しても、憎く思った。戦争で亡くなった兵士の話を聞いて、ふがいなく思ったことだってある。
だけどそれらは、自分には関係ない、異世界の話として、聞かされた物語のようなものとして、ロイはその怒りを感じていた。
ロイはリオに召喚された魔神である。
魔神は、召喚者に力を貸す存在だ。
今まで、ずっとリオに力を貸している。それだけのつもりだった。
召喚したリオの助けに、それから、せっかくオーラムにいるんだし、オーラムの傭兵として、みんなの助けにはなりたい。そう思っていたのも事実。
でも、いちばん最優先だったのは、この、三年間を繰り返すブリアティルトなら、もっと自分も強くなれるのではないかという期待。それしか考えてなかった。
そのついでに、誰かが望むのなら、それを助けてやってもいいと。
助けたいではない。望むなら、手を貸すという、そんな気持ち。
正直言って、他人事だった。

今回の事件で、リオが消える前だってそうだ。リオが何かしようとしているのには気がついていた。
だけどロイは、その力になるつもりではあったけれども、リオが何をしようとしているのか、それが何なのか、それに足を突っ込むかどうかは、ずっとためらっていた。


『ロイくんは特別だから、知りたいことなんでも、知ろうと思ったら、ちゃんとわかるよ』


それでも、消える前のリオが、そう言った言葉を頼りに、彼女について、知ろうとしたこともある。
それで出た結果。知ったことについて。
ジャラヒに提示をして、未来を暗示して。ロイにとっては、出来ることを、手助けしたつもりだった。
その結果が、これだ。
ジャラヒは止まらなかったし、リオは消えた。
リオのために最善を尽くしたつもりだったが、結果はこれ。
その、リオが消えたという結果すら、「こういうことだ」と分かるまで、事態を俯瞰していた。

そう。「こういうこと」

こうやって、記憶を実際に塗り替えられて。
自分の記憶を弄られるようなことになって初めて…ロイは、自分のこととして腹が立った。
魔神アスタロトの記憶にまで影響が及ぶなんて。
力足らずを笑われたようで、我慢できない。

そうだ。今までは、他人事だったのだと認める。
つくづく、この自分の性格を自覚して、ため息が出そうになる。
結局のところ、ロイは自分勝手なのだ。
8の巡りで部隊長をしたときもそうだ。あれは、…あのときリオを助けたのは、自分が強くなるため。
今もそうだ。自分の力を、プライドを傷つけられて、ようやく本気で奮い立った。

普段は温和な風に見せて、出来ることなら誰かを傷つけたくないと思っているのも事実だけども、本当はこんなに自己中心的なのだと自覚する。
まあ、それが自分だと、認めるしかない。
認めてしまえば、話は早い。
手を貸してやる、なんて上から目線はもう辞めだ。
ここからは、自分自身の戦い。
今までだって手を抜いたつもりはなかったが、アスタロトを本気にさせたことを、後悔するがいい。
と、正体も何もない何かに悪態をついて、ロイは表情も変えずに拳を握った。

それから、

「で、おまえはなんでおれを襲ってきたんだ?」

一つ覚悟を決めて、ロイはジャラヒに尋ねた。
聞かれたジャラヒは、観念したのだろう。顔は上げなかったが、抵抗をする気もないようだった。

「…ああ。今までおれは、おれなりに探ってたんだ。絵本…リオの絵本。黄金の国を目指して旅立った、女の子の話。
黄金の国がこのオーラムなら、ここに何かあるかもしれないと、思って」

ロイも、リオから聞いたことがある。
『黄金の国の絵本』
『そこに行ったら、願い事が全部叶うっていう国を目指す話』
彼女は、絵本を読んでその国に行きたいと思っている少年がいるから、連れてきてほしいと、ロイに頼んだのだ。
それがきっかけで、ロイもリオのことを知ることが出来たのだが…。

思考の海に飛びそうになって、ロイは頭を振った。
今はジャラヒの話だ。

「で、何か見つかったのか」
「ああ。絵本の…おれが知ってるあの話の、ダイジェストみたいなもんはあった。
 女の子が黄金の国に来て、悪い悪魔を倒して、王子様と結婚してめでたしめでたしって話」

手掛かりのようなものを見つけたと言いながら、やはりジャラヒの顔は晴れない。

「でもまー、そんだけ。
 ほんとはもっと長い話なんだ。
 あのダイジェストの話には、魔神を助ける話も、お姫様と友達になる話も、人形に命を吹き込む話も、何にもない。中身がなかった」

ロイは、その絵本の中身を知らない。
だから、ジャラヒの言っていることは、その見つけた絵本の話は、ジャラヒが知っているものを短くしたものだった、ということしかわからない。
それに納得がいかないのか、ジャラヒは何かに苛ついたように、苦しそうに拳を握っていて。
きっと、ジャラヒにとって、何か譲れないものだったのだろうと、ロイにもそれだけはわかった。

「あの話はさ、ほんとはすっげえ長いんだよ。
 女の子は張り切って黄金の国を目指すんだけど、いっつもいっつも他のやつの願い事ばっかり親身になってさ。あいつの目的である黄金の国に辿りつくなんて、あんな短い話じゃほんとは辿りつけねーの」

そう捲し立てて、ジャラヒはふと気が付いて、気まずそうに咳払いをした。
ロイは何も言っていないのだが、熱くなっていた自分に気が付いたらしい。
気にしなければいいのに、こういう恰好つけをするのがこの男だ。

「で、まあ、それで。やっぱり、あっちの世界に…リオと出逢った元いた世界なら、何か掴めるんじゃないかと、思って」

気まずそうな顔を、さらにバツが悪そうに、視線を外して。

「黄金の門に行ったら、帰れると思ったんだよ。」
「ほう」
「で、聖域の奥の、門のあたり、ずっと彷徨ってたんだけど、全然門が開く感じがしなくて…」
「まあ、そんなに都合よく開かないよな」
「…おまえ、異世界自由に移動できるんだろ?だから…」

バツが悪そうな顔で、視線を合わさないようにしながら、語尾を濁らせて、ジャラヒは呻いた。
つまり。
殴って脅して言うことを聞かせようと思ったのか。
納得する。この男の考えそうなことだ。
普通に頼めばいいのにそうしなかったのは、ロイに頭を下げるのが嫌だったのだろう。

この男はアホだとつくづく思う。

ロイは、異世界を自由に移動できる力を持っている。
水曜日限定ではあるが。
ジャラヒがさっさと姿を現してそれを言いさえすれば、別にこの力を出し惜しみなんてするつもりもない。さっさとジャラヒを元の世界とやらに送ることが出来た。
それなのにこの男は、ロイに頭を下げるのが嫌で、それでもどうにもならなくて、もう最後の手段に喧嘩を売りに来たのだと言う。
もし逆の立場なら…ジャラヒに頭を下げるなんてまっぴらごめんなので、気持ちは分からないでもない…が、やっぱりアホだ。
だが、ロイはそれを口にするのをため息だけに留めた。
こんなにやつれたこの男を見ると、文句を口にする気も失せる。

「…貸しひとつな」

それだけロイが言うと、ジャラヒはようやく顔を上げて、こちらを見た。
きょとんとした顔で瞬きして。
何か言おうと口を開いて、閉じて、視線を逸らして頬を掻く。
それから、最後にロイの顔を真正面から見て、少し笑った。

「…さんきゅな」

ドロシーに飯を作らせるから食っていけ、と言うと、ジャラヒは首を横に振った。
ドロシーの世話にはもうなれないのだという。
何があったのか問おうと思ったが、やめた。
ドロシーは今、元気を少し取り戻して、赤雫☆激団本拠地にいる。それならそれでいい。
だけど、ロイはこれだけ付け加えた。

「ダリアには、会っていけよ」
「…殺されるだろおれ」
「それはそれで仕方ないだろ」
「他人事だと思いやがって…!」
「まあ、今の所はな」
「?」

他人事、と言われてしまえばその通りだ。
ダリアのことは、ジャラヒが解決しなければ意味がない。

「でもまあ、ダリアはもう大丈夫だ。たぶんもう、お前も撃たれないんじゃないか?」
「たぶんて…」
「それくらいお前がしっかりしてこいよ。
 で、さっさとあっちの世界に行って、大事なもん取り戻して来い」

