黒雫物語(エイプリルフール)

エイプリルフールなので、赤雫物語のIFバージョン。

欠損、鬱注意。
ジャラヒとダリアが、リオを取り戻すために旅をしている話です。
ブリアティルトにリオと来ていなかったら。
auc に全く関係のないIF話。


*****






リオディーラという子は、ダリアにとって特別だった。
仕事が嫌で逃げ出して泣いているダリアのところに現れた不思議な女の子。
どこから来たのかわからないが、ダリアがしょぼくれていると現れる。
あるとき、膝を抱えたダリアにリオが「はい!」と取り出したのは桜の枝で。
小さくて可愛くて、静かで強いその桜の花は、ダリアの心を慰めた。
以来、桜の花はダリアのお守りだ。
そしてリオは小さなダリアの一番の友達。
そんなリオディーラは、ダリアを庇ってあっけなく死んでしまった。
そうしてダリアは彼女を取り戻すことを誓ったのだ。



****



狙っていたターゲットの命が事切れたのを確認して、ダリアは桃色がかった白い花を、その胸元に置いた。
祈りはしない。奪った命を尊きところへなんて、奪われた方からしてみればたまったもんじゃないだろうし、そもそもダリアは信仰心なんて持ち合わせてはいなかった。こうして桜の花を遺体の胸元に置くのは、ただの癖のようなものだ。ただ仕事を終えた印。そこには祈りも懺悔もない。

「終わったか?」

遺体に背を向け振り返ると、すぐに明るい金色が目についた。
金色の髪と、サングラスから覗く冷たい碧の目。仕立ての良い白いシャツと黒のベスト。
街中ですら目を惹く整った風貌の男は、ここ…スラムの廃屋なんて場所だと、目立つどころでは無く異質である。
しかし彼自らは異質さなど感じていないようで、汚れた手を気にせず、白いシャツの袖を捲り上げ、肩の留め金に袖を固定する。
その袖の中身はなかった。
男が目立つのは、その眉目秀麗さだけではない。

「今回は、おれが持ってかれたみたいだな」

戯けたようにそう言うので、ダリアは片眉を上げたが、何も言えなかった。

「まあ、前に肘まで持ってかれてたし、二の腕くらい追加されたところで、代わりねーか…」

残った右手で頭を掻き、ジャラヒは苦笑顔を浮かべる。ダリアの返事を彼も待っているわけではない。
するりとダリアの横を抜け、もう彼は振り向かなかった。


男の名はジャラヒ・ワートン。
ダリアの相棒である。
多分。
恐らく、そうなのであろう。
多分、恐らく…というのは、ダリアにはその記憶がないからだ。
相棒なのだと言われ、そうかと頷いた。
記憶はないが、違和感はなかったから。
ダリアとジャラヒは、人を殺して旅をしている。
こちらはまだ記憶にあった。
殺し方だって忘れてはいない。
ダリアが暗殺者として生きていることも。
幼い頃に組織に拾われて、その技術をどうやって教えられたかも、はっきり覚えている。
殺した遺体に桜の花を置くことも、それを始めた最初の仕事も、まだちゃんと覚えていた。
忘れているのは、ジャラヒという男についてのあれこれと、あとはどうしてこの街にいるのかわからないくらい。この街での仕事は3件目で、2件目のときにこの街の滞在理由を忘れたらしい。これはジャラヒから聞いた。
どうでもいいことだ。問題ない。
目的を忘れてないなら、経過なんてどうでもいい。
目的を忘れたとしても、目的が遂げられるならそれでいい。
そのためのジャラヒだ。

と、ダリアは前を行くジャラヒに声をかけた。

「あとどれくらい?」
「今日の分は終わり。そろそろ足が付きそうだから、明日の早朝出よう。次の仕事は『車』に乗っていく。楽しみにしとけよ」
「…車ねえ、それこそ足が付きそうだけど」