ダリアのことも、あの子のことも、ジャラヒがやらなければ意味がないのだ。
これに関しては、あっちの世界に送り届けるという手伝いしか、ロイもするつもりはない。
ジャラヒだって、それ以上の手伝いは望まないだろう。
あの子のことは、ほんとはなんだって自分でしたい男なのだ。


それなのに、何故だかジャラヒは変に遠慮なんかしていて。
リオを手伝っていたロイは、ジャラヒからしつこくしつこく睨まれる羽目になっていた。
睨むくらいなら、やりたいことやれよと、見ていて腹が立った。
言いたいことも言えず、やらずに、調子の良い男を演じる仮面を被ったまま、あの子の望んでいるだろうことを、あれこれ先回りしていたジャラヒ。
それが、ロイは嫌いだった。
だけど、目の前にいる、やつれたジャラヒは、なんだか吹っ切れたようで、ロイの言葉に、反発もせずに頷いて。

「ああ。絶対に、掴んでくる。それからすぐに戻る。だから、頼むな」

なんて言うもんだから、言葉に一瞬詰まったのはロイの方だ。

「…当たり前だ」

それだけ返して、それからまだぐずっているジャラヒの背中を押して、ダリアの元へ向かわせる。
防弾チョッキ来ていこうかなんてぶつくさ呟いていたジャラヒだったが、やがて諦めたように、玄関を開けて、本拠地の方に歩いて行った。


まあ、最悪撃たれても死にはしないだろう。ジャラヒの悪運は半端なく強い。
でも、まず撃たれることはないだろうとロイは思った。

最近のダリアに、ジャラヒを追い始めたときの、あの殺気はない。
リオがいたころの、あの以前のダリアに戻ったみたいだ。

(いや…)

部隊長になって、他者と接する羽目になったからだろうか、以前よりも、穏やかになった気さえする。
良い傾向だと思う。ジャラヒを始末するだなんて、殺気をふりまいているよりよっぽどいい。
だけどまだ、ジャラヒの名を聞くと、彼女はぎゅっと、つらそうに銃のグリップを握るのだ。
彼女が何を考えているのか、ロイにはわからない。
わからないが、彼女のその何か、ひっかかりのようなものを消すには、ジャラヒと話す以外道はないように思えた。

(話したら、なんとかなるだろ)

そんな、後先考えない思いつきではあるが、これをなんとか出来るのは、ジャラヒでしかないのだから、あとはジャラヒに任せることにする。
なんだかんだ言って、なんとかする男だ。
あんなに軽薄で薄情でヘタレた男なのに、どこか大事なとこは誠実で、人の心を掴むのは上手い。
きっと、ダリアのことは、ジャラヒに任せたら大丈夫だろう。

かといって、もうロイも、全てを他人任せにするつもりはなかった。
手助けに甘んじるつもりは、もうない。

(さてと)


ロイの仕事は、ジャラヒを元いた世界に送ること。
それから、帰ってきてからのことだ。

ジャラヒはきっと、手掛かりを見つけてくる。
見つけてきたそれを、どうにかするのはロイの仕事だ。
そう決めて、ロイは家の奥に足を進めた。
家の奥。赤雫☆激団本拠地より小さなこの家は、奥にあるそれぞれの私室も狭い。
だから、居間を出て、ドロシーの隣の部屋に行くのは、本当に数歩の距離だ。
その部屋の前に立って、トントンとノックをする。

「ソウヤ、いるんだろ」

ソウヤの部屋から、返事はすぐになかった。
すぐ近くの部屋でどたばたとドンパチしても姿を見せなかった彼は、普通に考えるなら、外に出ているに違いない。
だけど、ロイにはそこにいるのがわかった。
となると、根気比べだ。
根気強さには自信がある。先日、何時間だってしつこくしつこくトレーニングを重ねる姿を見られて、まるで蛇みたいだと彼女に好評を得たばかりだ。
しばらく待つと、はあ、とため息のようなものが聞こえた。
「ったく。なんだよ。ほんとあんたらってうるさいよな。じゃれあいの喧嘩は外でしろよ」
「それは喧嘩を売ってきた方に言ってくれ」

扉が少し開いて、心底嫌そうな顔が覗いた。
扉を閉じられる前に、ロイは足を―怪我をしてない方の足をつっこむ。

「そんなことしなくても逃げないって」
「ならいいけど。…教えてほしいことがあるんだ」

そう言うと、珍しく少年の顔がゆがんだ。
やっぱり逃げればよかったと、その顔にはありありと浮かんでいたが、もう他人事のふりはしないと決めたロイは、退くつもりはない。
微かに開いた扉を押して、強引に部屋の中に入る。

「ロイってさ、温和そうだけど強引で自分勝手だよね」
「知ってる」

部屋の中は、特に何があるというわけでもない。
何かを飾るほどのスペースもなく、ベッドひとつと机一つでいっぱいになる小さな部屋。これはロイの部屋もドロシーの部屋も同じだ。広いスペースが欲しければ、本拠地の方に移動して、客室なりを一室借りてくつろげばいい。
ようするに、別邸のこの部屋は、寝るためだけの部屋だ。
その部屋に一人いたソウヤは、何をしていたのか知らないが、机の上には何もなかったし、ベッドで寝ていたにしても、シーツの乱れはなかった。

「…まあいいや。どうせロイには、黙ってたところでいつかは全て暴かれるんだ」

諦めたようにそう言って、ソウヤはベッドに腰掛けた。
緩いスプリングのベッドは、ソウヤの身体を鈍く受け止めた。
ロイもベッドに腰掛けようと思ったが、やめて机に凭れ掛かる。
どうせ、すぐに終わる話だ。
気分のいい話でもない。立って話した方がいい。

ロイが口を開くと、ソウヤもぽつりと答えた。
途切れ途切れに。でも確かに。
彼に、言いたくないことを言わせている自覚は、ロイにもある。
だけど、それが真実知りたいことなので、躊躇いはしない。
それが、ロイがあの子のために出来ること。
これはジャラヒには出来ない、ロイの役目だ。

聞きたいことをすべて聞いて、ロイは部屋を出た。
ソウヤの顔は見ない。
きっと、見られたくないだろうと思ったからだ。
扉を閉じて、ふうと息をつく。

聞いたのは、ようするに、あの子の――リオの復活方法だ。

彼女を復活させるには、二つが必要らしい。
一つは、ジャラヒに任せた。きっとあの男なら、意地でも持って帰ってくるだろう。
もう一つは、それに加える、力だ。

(やっぱり、おれがやらなきゃ、だめか)

ため息をつきたくなったが、もう他人事にしないと、決めたのはロイ自身だ。
本気を出すと決めた。
だから、ソウヤにも言いたくないだろうことを吐かせた。

もう一度覚悟を決めて、それから、やっぱり出るため息に…
ロイは、今だけ身を任せることにした。
そのことを思うと、溜息でもつかなきゃやってられない。
でも、やると決めたなら、やるしかない。

(本音を言うと、できればやりたくなかったが…)

これさえやりとげたら、全てが解決することを信じて。
それでもロイが項垂れると、どこかから這い出たケツアルカトルが、慰めるように頬を撫でた。



■□■□
続く
2014-02-16 : SS : コメント : 0 :
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ヨアヒムさん

ヨアヒムさん!

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ルイーゼちゃん

ルイーゼちゃん納品!

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【10期】その3

「ダリアちゃん、お客さん」

玄関に向かったセリラートの声に、ダリアは肩を竦めた。
ダリアが部隊長になって1年。休まる暇がない。
こうまで忙しいとは思ってもみなかった。後悔しているわけではないが、部隊長の仕事をなんだと思っていたのかと、過去の自分に言いたい。
ここに傭兵として構えていれば、あの男、ジャラヒの情報も容易に手に入ると思った。部隊長になったのは、それだけの理由だったのだ。

「いやあ、忙しいな、ダリア」

そうのんきに言ったのは、本来部隊長を務める予定だった男、ロイだ。
赤雫☆激団一味のリーダーを務める男。
やりたいことがあるから、部隊長を外れると言ったこの男に、都合がいいと頷いたのはダリアなので、ロイに文句を言うのもお門違いだとわかってはいたが…。

「あなたが対応すればいいのに」
「部隊長はダリア」

恨めしく目を向けると、何でもないようにロイはしれっと答えた。
部隊長ではないにしても、赤雫☆激団を作ったリーダーなのだから、この本拠地に帰ってきているときくらい、仕事をしてくれてもいいのに、と思う。
が、何を言われてもロイにダメージはないらしい。
しれっと笑って、ふらりと出ていき何かをして、そしてまたふらりとこの本拠地に顔を出すのが常だ。
その余裕顔に腹が立つ、と睨んでやると、横からドロシーが、まあまあと顔を出した。
紺色のメイド服に白いエプロン。にこやかにほほ笑んでいる女性は、赤雫☆激団メイド、ドロシー。
つい先日まで寝込んでいたのだが、元気を取り戻したみたいだ。
その姿を見て、ダリアもほっとする。
いつも笑顔でサポートをしてくれる彼女がいないことには、安心してダリアも出かけられない。
彼女を傷つけた元凶は、未だ姿を見せないが、ドロシーが元気になっただけでも、ひとまずは良しとしないといけないだろう。

「ダリアちゃん、どうやらお客さん…お城の方みたいですよ」

玄関を覗いていたドロシーは、そうダリアに耳打ちした。

「城の?」

そう聞き返したのはロイだ。
耳がいい男はそれを聞きとめて、眉を顰めてダリアを窺っている。
何かしたのか?その顔はそう尋ねていたので、ダリアは首を横に振った。
傭兵組合から声がかかるのはわかる。だが、相手は城の人間。城…オーラム共和王国の中心から声をかけられるようなことをした覚えはない。
それはロイにとってももちろんだ。
赤雫☆激団は、設立以来ずっと、オーラムに籍を置いている。ダリアが部隊長を務めるずっと前からだ。だが、国から呼ばれたことなどほとんどなかった。
例外はいくつか。国の総戦力を傾ける2回ある戦。その戦に行く傭兵に選ばれた時だけ、国の使者がこの家の扉を叩いたことがあった。
いわゆる、中盤戦と呼ばれる戦と、英雄戦と呼ばれる戦だ。
今回も、その大きな戦に呼ばれるとならわかる。たしかに、もうそろそろその時期の一つ、中盤戦が行われる時期ではある。
が、次の大きな戦いに向かう戦力に、今回ダリアは入っていなかった。もう、すでに内々に傭兵の発表はあった後だ。今更、国の使者が、ここを訪れる理由などないはずだが。


「ダリア、おれが…」

心配そうに体を浮かせた後、ロイは体を止めて、それから首を振った。

「いや、なんでもない」

座りなおして、頷く。

「何かあったら、呼んでくれ」

あくまで、部隊長はダリアと。
おれが行こうか?という言葉を押しとどめて、ロイは判断したようだった。
その態度に、ダリアが眉を顰める番だ。
これまでロイは、この巡りのすべてのことを、部隊長だからとダリアに任せてきた。
今回も、結局はそう判断したようだったが…それを今、一度躊躇ったのも事実。この男が、一瞬でも自分が行こうと考えた理由がわからない。珍しいとはいえ、ただの城の使者だ。一傭兵であるダリアに、危害を加えるはずはないのだが…。

「わかったわ」

ロイが何を危惧しているのかは知らないが、慎重になるに越したことはない。
ひとつダリアは頷いて、使者の元に赴いた。







オーラム共和国。
何度も巡りを繰り返すこのブリアティルトの中心に位置する国。
ダリアもこの世界に来てから、ずっとこの国で赤雫☆激団の一員として籍を置いている。
が…


「入れ」

ごくり、と息をのんで、ダリアは扉を開けた。
城の執務室。
ロウハルト元帥の執務室の扉。
この国に長く居ながら、こんなところにまで来たのは初めてだ。


部屋の中は、微かにインクの匂いがした。空気が凛としている。
黄金の国の執務室でありながら、華美なところは一つもない、質素とすら言ってしまいそうな部屋。
黄色い絨毯の向こうには、一つの大きな机。その机の向こうにいるのは、紫がかった髪の精悍な男。
評議会委員であり、戦場ではその剣の才能を鬼神のように奮っている。かつての戦、ギボール戦役で立てた手柄の話は、世論に疎いダリアでも知っていた。
オーラム共和国軍部を統括する元帥。
評議委員長ベルリッテンと双璧をなす、オーラムを動かす者の一人。
実質この国のトップの一人だ。
ロウハルト元帥は、入ってきたダリアを見て頷いた。

「黒き桜ダリア。赤雫☆激団の部隊長だったな」

何やら、手元の書類をちらりと見て、正面のダリアをもう一度一瞥する。
その書類に何が書いてあるのかは知らないが、一度見た後は、興味が失せたのか、机にそれを置いてからは、元帥がもう手元を見ることはなかった。

「君は…暗殺者、だったな」

どきりと胸が鳴った。
隠しているわけではないので、それを知られたことは仕方がない。が、何故それをロウハルトが言及するのか、それがわからない。
ダリアは、所詮は傭兵だ。
傭兵なんていうと聞こえはいいものの、ただのゴロツキと変わりはない。
ダリアだけでなく、この世界では暗殺者なんてごろごろいる。だからダリアも隠してはいなかった。
そもそも、ダリアにとってこの世界が奇異に見える理由の一つがそれだ。
過去がなんであれ、何を生業としていても、傭兵として登録し、実力さえあれば、国の中枢にのし上がれる。ことになっている。
オーラムだけでなく、世界中で。傭兵という職業は、誰でもなることができ、そして実力があれば、どんな人物であっても成り上がることが出来る。
夢のようなシステムだ。
異世界から何者かが迷い込んでくるという黄金の門なんて得体のしれないものがこの世界にあり、各国が少ない国土を取り合う現状、出来たシステムなのだろう。
異世界人たちを取り入れ、国の力にするシステム。
傭兵たちに夢と生活をもたらし、その力で国は反映する。
そして…

「仕事、かしら」

ダリアは、ロウハルトの静かな目線を受け止めた。
ロウハルトがここに呼び出した理由を、そしてダリアがそれを認めたことを、交わす視線で双方理解した。

「次の戦を、知っているな」
「ええ、大きな戦があると聞いてるわ。中盤戦。オーラム傭兵の中でも、英雄という武勲を立てた者たちが、各国の中心を攻める」
「そう。もちろんのことだが、この戦で我々は負けるわけにはいかない」

口髭を撫でながら、それからロウハルトは何でもないことのように言った。

「君には、偵察を頼みたい」
「…私は、今回の戦には呼ばれてないんだけど」

大きな戦に呼ばれるのは、これまでの戦いで、戦果を挙げる遠征をしたものたちだけ。
呼ばれる実力もなかったのだということと、呼ばれていないのだから関係ないということと、二つの意味をにじませてそう言う。
だが、ロウハルトは眉ひとつ動かさなかった。

「だからだ。誰にも気取られない。すでに、幾人かにも協力を要請している。君には、帝国に偵察に行ってほしい」

ロウハルトの答えは、つまりは…
一つには、この戦に選ばれないということは、敵味方内外問わずノーマークだから、偵察もしやすいだろうということ。それと、もし失敗したとしても、そんな傭兵が消えたくらいでは、国にとっては痛手も何もないだろうということ、だろうか。
ましてや、暗殺者崩れの傭兵だ。そんなごろつきの一人や二人、どうとでも使い捨てられる。

「褒美は充分にしよう」

まったく、良くできたシステムだ。
傭兵に夢を持たせ利用するだけするその機能…と、ダリアは自嘲して、それから頷いた。

「わかったわ」

そんな見え透いた欺瞞のようなそれを、ダリアは嫌いではない。
利用されてこその仕事だ。
傭兵なんて、国のために働くなんて、ガラでもないことよりも、裏で囁かれるそんな欺瞞に満ちた仕事の方が、よっぽど落ち着く。