『車』という移動手段は、最近とある財閥組織によって開発された、高速移動を可能にする箱である。
人が数人乗れる箱には輪が4つついており、その輪が高速回転することにより、それを可能にしているらしい。
馬車と違い生きた馬を必要とせず、輪は疲れも知らないので、長距離も移動可能だとか。
ダリアはもちろん乗ったことなどないし、その技術にも詳しくはないが、そう簡単に手に入るものではないことくらいは知っていた。
そんなものに乗れるのなんて、どこぞの財閥の御曹司か、金持ちくらいである。もちろん、身元不明の暗殺者なんて縁があるはずないのだが。

「大丈夫だよ。まかせとけって」

鼻唄でも歌いそうな陽気なジャラヒに、ダリアは言葉を失うしかない。
もしかしたら、ダリアが忘れてしまったコネのような何かを、彼は持っているのかもしれない。
左腕を無くして、片目を無くして、味覚もなくして、右足にはもう指もないのに、彼の目に絶望はない。
そうでないと、ダリアも困るのだけど。




***

車にはもう二度と乗らないと、ダリアは誓った。

「片目で運転なんてするもんじゃねえな…」
「死ぬかと思ったわ…」

運転をしたジャラヒの顔も青い。
高速回転する輪の上の箱…車は最悪だった。
上下前後に激しく揺れる様は、馬車など話にならない。
馬よりは確かに早いかもしれないが、その分乗り心地も酷い。馬なら変な煙も出さないし、変な臭いも出さない。
こんなものが目が飛び出るくらいの金額がするなんて信じられなかった。


「まあ、誰も轢かなくてよかったよな。誰か轢いておっ死んで、最悪おれのもう片方の目とか腕とか持ってかれたら、そのままおれたちもお陀仏だったかもなあ」
「笑い事じゃないわよ」

ひと睨みすると、ジャラヒはバツが悪そうに肩を竦めた。
乗ってみたかったんだよ、とブツブツ呟いて、車体から降りる。

「どうするのそれ」
「あー?置いてく。兄貴の会社からパクってきたやつだから大丈夫。どーせバレねーよ。
それに、こんなとこにこんなのがあったら、追っ手の目を集中させられるだろ?」

何がどう大丈夫かは知らないが、大丈夫というなら大丈夫なのだろう。
足がついて困るのはジャラヒも同じである。
それにしても、車なんて運転できるくらいの家の出なのに、なんでこの男は暗殺者なんてしているのだろう。
と思って、ダリアは頭を振った。
答えは分かりきっていた。
その方が、早く多くを殺せるからだ。





***

1人殺すと、1つ消える。
それがルールである。
消えるのは、ジャラヒの身体の何か、もしくはダリアの記憶の何か。
全てが消える前に目的を達することが出来れば、ダリアたちの勝ちだ。
誰と勝負を始めたのかは、ダリアはもう覚えていない。
目的さえ覚えていればそれでいい。
目的は、とある少女を救うこと。
ダリアとジャラヒが大切に思うあの女の子を救出するためなら、なんだってすると誓った。
あとどれくらいであの子は救われるのか。
何人殺せばいいのか、どれだけ失うのか。
尋ねてみても答える声は、ない。




○○○○



コートのポケットに、桃色がかった白い花が入っていた。
ゴミを溜め込んだつもりはなかったのだが。
ポケットに飴玉の1つでも入っていればよかったのだが、仕方ない。
今日のターゲットは子どもだ。少しだけ胸が痛まなくもないが、仕事は仕事だ。
飴玉はなかったので、ハンカチを取り出した。
子どもに声をかけ、目の前でハンカチを丸め、もったいぶってパッと開く。すると、ハンカチの中から花ビラが舞い、子どもはきゃっきゃと喜んでダリアに近づき、そして死んだ。