国のためも関係なく、部隊長なんて責任もなく、ただ一人の暗殺者として、その依頼を飲み込む。

「偵察だけでいいのかしら」
「こちらの”依頼”は偵察だ。向かう英雄たちが、持ちうる力を存分に発揮できるように、しっかりと頼む」

ダリアの問いに、イエスともノーとも答えなず、元帥は話を打ち切った。
もっとも、ダリアもそう答えるとは思っていた。国のトップが暗殺を仄めかすわけはない。
それでもそれを問うたのは、やっぱり偵察だけでなく暗殺も頼むだなんて、言い出すような者ではないと、確認を取りたかったからだ。
どうやら、やはりそんなばかげたことを言い出す男ではなかったらしい。
だが、やはり否定はなかったことを思うと、甘い男でもないようだった。

(まあ、こちらが勝手に暴走して暗殺なんてしたら、切り捨てるけれど、それはそれで、ということかしら)

上手くやれば報酬を上乗せさせることも出来るだろうが、割に合いそうにはない。

(まあ、状況次第ね)

国の為に危ない橋を渡る気はない。
別に忠誠を誓っているわけでもない、ただの傭兵だ。使い捨てされる気もない。
ダリアがこれを受けたのは…

(あの男を探して処分するより、よっぽど楽だわ)

探しても見つからない、あの男を、一時でも忘れるため、かもしれない。
ダリアが部隊長になると決めたのは、あの男…ジャラヒ・ワートンをおびき寄せるためだ。
だけどあの男は現れないし、探しても見つからない。
見つけて処分を下す。その決意は確かなものだったのだけど。
その決意が、何に対するものなのかわからない復讐なのか、それとも使命なのか、今となっては、言い切ることができなくなっていた。
ジャラヒに生かす理由がないなら処分しろなんて、中途半端な依頼を投げかけた男、ジェインは未だ何も語らない。
ジャラヒともう一度話す、と決めたものの、姿を見せないならどうしようもない。
となるとダリアに出来るのは、毎日、国のためなんて似合わない大義を背負って遠征に出ることか、こんなきな臭い依頼を受けるか、だ。
今のダリアにとっては、このきな臭い依頼は、本来の自分を取り戻す、救いの手のようにも見えた。


ヴァルトリエ帝国。
オーラムの北方に位置する巨大帝国は、皇帝エリュシオンが治める、科学と魔道の国だ。
と、一般的な知識しか持ち得ていないダリアは、覚えたばかりの要人の名前を胸の内でもう一度暗唱した。
既に、一通りの人物の確認は果たした。
クラニオにナイトガルム、ルシフェリアにゾーロト、ヴォルフムントにナグルファル。
聞き込みや、見張った結果、各人の呼ばれと、その所以を知り、注意すべき点を箇条書きにしてメモを取る。
さすがは魔道科学の国。圧倒的な魔力と、それをサポートする科学の力は、オーラムにはないものだ。
本当だったらもう少し近づいて、その情報をもう少し得たかったが、諦める。必要ない所での無茶はしない。戦闘能力さえ把握すれば依頼としては充分だろう。
国の中枢を治める人物と、あとは、戦で指揮を執る英雄たち。
今回の依頼は、その英雄たちのデータを取って終わりだ。
事前に調べた情報が正しいのかの確認を取り、実際に英雄たちを目視する。それからこっそりと後をつけて様子を伺い、英雄らの予行演習の情報を得た。運良く、数刻の後に、有志の英雄らが揃って遠征に行くらしい。願ってもない機会だ。そろりと何食わぬ顔で後をつけ、更に調査を続けた。
ダリアも、遠征中に英雄らの姿を見かけたことはある。だが、戦う相手として見るものと、離れて伺うものと、得られる情報量は違った。
戦いのクセ、武器をしまうタイミング、避ける時の体のブレ、よく使う技と、その練度と制限。それから彼らのチームワーク。

(…こんなものかしら)
ルシアにコールにカイ、三人の帝国英雄の情報をひと通り記したあと、ダリアはさて、と息をついた。
ここで得た英雄の情報は、三人分。
英雄は、各国四人。
残りの一人は、白道者ブランだ。
現在、この予行演習の場にはいない。
どうやら今は国を出て遠征中、らしい。
らしいというのは、調べても、正確にどこにいるのかはわからなかったからだ。この中盤戦前の忙しい中、全員が全員、国内にいるというというわけでもないので、いなかったとしても不思議はない。

(まあ、仕方ないわよね)

ダリアも、他の英雄たちと同様、彼の姿は戦場で見かけたことはあった。
彼に狙われたら、誰も避けることなど出来ないと称されるその攻撃。接近しても離れても駄目なのだと、他の傭兵からも聞いたこともある。素早い剣技は、どこにいても素早く追いつき、あっと思う間もなく、狙われたものは地に落ちる。
ダリアは直接刀を合わせて戦ったことはないのだが、その剣筋の綺麗さは、遠くから見ても記憶に残るものだった。
できることなら、彼の剣筋を、近くで見て調査したかったのだが、いないものは仕方がない。
しばし躊躇したが、いつまでもこうしているわけにもいかなかった。
本番の戦は、もう迫っている。

(…もう報告に戻ったほうがよさそうね)


既にロウハルトから求められた情報は充分手元にあった。
各英雄の細かい情報、現地の地形、陣形、命令系統、細かな作戦。特に、オーラム攻めの指揮を執るカイの情報は細かく記しておいた。
依頼は一応の達成を見せている。危ない橋を渡るつもりもないので、今回は暗殺云々は考えない。

一つ頷いて、ダリアはその場を後にした。
英雄たちを見て歓喜し、熱狂の声を上げる兵士や傭兵たちの間をすり抜け、町外れへと足を向ける。
今から帰りの馬車を手配したら、明後日の夕方には国に戻れるだろう。



「ああ、オーラム行きだな。お嬢ちゃん運がいいな、オーラム経由セフィド行き。丁度来たところだ。」

乗合所につくと、気の良さそうな男が馬車を示して言った。
金を出し、言われるがまま荷台に乗り込む。
馬車は中型。半分に荷物が積まれているのは、物の輸送も兼ねているからだろう。経由するオーラムは商業国だ。ブリアティルトの中央に位置する地形上、各国の流通はオーラムを経由する。故に、乗合馬車に荷物が積まれることも珍しくない。
荷物の他にはダリアを除いて三人。
戦士風の若い男。その前に座る小さな少女。それからその横に少女の身内であろう老人が座っていた。
それを一瞥してから、ダリアは空いている席、男の隣に腰を掛けた。
男はこちらを見て会釈をし、ダリアが座りやすいように少しずれる。それに礼を示してダリアも会釈を座り腰かけ、前を向くと、老人の横で少女がニコリと笑った。その少女に、少しバツが悪く思いながら、ダリアは意味なく頷いて、それから窓の外に目を向けた。
待つことしばし。
まもなくして馬車は揺れて、かたりことりと音を立てながら動き出した。




「ねーねー!おにーちゃん、おめめ悪いの?」

しばらく景色を眺めていると、斜め前方の少女が明るく声を上げた。
横目で見やると、彼女は、その前に座っている男に声をかけているらしい。
男…ダリアの隣に座る黒髪の青年は、少し驚いたように間を開けたが、すぐに、違うよと首を振って答えていた。

(…目?)



少し気になって、ダリアも横目で男を窺う。

と。

(あ)

その男の正体を悟って、ダリアは小さく息をのんだ。

黒い髪で覆われていて、ダリアのいる側からではよく見えなかったが、彼の左頬を覆うは、冷たい仮面。素材は分からない。
ひやりと冷たさを感じるそれとは裏腹に、ダリアから見える方、右側は穏やかな顔をしていた。
年のころは、ダリアより少し上だろうか。20代前半か、そんなところ。
黒髪、仮面、額の布。若い青年。帝国。

(白道者、ブランだわ)

おそらく、そうだ。
帝国の英雄の一人、ブラン。
帝国で見ることができなかったと思ったが、こんなところにいたのか。

と、視線に気づいたのか、ふとブランがダリアの方を向いた。

右目の青い目。
それから、左目の仮面。そこから覗く金の…

「…っ」


目が合ったのは一瞬で、どちらからともなくすぐに目を逸らした。

「おめめ、わるくないのに、なあにそれ?」

無邪気に続ける少女は、立ち上がって興奮したように手を叩いている。

「これは…」
「これこれ、やめなさい」

はしゃぐ少女を、横から老人が宥めていたが、効果はいまひとつのようだ。
動いている馬車の中だというのに、上手くぴょんと跳ね、少女はブランの隣に収まる。
ブランが少女の為にこちらにひとつ寄ってきたので、ダリアも窓の方に少し身を寄せた。
それを見て、ブランは謝るように会釈し、なんとなく居心地悪くダリアも目を伏せて返したのだが…。

(……)

胸の内に、なんとなく違和感がよぎった。

「おなまえなんていうの?お兄ちゃん」
「え、ああ、ブラン…」
「ええ?ブランって、あの英雄の?!」
「えっと、いや、そーいう柄じゃあないんやけど…」
「おにいさん英雄なんだ!すごーい!」



無邪気に問う少女に、戸惑いながら頬を掻くブラン。
その光景は、まるで兄弟のように微笑ましいものだったが。

「元気なお子さんね」
「ええ、はい、ご迷惑おかけします」

目の前に座る老人に声をかけて、ダリアは目を細めた。
老人の目線を追って、もう一度ブランたちを見る。

先ほどまで戸惑うようにしていたブランは、少女の明るさに慣れてきたのか、やわらかく微笑んで、彼女のとりとめない話に付き合っているようだ。
ダリアの方も、少し落ち着いて来たので、前に座る老人に世間話を持ちかける。

「帝国から、セフィドまで行くの?」
「ええ、一度教会に行ってみたいと思いまして、孫と旅行なんです」
「教会…それでなのね」
「?」
「いえ、なんでもないわ」

ふう、と息をついて、堅い背もたれにもたれかかる。
気がかりな、その違和感の正体がわかった。
なんてことはない。
わかってしまえば話は早い。

「ねーねー、おにいちゃん!いいものあげる!」
「ん?」

少女は得意げにふふふと笑いながら、腰元のポシェットを探って何かを小さな掌に忍ばせた。

「ブランおにいちゃんが、がんばって勝てるように、おまじないだよ!」

彼女が取り出したのは、小さな飴玉だった。
桃色の包み紙にくるまれた、小さな飴玉。
小さなポシェットの飴玉は、彼女のとっておきなのだろう。
宝物のように大事に握って、それを差し出す。

「これ食べてたら力が出るよ!絶対勝ってきてね!」

小さな手でブランの掌を握って、無邪気にぜったいだよ!と繰り返して。
そんな少女の応援に、ブランは頬を緩ませた。
ぽんぽんと彼女の頭を撫でて、キャンディを受け取る。
それから、包み紙を開けて、キャンディを口に運び…

「知らない相手からもらったものは、食べないほうがいいんじゃないかしら」

隣から投げかけられたそんな冷たい声に、ブランは手を止めた。

「べつに、私の知ったことじゃないけど」

そんな風に言って、かと言って強く止めるでもなく、ダリアはブランに視線を投げる。
少女はちらりとダリアを見たが、ダリアが動かないのを確認して、すぐにブランに向かいなおった。

「おいしいよ?元気が出るの!おにいちゃん、いらないの?」
「え、いや…」

「…そんなに美味しいなら、あんたが食べたらいいんじゃないの」

目の前の少女と、飴玉と、ぽつりと呟くだけ呟いて、何もしようとしないダリアと、戸惑うように順に見やったブランは、最後に少女に視線を戻して、彼女の顔と同じ高さに屈んで、困ったように頬を掻いた。

「この飴、ほんとに貰っていいの?」

そんな風に聞いて、大きくうなずく少女に微笑む。

「大事なものなんじゃないん?」
「大事だけど!元気が出るの!おにいちゃんに、勝ってほしいから食べていいよ!」
「そっか。元気が出るんか」

うんと頷いて、ブランはその飴のを空に透かした。緑色の、輝くように透き通った飴。
それを口元に持ってきて、手で弾くような仕草をした後、

「ごめんな」

そう言って、それからぺろりと、口の中に入れた。

それを確認して少女は笑う。
笑って、一歩、身を引いた。
身を引いて、それから動く馬車の扉に手をかけ、かちゃりと音が鳴り、扉が開いたと同時に。

「――!!!!」

大きく、馬車が揺れた。
大きく弾む。
天と地が逆さになるような衝撃に、ダリアの身体も宙に浮き、咄嗟に受け身をとる。
大きな爆発音がはじけた途端、隣にいたブランが、身体を崩してダリアに覆いかぶさった。

「…っ」

ブランの身体を受けとめながら、ダリアは背中の衝撃を覚悟した。
男の身体の向こうに見える煙で、馬車が爆発したことを悟る。そして爆煙の向こうに二つの影。
やっぱりだ。
おかしいと思ったのだ。とはいえ、こんな強硬手段を取るとは思っていなかった。
来る身体の衝撃に、骨の2,3本折れたことを覚悟して―

覚悟したのだが、その来るはずの衝撃は、ダリアに襲ってこなかった。
代わりに、なにかの力が加わって、ダリアの身体が反転する。
くるりと反転して、それから、身体がぎゅっと圧迫された。
同時に視界が真っ暗になる。
真っ暗になって、圧迫されて、かすかな汗の匂いがダリアの鼻孔をくすぐって。
それが何なのか考える間に、反転した身体は、くるくると回った。
振り落とされないようにダリアも掴む。
掴んで、いくらかの身体に襲いかかる衝撃を耐えた後。

「ふう」

耳元で吐かれた息に耳をくすぐられ、もう爆発音が聞こえないことに気がつく。
それから、もう何の衝撃もないことにも。
最後に、きつい圧迫感からふっと解放されて。
ぽんぽんと背中を撫でられて、ダリアは事態に気がついた。

「怪我、ない?」

耳元の声に、慌てて抱きしめていた腕を離す。

「え、えっと」

どうやら、爆発した馬車の中で、毒に倒れたと思ったブランは、そうではなく、ダリアを爆発から守り、落ちた衝撃からも身を呈して守ってくれたらしい。
と、同時に。

「……なんで生きてるの?」


暗殺者の毒の飴玉を舐めて死んだはずのブランが、生きていることに驚いた。









セフィド西方教会には、ごく一部、過激派と呼ばれる思想をもった連中がいて、その連中は、お抱えの暗殺者集団を囲んでいるらしい。表に出るのは主に老人や子供たち。油断させて、丸薬に似た毒薬や、仕込杖、毒針などで対象を始末するのだ。

ダリアがそれを知っているのは、もちろん調べたからだ。
この世界に初めて来たとき…オーラムも密かにハイドストークと名乗る暗殺者集団を抱えていると知った。
同業者として。裏世界で生きるには、闇の情報が必要不可欠だ。
だからダリアは、この世界に来て一番に、ブリアティルトの各国の闇組織と、その特徴を調べ上げた。
不自然に身のこなしの良い少女。少女を監視するように見る老人。
孫娘と祖父を名乗っていたが、そんな愛情で結ばれたような関係には見えなかった。

ダリアも、幼い頃にそんな孫娘役をやったことがある。
初めの印象は良いのだが、老人と子供という油断を誘う組み合わせだというのに、ターゲットはなかなか隙を見せなかった。これなら、自分ひとりでやったほうがいいくらいだと、コンビを組んだ老人に心の中で悪態をついていたものだったが…。
何のことはない、お互い様だ。
本当の家族なんて知らない暗殺者に、油断を誘う孫娘の演技なんて、中途半端でしかなかったのだろう。
上手くやろうとすればするほど、浮き出る違和感。
そんなものに当時は気がつかなかった。

今のダリアがそれに気がついたのは、不思議ではある。
家族なんて、今だって知らない。
だけど何故だか、その違和感に気がついてしまったくらいには…もう昔とは違うのかもしれない。