「ダリア」

静かに横たわる子どもを抱えるダリアに、声が掛かって振り向く。
ダリア、というのは名前だ。自分の。
男…ジャラヒがそう呼ぶのだから、そうなのだろう。
ジャラヒは足を引きずりながら、こちらに身を寄せ、抱えられた子どもに目をやり、一瞬目を伏せた。
それからジャラヒは静かな声で、「もう少しだ」と言った。
何がもう少しなのかは、もうダリアにはわからなかった。
彼が何を言っているのかわからない。
もう少しとは、何なのか。仕事なら今終わった。もう少しで追っ手が来るというのか?それなら急いでここから…
ジャラヒの顔を伺うと、焦っている様子はない。
ただ、静かだ。
その顔を見て、ダリアは大事なものを失ったことに気がついた。
これをずっとずっと恐れていたのだ。
わからない。
もう何もわからなかった。
何故ここにいるのか。
何をしているのか。
なんのために?
こんな小さな子どもを殺してまで?
仕事だから?
違う。違うことだけわかる。違うことしかわからなかった。
唐突に叫びたくなる。
叫ばなかったのは、ジャラヒがいたからだ。
ジャラヒは、動揺しているダリアに手を伸ばした。
…手を伸ばそうと、したのだろう。
頭を撫でようと視線を上げて、それから、自らに手がないことを思い出して、苦笑した。
ジャラヒにあるのは、指のない右脚と雑に造られた義足。それから心臓と左目のない頭。
いつも、ジャラヒはまだ残ってると笑うから、ダリアは気にしたことがなかった。
伸びて来ない手に、ジャラヒが失ったものに気づく。
それから、思い出せないその理由に、自らが失ったものに気がついた。
ジャラヒはそれでも、首を振った。

「大丈夫だって。もう少しだから。もうすぐ、あいつに会える。な?」

あいつが誰なのか、もうダリアにはわからない。
だけど、無性に逢いたいと思った。
ああ。
あの子に会うために、全てを失ったのだ。
そんなこと、あの子は望んでないけれど。




***

ジャラヒの言葉を聞いたのは、それが最後だった。
次のターゲットを殺したときに、声を持っていかれたからだ。
元々口数が多い方ではなかったが、完全になくなってしまうと落ち着かない。
ジャラヒは静かだ。
声が出せないからではない。
身体が動かせないからでもない。
粗末な義手も義足も、ジャラヒが動く度に、煩いほど軋む。
ジャラヒは次に殺すターゲットの名前を、器用に義手で書いて見せると、ダリアが見たのを確認して紙を燃やした。
彼は火の使い方が上手い。
まるで魔法みたいに、火薬を擦り火をつける。
器用な彼の特技の1つは、身体を失っても有効で、だからダリアも、ジャラヒが失ったものを意識せずにすんでいたのだけど。
ジャラヒの失ったもの。
ダリアのように、彼は記憶を失うことはない。
身体を失うのと、記憶を失うのと、どちらが良いかはわからない。
ただ、ジャラヒは確かに、身体以外の何かを失っていて、記憶が無くなっていくダリアには、それに気がつくことはとても難しい。

火に照らされたジャラヒの白い顔は人形みたいだとダリアは思う。
それから、馬鹿らしいと思った。
そうだ。
ジャラヒはもっと笑っていなければいけなかった。
こんな能面みたいに微笑む顔は違う。
声を失ったことに気がついても、彼は取り乱しもしなかった。少し面倒そうに眉を潜めて義手とペンを走らせて、持っていかれたと、紙とペンが勿体無いなと走り書いて、綺麗な顔で苦笑するだけだ。
いつもの静かな苦笑顔。
ダリアは、ジャラヒのその顔しか知らなかった。
だけど、これがジャラヒの本来ではないことも、記憶にはないが知っていた。
『あの子』といるときのジャラヒは、もっと笑って、怒って、泣いて、もっと不細工で、激しくて、ちゃんと生きてて、ダリアにとっては手のかかる弟のようで、そんな記憶、ダリアにはもうないけれど。

「また車乗りましょ。リオも連れて。あの子、速いの好きだから」

思い出せない記憶が口を突くと、ジャラヒはぎょっとした顔で顔を上げた。
目を丸くして、その碧の目が、だんだんと赤く染まって。
隠すように俯いたジャラヒは、何かを払うように首を振った後、大きく頷いた。




○○○○○
エイプリルフール話。
黒雫物語。
赤雫のもうひとつのIF話。



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2017-04-01 : SS : コメント : 0 :
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ロイとシアンの結婚挨拶