ともかく、あの老人と孫娘を演じていた二人は、暗殺者だろう。
確固たる証拠はなかったが、一度違和感がよぎると、もうダリアにはそうにしか見えなかった。
彼女たちの狙いは、もちろん英雄ブランだ。
セフィド遠征の指揮を執る英雄の始末。
おそらくは、セフィドの過激派の暴走であろうが。

その暗殺者に狙われ、毒薬を口にした英雄ブランは、毒薬を飲んだにも関わらず、爆発する馬車からのアクロバット脱出さえ決めて、ぴんぴんした姿でダリアの前に立っている。

「えっと、生きてて、ごめん?」
「あ、別に、悪いわけじゃないのよ」

助けてもらったうえに、なんで生きているの呼ばわりさえした自分に気がついて、ダリアは慌てて首を振った。

「お礼、遅くなったわね。お陰で怪我しないですんだわ」

骨の2,3本覚悟していたが、おかげで無傷だ。
ブランはというと、こちらを庇って地面にたたきつけられたはずなのに、どこかを痛めているようには見えない。
仮面も割れていないし、その穏やかな顔もそのままだ。もちろん仮面からのぞく金の目も。

(白道者ブランは不死身って噂、ほんとかしら)

礼を言うと、慌てたようにブランは両手を振って。

「あ、いや、俺も、いや自分も、さっき止めてくれて気付いたから」
「…気付いたのに食べたの?飴」
「いや、毒薬の匂いがしたから、こりゃまずいかなーとは思ったんだけど、俺なら多分死なないかなーって…」

飄々とそう言うブランに、呆れたようにダリアは額を押さえた。

「た、多分で食べたの?」
「俺、腹強いから!それに、女の子必死だったし!食べてあげないとかわいそうかなって…」

思って…。
と、段々と声をすぼませて、最後には、ははは…、と乾いた声で笑った。
それから、小さく息をついて。

「せっかく止めてくれたのに、ごめんねダリアさん」

ダリアと、こちらの名を正しく呼んで、ブランは頭を少し下げた。
きょとんと、ダリアはそれを見つめる。
突然名前を呼ばれたのに、何故か不快感はなかった。
初対面なのに、名前を知っていたことに対しても、不思議と警戒心が湧いてこない。
胸にあるのは、何故こちらの名前を知っているのだろうという、疑問だけだ。
仮面で、毒を飲んでも死ななくて、毒を盛った少女がかわいそうだからと大人しく飲むような不思議な男なのに、何故か湧かない警戒心。彼のお人よしそうな人柄からだろうか。
警戒心や不信感というなら、彼に対してよりも、そんな自分に対するものの方が大きい。
が、それはひとまず置いておいて、ダリアは疑問をまずは口にした。

「…私のこと、知ってるの?」
「いや、知ってるってほどじゃなくて…前に、8の巡りの時かな、オーラムにいたころ、ほんの少し見かけただけで…」

べ、別に怪しい理由じゃないよ、と慌てるブランがおかしくて、少し笑えた。
8の巡り――丁度、ダリアは元の世界に帰っていて、ほとんどいなかったときだ。
そのときにブランはオーラムにいたのか。
何故だか少し、惜しい気もした。
あの巡りの時、最初からこちらにいたら、この不可思議なブランという青年のことが、少しはわかったのだろうか。
ブラン。金の瞳。
この目に見つめられると、何故だか心が軽く、全ての心の鎧を、引き剥がしたような気がして。


(…??)

ふと、ダリアは何かが晴れた気がした。
何がと言われてもわからない。
なにか、鎖が切れたような。心が晴れたような。
別に、何があったわけでもないのに。

「ダリアさん?」

いや、そんな事はどうでもいい。
ダリアは早く帰らなければならないのだ。
早く帰って、ジャラヒを処分しなければならない。
こんなところで油を売る暇はない。


(…あれ…)

処分?こんなところ?油を売る?
突然過ったその意識に、違和感を覚える。
早く帰らなければならない?何故?
仕事帰りのトラブルだ。急ぎの仕事もない。別にそんなに焦らなくてもいいではないか。
ブランを知りたいと思うことだって、いつもの自分の好奇心だ。
毒薬を飲んで平気だというお人よしの英雄に、何か秘密があるのなら、知りたいと思うのは自然のはず。いつも通りの好奇心。

それなのに

(ほらやっぱり、早く、追わなければならないのだから)

(そもそも、こんな仕事、受けている場合ではなかったのよ)

(早く、追わないと、いけない。早く早く早く早く )

脅迫するように、どこかから自分の声が聞こえる。

(だって、ジャラヒを追うのが、目的でしょう)

必死にそう響く焦った声は、自分の声だ。
胸が騒いだ。
そうだ、ジャラヒを追わなければならないのに、こんなところにいるわけにはいかない。
そうだ。この巡りに入って、ずっと追い立てる声。
急いで。見つけて。処分。早く。

(でも)

何故追わなければならないのか。
冷静なもう一人の自分の声が、微かに聞こえた。

(何故急ぐの?何故ジャラヒを追うの?)

小さな声。でも、諭すように静かに強く語りかけてくる。

(復讐のために、ではないのよね)

あの男を処分しなければならない。そう強迫観念に迫られていたけれど、前にセリラートと話したときに、気がついたはずだ。
復讐ではない。
ただ、似たような思いはあった。
きちんと話すと言ったのに、話をする前に消えたジャラヒに、何故消えたのかと、問い詰めたい。
だけどそれは、処分しなければならないという、殺意のあるものでは、本来なかったはずだ。

それでもジャラヒは処分すべき男なのだから、追わなければならないのだけど。
そもそも、処分すべき男だというのは、ジャラヒがとてつもない犯罪者で、嘘ばかりつく男で、組織を潰して逃げ出した男だからで、仲間を裏切って、ドロシーを傷つけて、話もせずに逃げ出したからで、

(……あれ?)


犯罪者?裏切った?傷つけて、ドロシーを?あの男が??







『そーいえばさ、おまえ、知ってるか?母の日。ドロシーにさ、こう、花でもプレゼントしたら、驚くと思わねえ?』


朝一番に、カーネーションなんて買いに行かされて、ドロシーがテーブルの上にいつも飾っている花の名前が「ダリア」ということを知った。あのときの、恥ずかしいような、いたたまれない気持ち。




『あのクソロイが、また――の周りをうろつきやがってさ。――があいつを頼るから、おれは仕方なくこうやって…』

たまに聞かされたグチに、意気地なしねと言ってやったら、落ち込みながらも何かを奮起して、あの子の元に駆けていった。たまに背中を押してやらないと立ち止まって沈むのだ。あの男は。







『なぁダリア』

ある晴れた日、あの男はダリアに言った。

『おれ、たまにこれ、夢じゃないかって思う』

薄く笑って、ドロシーの入れたコーヒーを飲みながら、どこか遠くを見るように。

『だから、ある日起きたら、みんな死んでんだよ』

食卓で、熱ィなんてコーヒーに文句を呟きながら、何でもないようにそう言う。

『そんで、おれはほっとすんの』

ぽかぽか陽気は暖かくて、台所でドロシーが鼻歌をうたっているのを遠くで聞きながら、上機嫌に。

『悪い夢だったなって』

幸せな日常を悪夢だなんて言って、それでも、その日常を愛しそうに、大事に大事に壊さないように抱きしめていたことを、ダリアは知っている。



(あれ…)

(なに、この記憶…)




悪逆非道のジャラヒとは、矛盾するジャラヒの姿。
でも、たしかにジャラヒだ。
ダリアが知っているそんなジャラヒは、ちゃんとダリアの中にあった。
それは、こちらを信じさせて裏で裏切るなんて、できるはずのない男の姿と、その横に微笑んでいる、見知らぬ一人の少女の姿。
めんどくさそうにしながら、彼はその少女をしっかり見ていて、かったるいふりをしながら、ドロシーを、ダリアを、傷つかないようにと見守っていた。


(でも、ジャラヒは処分すべき男だから)

(だって)

処分しなければならない。
犯罪者なのだから。
でも別に、ダリアは犯罪者だからという理由で始末するような、正義感の強い人間ではない。
なら、なぜ始末しなければと思うかというと。

(ジェインが、そう望むから。始末しなければならない)

ジェインの依頼だからだ。
依頼だから。依頼――ただのその言葉では足りなかった。
ジェインが、ジャラヒが生きる価値のある男なのか探れと、その価値がないのなら、処分しろと、依頼を出してきたのだ。
ただの、幼馴染からの依頼。
だけど、いつの間にかダリアの中で、ジャラヒへの憎しみが増幅されて―
依頼というにはもっと強い脅迫観念で、ダリアは強く思ったのだ。

(ジェインが言うから、ジャラヒを処分しなくちゃ)

(でもこれは)

――違う。

(……ジェインが、私に何かしている?)







「――さん!ダリアさん!」

肩を揺さぶる衝撃と、自分を呼ぶ声。
ゆがんだ焦点を少しずつ合わせると、金色の目が此方を見ていた。
黒い髪、仮面、金色の目、吸いこまれるようにそれをしばし見て、それから、その横の青い瞳を捉えた。

「……ブラン?」
「突然ぼうっとしだして…焦った。大丈夫?ダリアさん」

その声に頷いて、頭の靄を追いだすように首を振った。

「も、もしかして、さっきの爆発で頭とか打った?」
「いえ…大丈夫よ」

むしろ、頭はすっきりしている。
何かの呪縛が解けたような、そんな気分だ。

「ブラン、そのあなたの仮面…それとも目は…いや、なんでもないわ」

その仮面にひとつ思うことがあったが、確証がない以上保留にしておく。
何にしろ、もうダリアの中に、混乱する部分は消えていた。
何かに急かされるような、強迫観念はない。
あんなにうなされる様に感じていた、ジャラヒを追わなければいけないという殺意も、今はすっかりなかった。
今となっては、あんなにあの男が憎かった理由もわからない。
あれは、ただのヘタレでめんどくさがり屋の気概の足りない男だ。
あの男が赤雫☆激団から逃げ出したのは、きっとヘタレだったからだろう。
―ダリアが血眼になって処分すると追っていたのも大きいだろうが。
まあ、とにかく。お陰で、肩が軽くなったような感じだ。
急に呪縛のようなものから解けたのは、何故かはわからない。だけどそれが仮面の――ブランのおかげなのだとしたら、ダリアはそれに報いようと思った。



「それより、あなたを襲った暗殺者、あの爆発で逃げたみたいだけど、追わなくてよかったの?」
「あー、まあ、わざわざ、俺生きてますよって伝えなくてもいいやんって。ダリアさんは追いたい?」
「もう、なにかを追うのは当分こりごりだわ…」

そうわざとらしく肩をすくめる。
ブランは、その意味がわかっていないようだったが、ダリアが何かを吹っ切れたのがわかったのか、少し微笑んで言った。

「ダリアさん、オーラム行くんだったよね?やったら、オーラムまで送るよ。俺もその先のセフィドに行かなきゃだし。大きな戦があるんだ」
「知ってるわ。中盤戦。がんばって。…と言いたいところだけど、歩いて行って、間にあうの?」
「……ちょっと急ごう!」


そう右手を掲げて、とりあえず、ひっくり返った馬車に戻って、荷を集める。
その後ろ姿に、なんとなく可笑しくなって。
ふふと笑って、ダリアはその背中を追って歩きだした。




■□■□■□■□
特別ゲスト、マヨイゴ団RXのブランくん<277r>ありがとうございました!!
2014-02-10 : SS : コメント : 0 :
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まるぐれーてちゃん

margrate.png
margrate.jpg
2014-02-09 : 依頼絵など : コメント : 0 :
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【幕間】ふゆじたく

リエールさんの企画に参加。
テーマ:探し物

■□■□■□■□


箪笥の中にもなかった。
机の上にもない。
ベットの中にもあるわけなくて。
自分の部屋はもちろん、玄関、客間、台所、家中を彷徨い歩きながら、ダリアは途方に暮れた。

「何探してんの?ダリアちゃん」

冷蔵庫の中を覗き込むダリアに、後ろから声をかけたのは、赤雫☆激団の一員、傭兵セリラートだ。

「手袋よ」
「そっか。うん。冷蔵庫にはないんじゃないかな…」
「もふもふしてるから、身体を冷やしに行ったのかと思って…」
「ごめん、ちょっと俺には理解できない」

ダリアが探しているのは、白いもこもこふわふわな手袋。
先日友人にもらったばかりの手袋は、暖かいだけでなく、その触り心地は羊のようにもこもこふわふわ。天国のようにふわふわ。天国など行ったことがないが、ダリアにはわかる。あれは天国の雲で出来ているに違いない。ふわふわ。もこもこ。言葉に表せない最高の手袋だ。
一目でダリアも虜になった一品。
もらってからというもの、出かけるときは必ず手に嵌めていたし、家の中でも大事に大事にしまっていたのだ。
その手袋が見当たらないなんて、想定外の事態。
ダリアは、未だかつてないほど動揺していた。

「まさか…家出かしら…?」
「ダリアちゃんの手袋にそんな意思があったなんて、おれも知らなかったよ」

焦っていて見つかるものではないが、そうは言っても気持ちを抑えるのに苦労する。
ダリアがこんな風に、何かモノをなくしたのは、初めてだ。
「仕事」で隠されたものを探すことはあるが、その意図して隠されたものを探すことと、意図せずに消えたものを探すこととは、こんなに違うものなのかと思う。
今までは、何かものに執着することなんてあまりなかったので、消えた、あるはずの物を思って心が落ち着かないなんて、どうすればいいのかわからない。

(落ち着かないと、ダメだわ)


これはたぶん、仕事と同じだ。
目的を遂げるために一番大切なのは、冷静さ。消えた手袋を探すためには、心を一度凍らせて、冷静に、俯瞰しなければならない。
呼吸を正して、ダリアは頭をクリアにした。

「まずは、身代金の準備が必要ね」
「落ち着いてダリアちゃん」

誘拐の可能性が一番高いと思ったのだが、セリラートはそうは思わなかったらしい。
苦く笑いながら手をぱたぱたと振ってダリアを宥める。

「手袋探してんなら俺も手伝うけど。どっか行くの?出かけるなら、おれの手袋貸そうか?」

そんな風に、いつもの調子の軽薄さで、ニヤッと笑って。

「それとも、俺がダリアちゃんの手袋になりますか?」

などと言うので、ダリアもようやく落ち着きを取り戻した。
出かける予定はある。今日は約束の日だ。
手袋をつけて出かけたいのはやまやまだったが、それがどうしても必要というわけではない。
焦らずとも、あの手袋も昨日はあったのだから、落ち着いて探せばきっとみつかるはず。
今日の所は我慢して手袋なしで出かけて、帰ってきてからきちんと探そう。
そのときに、ドロシーを呼んで一緒に探してもらえば、きっと見つけることができるはず。
と、探し物名人のメイドの顔を思い浮かべて、ダリアはようやくほっとした心持になった。

「おーい、ダリアちゃーん。無視?」

手袋なしで出るのは寒くはあるが、耐えられないほどではない。
よし、と決意して、ダリアは立ち上がって玄関に向かった。
そこで思い出したかのように振りむいて。

「…セリ。荷物持ちするなら、ついてきていいわよ」
「手袋にもなるぜ?」
「もふもふになってから出直してきなさい」

玄関を開けると、ふわりと白い靄が舞った。







「うう、さむっ」

外に出た途端体を震わせるセリラートを一瞥して、ダリアは市場の方に向かう。

「冬の買い出し?」
「そうよ」

手温めてあげるよなどというセリフは無視して、聞かれたことだけ短く答える。
市場は、冬でも活気があった。
冬を越すための食べ物をちらりと横目で見る。食べ物は、ドロシーが用意してくれるから大丈夫なはずだ。
ダリアが用意すると、味気のない保存食ばかりになるのに、ドロシーは冬でも美味しく新鮮で、バリエーション豊かなものを食卓に並べてくれる。とてもありがたい。
ダリアが用意しないといけないのは、それ以外の物。
さすがに、全てをドロシーに任せるのは、部隊長としては問題があるだろう。