22期。ロイとシアンの結婚記念。
*****




プロポーズは言い訳ばかりだった。
ふりまわしてばかりで、巻き込みたくないなんて今更な理由で別れを告げたくせに、こちらが覚悟を決めて離れると決めた途端、やっぱりよりを戻したいなんて、勝手なことを言った男は、色々あった結果、シアンの手を取って、言葉を震わせた。


「おれは君を巻き込むよ。
好き勝手するし、知らない間にどこかに行くし、君とそんなにいられないかもしれない。君のためにしてあげられることは少ないし、君のいないところで死ぬかもしれない」

そんな、ほんとにどうしようもない、勝手なことばかり言って。

「だけどおれは、健やかなるときも、病めるときも、富めるときも貧しいときも、君を愛し、敬って、助けて、それからえーっと、…ずっと。永遠なんて言えないけど、この「おれ」が生きてる間は、ずっと君を愛してる。おれが欲しいのは、君だけだって、誓います。

だから、おれと結婚してください。」

わがままだって指摘すると、似た者同士だからお互いさまなんて答えてくるので、もうシアンだって、覚悟するしかない。

声だけじゃなくて、彼の手も少し震えていた。
その時の格好は、よく考えなくてもおかしすぎる。
もう会わないと言ったシアンを呼び出す為に、仲間の男と結婚するなんて嘘をついたため、彼はウェディングドレスだった。
彼を女の姿から戻れなくしたのはシアンだったが、女の姿になっても長身なロイは、ウェディングドレスがモデルみたいによく似合った。
震える手で、シアンの手を握りしめ、緊張しているのか、見つめる瞳が滲んでいる。
いつも勝手なことばかり言って、自信に溢れている仕草なのに、シアンの前ではこうだ。
シアンは知っている。
彼が、シアンがいないと駄目だと言うのは、比喩じゃなしに本当だ。
親にも兄弟にもちゃんと愛されてるのに、彼はその愛情を借り物だと思っていて、本当のただそこにある、返さなくても良い愛は、シアンからしか与えられないと思っているのだ。
そんなことはないのだけど、それでもシアンはどうしようもなく、このひとを、守りたいと。
支えたいと思った。
このウェディングドレスで震えている可憐な女性は、高位魔神アスタロト、恐れられる男だと知っているけれど。
シアンの前ではただの一人の『仕方ないひと』で。

「わたしは…健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しいときも。
あなたを愛し、一応敬い、助けて、駆けつけて、死んだら踏みつけてやるし、反省させるし、ぎゃふんとこらしめて、おもいきり幸せって言わせて、愛し続けることを誓います」

これでいい?
と微笑みかけると、ロイは少し、涙を堪えるように鼻を鳴らして「上等」と応えて、そっと誓いのキスを交わした。















「さて!結婚の挨拶ね」

そうシアンが手を叩くと、ロイは少し言葉に詰まって、それからこくりと頷いた。
結婚の挨拶が嫌なわけではない。
もちろん、念願のシアンとの結婚だ。
出会ったばかりの二人が、将来結婚するなんて知ったら、信じないだろうし、その時のロイは、こんな女は辞めとけと諭そうとするだろう。自分の好みはもっと大人で優しくて凛とした大和撫子女性だと。
とはいえ、過去の自分に辞めとけなんて言われたって、お前は幸せになるぞと、親指立てるしかない。
わがままで、性格はぶっとんでて、面倒ばかりかけて、迷惑の代名詞だった女。
異世界なんてものに放り出されたロイを、勝手に勇者呼ばわりして連れ回し、周囲の気に入らないものを魔王呼ばわりして面倒ばかり起こすので、ロイは平謝りしたり倒したり斬ったり傷ついたり立ち上がったりした挙句、魔神アスタロトなんてものになってしまった。
魔神なんて、魔王の親戚なのか同類なのかよくわからないものになってしまったのに、聖なる巫女のはずのシアンは、なんら気にすることもなく、勇者呼ばわりを続けたまま、ずっとロイの近くにいて。
気がついたら恋仲になってしまっていた。
いつ、彼女を好きになったかなんて、正直言って覚えてない。
迷惑、面倒、どーしようもない。そう思っていたのに、いつのまにか、世界で一番可愛くて、世界で一番大切な人になっている。
不思議だ。

「もう。ロイ?どうしたの?ぼーっとして」
「ん?シアンは可愛いなって思って」
「痴呆にはまだ早いんじゃない?」

手を伸ばすと、シアンの桃色のふわふわした髪に届いた。大切に撫でて、ふわりと持ち上げ、ちょんちょんと引くと、それに応じて、シアンはロイの膝の間に収まった。
その背中を抱えるように抱きしめると、彼女の甘い匂いがする。
出会ったばかりの頃の自分は、彼女のこんなに甘い匂いも、柔らかさも知らなかったんだから、過去の自分には同情するしかない。きっと若きロイは、自分の頭がおかしくなってしまう将来に嘆くだろうけど。

「痴呆っていうか、子ども返り?甘えん坊ですか?ロイくん?」
「奥さんに甘えるのは悪くないだろ?」
「わ、悪くはないけど…も、もうちょっと、前は分別あったじゃない?」
「今誰もいないから許してよ」
「昔のわたしが聞いたら、何それ気持ち悪いって言うでしょうけど…わたしも大人になったわよね…」

それは大人になったというか…と返そうと思ったが、シアンが大人になったのは事実だ。
前よりも迷惑かけなくなった…のは、ロイが慣れて、迷惑を迷惑と思わなくなっただけかもしれないが。

「たしかに発育面では大人になったよな…」
「セクハラ禁止よ。そんなことより、ほら、挨拶。ロイのお父さんとお母さんに、言わなきゃでしょ?」

父と母。
つまり、日本にいる両親、家族だ。
ためらったのは、仲が悪いからではない。
むしろ、仲は良好で、ロイも尊敬している、大事な両親だ。
ロイを養子にして育ててくれた、感謝しかない、立派な人たち。
彼らに引き取って貰えなければ、きっと自分はどうしようもなくクズな人間になっていただろう。
本当の両親はロイにはいない。
孤児院の玄関に、破れたノートに書かれたROYという文字だけ残して、ロイは捨てられた。
そのままロイと名付けられ、孤児院で過ごした幼い時期のことを、ロイは少ししか覚えていない。
友達は、一人だけいたが、それ以外は全部真っ暗だった。
変な名前と揶揄われたことは覚えている。
たしか、当時流行っていたバンドと同じ名前だったのだ。そのバンドのボーカルが覚醒剤で捕まって話題になっていたので、同じ名前のロイは、名前を理由に孤児院の子供たちから罵られ、蹴られ、ものを隠され、散々な目にあったのだった。
5つだか6つだか、物心がついたばかりのことだ。真っ暗だった記憶と、庇ってくれた友人のことだけ覚えている。
当時の自分はというと、本当に性格まで真っ暗で、ほとんど口も利かなかった。そりゃあ虐められるだろう。当たり前だ。泣くこともせず、笑いもせず、不気味な子どもだったに違いない。
真っ暗だった。
ここは違うと思っていた。
もっと暗い所に行ってしまいたかった。
生まれ落ちた場所を間違えたのだ。
それは、もっといい生まれでいたかったという願望ではなく、事実として、間違えていると、膝を抱えて、小さなロイは思っていた。

だから。
そこから救い上げてくれた義父に、感謝しかない。
真っ暗な自分を引き上げてくれて。
強さとは何かと問いをくれて。
剣をくれて。
人間にしてくれたのは、父だ。
礼儀を説き、厳しく、人としての形を教えてくれたのが父。
いてもいいのだと、優しさと、人の中身をくれたのが母。
それから、大事な弟に、妹。