ちらりちらりと並ぶ露店を横目で見ながら奥に足を進めて、色とりどりの布が並びだしたところで、ダリアは足を止めた。
それから、多くの露店の中の一つに足を向けて、店員に声をかける。

「頼んでいるもの、できたかしら」
「はいはい。できてますよ」

にこやかに答えて出てきたのは老婆だった。
色とりどりの布をかきわけて、奥をごそごそと漁ったあと、ダリアに頷きながら大きな布を差し出す。
赤い布と碧の布。
それを受け取ったダリアは、代金を老婆に渡した後、ふう、と息をついてから、セリラートを手招きした。

「セリ、首を貸しなさい」
「は?」

返事を待たずにダリアは、セリラートの首元をぐいと引き、つんのめった彼の首に、すばやくその布を巻く。

「へ?」

布ではない。毛糸だ。
セリラートは、きょとんとして首に巻かれたものを見つめた。
緻密に編みこまれた毛糸は、まるで一枚の布のように滑らかで、それでいて暖かかった。
つまりこれは…

「マフラー?」
「貴方いつも寒そうなんだもの。魔法の糸で編みこまれたマフラーだから、防御力もあるし、重くないから動きやすいし、丁度いいと思って」
「ダリアちゃん…!」
「それ、滑らかで結びやすいから、敵を拘束するのにも使えるわよ」
「実地で教えてもらわなくても大丈夫ですダリアちゃん!苦しい!」

もがくセリラートを離してやる。
解放されたセリラートは、しばし首元に手を当てて、マフラーを整えた後、「ありがとう」ともう一度礼を言った。
それになんとなくくすぐったくなる。
別に、プレゼントのつもりはない。
ただ、こんなに寒い冬に、あんなに寒そうな恰好で遠征に出られて動きが鈍ったら、迷惑するのはダリアの方だ。
そんなことをぶつくさとセリラートに言い聞かせたが、彼は全く理解してはくれなかった。




帰宅して部屋に戻ると。

(…やっぱり)

ベッドの上にあったのは、お気に入りの白いもこもこ手袋だ。
それと、その下にあるのは……。

手袋を手にして、その下の物体に手を触れる。
白くて、ふわふわのもこもこ。
防御力なんてなさそうだけど、暖かさと手触りだけは何にも負けない、白いもこもこマフラー。手袋とまったく同じ素材のもの。もちろん、そんなマフラー、ダリアに見覚えはない。
そのさわり心地に、ダリアは思う存分もふもふしたあと、ふうと息をついた。


「いるんでしょ、ジェイン」

声をかけると、男はいた。
どこから現れたとか、今までそこにいたのかとか、考えるのもめんどくさくなる、神出鬼没な男。
ジェイン。
ダリアの幼馴染の男は、いつも通りの何を考えているのかさっぱりわからない顔で、ダリアの目の前に立った。
それに動じずに、ダリアは男の首元に巻かれているネクタイを強くひっぱってやる。
強く引っ張って、それから…

「気をきかせてしゃがみなさいよ」
「悪かった」

背の高いジェインを少しかがませて、その隙に、碧色のマフラーを巻いてやった。

「…もこもこではないんだな」
「もこもこは私のよ」
「いつか奪ってやろう」
「もう充分よ。黙って取らないでちょうだい」

物騒でもないことを言うジェインに、ダリアは一歩後ろに引いて、マフラーと手袋を抱きしめた。

「返しただろう」
「身代金の準備が必要かと思ったわよ」

出かけ前に無くなった手袋。
疑うまでもない。ダリアがどこかにやってしまったのではないのなら、ダリアからそれを盗み取れる者なんて限られている。
そんなことがしれっとできる男は、憮然と、不服そうにダリアを見ていた。

「おまえが、その手袋を気に入っていたからな。
 同じものを用意してやろうと…」
「で、黙って持って行って、同じもののマフラーを用意してくれたってわけね」

皮肉っぽく言うと、ジェインの眉が少し下がった。
さきほどからずっと無表情にしか見えないが、何を言いたいかは手に取るほどにわかる。
なぜダリアが頬を膨らませているのか、理由がわからないのだろう。
一声かけてくれれば、という気持ちは、きっと彼にはわからない。
だけど、そう思っていることは、ダリアにはわかった。わかってそれから…。

「…もこもこマフラー欲しかったから、嬉しいわ」

諦めて、彼の望む言葉を告げることにする。

「ありがとう。ジェイン。それから、共犯の、そこに隠れてるセリにも」

気配がびくりと動いた。が、姿を現す気はないらしい。
セリラートは恰好を気にする男だ。最初から知らないふりをした手前、それを通すつもりなのだろう。
その心意気に乗って、深く追求しないことに決めたダリアは、マフラーを首元に巻いた。
ふわふわのもこもこ。天国の肌触り。
防御性能は一切ないけれど、この手触りだけで、なんだか強くなった気がする。

「…何見てるのよ?」

夢中になって撫でていたが、さすがにじっと見ていられると気になる。
頬を膨らませると、ジェインは少し口元をゆるませた。
微かでも笑うなんて珍しい、そう思って首を傾げると、ジェインは頷く。


「迷ったが、それにしてよかったなと」
「そ、そう?」
「本当は、そのマフラーと、うさ耳帽子と、ふわふわ毛糸のパンツとの三択で揉めたのだが…」
「……」
「うさ耳のロマンと、もこもこパンツのロマン、どちらが勝利するか奴は白熱していたが、俺はマフラーがいいと思ってな。気に入ってくれてなによりだ」
「…ちなみに、その二つは誰の発案なの?」
「セリラートだ。あれだ…中々面白いことを言う男だな、あれは」

ジェインが他人のことを評するなんて珍しい、と思う前に、ダリアはドアに手をかけた。
そっと、気配が逃げるのを感じる。
だが、今度は逃がすつもりはない。

「ちょっと本気でお礼をしなきゃダメみたいね」

ドアを押し開け、そのまま赤いマフラーに向かって、ダリアは銃口を構える。
セリラートの逃げ足の早さは知っているが、こちらも必中暗殺者だ。そう簡単に逃げきれると思われると困る。
銃を構えながら駈け出して、ダリアは男を追った。

そして、部屋に残されたジェインは、しばし無表情につっ立っていたが、…残された手袋にそっと触れ、何やら一つ頷いた。



tag : ダリア 第10期 ジェイン セリラート

2014-02-09 : SS : コメント : 0 :
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ロイ

久しぶりにロイを描いた!
いただきもので満足していたけれど、自分で描いたのも資料的な意味でも置いておかねばと思って。


roi5-.jpg

20歳の大学生になったロイ。
描き始めは16歳の少年だったのに、大人になったものだなあ。
ロイはイケメンではなくて普通っぽさがウリ。
礼儀正しくて外面は良いけど、中身はめんどくさがりやな素朴青年。
初対面の人には穏やか爽やか青年で、仲良くなるとただの肉好きめんどくさがりなボケ男、その実態はただの自己中な強くなりたいバカ。
ジャラヒと居る時が歳相応。
シアンやルウィンと居るときは素でジャイアン。
恋人のシアンちゃんに対しても、表面上はめんどくさいとか言って、旗から見ると冷めてるんだけど、ふとノロケたりとか、ふたりきりの時はでれでれに甘えたりとか。ツンデレではないけど掴みにくい男であります。

絡まってる蛇は、黒いのがウロボロスで白いのがケツアルカトル。
ウロボロスは攻撃と、異界移動するときの手助けをしたりします。
ケツアルカトルは乗って移動したりとか、防御面で助けたりとか、サポート面他で色々活躍。
キラキラ光る鱗がモザイクみたいになっていて、股間当たりにいると危険。
両蛇とも、実体があってそこにいるというより、ロイが魔力で固定しているので、出たり消えたりします。
ロイは人使いが荒いので、遠くにあるコーヒーとか本とか取るのにも使っている様子。

tag : 岸辺ロイ

2014-02-04 : 登場人物 : コメント : 0 :
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紅葉さん

オークションにて。
紅葉さん。
kurenaimomizi-icon.png
kurenaimomizi.jpg
2014-02-03 : 依頼絵など : コメント : 0 :
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Author:赤雫☆激団
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