「…紹介、嫌?…反対されるわよね。
そりゃそうよね。ロイはご両親大切にしてるもの。気が重いのは、わかるわ」
「あ、いや、そうじゃないんだ。ごめん」

途絶えた言葉を、そう理解したシアンは、気遣うようにロイの手を取る。
その優しさに、大丈夫と握り返して、ロイは頷いた。
結婚に至るまで、散々彼女を振り回したのに、ここで不安にさせたら、男が廃るどころではない。
それこそ、こんなに彼女に心配かけていることを義父が知ったら、何をやっていると竹刀で殴られる…ことはなくても、義父に軽蔑されるようなことはしたくなかった。

「反対はされないよ。びっくりはされるだろうけど。
うん…ちょっとね。
父と母には、何も返せられなかったなって、ちょっと思って。
シアンを巻き込みたくないから別れるって、前におれ言っただろ?あのときはごめん…だけど
、あれさ、両親のことがあったからなんだ」
「…ロイのお母さん、ご病気だったのよね?それを、魔神の力を借りて治したって…」
「うん。良くないことってわかってたけど、どうしても、なんとかしたくて。おれの力だけじゃ無理だったから」

もう、義母の命が1年もない。
それを知ったロイは、頭が真っ暗になった。
諦めるなんてできなかった。
自分に出来ること。
それを考えて、すぐ出てきたのは魔神の力だ。
育ててくれた恩を返すのは、今だと思った。
だけど、肝心の自分の力は、人間の命を引き延ばすものでも、治すものでもない。
魔力を注いで、体力を繋ぐことはできる。
でもそれは、根本の解決にはならない。
ロイの力ではどうしようもなかった。
無限の未来の可能性が見えたところで、母の病気が治る未来はなかった。
リベラルアーツに医学はない。
絶対的勝利を与える力も、勝利なんてこの場合なんだというのだ。勝者に不幸を与えるための力なのに。
異空間を超えて、医者を探してくるにも制約がありすぎる。
医者を連れてくる…なら。
と、考えたのが、医学や治療の力を持つ魔神たちだ。
一人の魔神では駄目だ。基本的に魔神の力は、相手に不幸をもたらす契約になっている。
1柱だけでは、その契約は単純に不幸しか呼ばない。
母に契約させ不幸をもたらすなんて冗談じゃなかった。
母を治すのに、契約者を母にしてはいけない。
魔神のもたらす弊害を最小限にするため、ロイはいくつか取引をした。
まず、母から病魔を取り払うこと。
魔神は病魔を取り払ったあと、衰弱させて殺すのが鉄板だ。その衰弱した体を癒すために、また別の魔神と取引をする。
そして、払った病魔を他の人間に移そうとするだろうから、病魔を清め払う魔神とまた取引。
それから、一度魔神に近づいたものは、目をつけられ、周囲に魔神からの誘惑と危険が及ぶため、魔神から嫌われる気配作ることができるようにさらに契約。

その契約者を、全て自分にした。
穴はないはず。この人間には無理な奇跡を起こす魔神の力の弊害は、母にいくことはない。
それはすべて、ロイ自身に掛かるように計算し…
はたして、ロイはのがれることができなくなった。
契約をした魔神たちと、顛末を聞いた部下たちは、こぞってロイをバカだと言った。
その通りだ。
あの、魔神の中でも高位の主計長官アスタロトが、人として魔神と契約し、弱みを全て捕まれ、全てを失ったのだから。
部下たちが手を施してくれなければロイは消滅していたかもしれない。いや消滅ならまだいい。ロイは、全ての弱みを掴まれたのだ。消滅どころではない。その弱みの1つである家族は、病気を治す時にした魔神の契約で守られているが、もう1つの弱み、シアンは…と考えたとき、ロイの肝は冷えた。
ロイが消滅したところで、魔神たちは彼女を狙うだろう。高位魔神が愛した女。しかも、魔神を封じる力を持つ聖女だ。恨みもあれば欲望も疼く。シアンに害が及ぶかもしれない。それなら、ロイは消滅するわけにはいかなかった。
部下たちに謝罪し、施してくれた条件を飲む。
条件は、細々と色々あったが、大雑把に言うとひとつだけ。
魔神として生きること。
それだけだ。
もう、人間と魔神の二足のわらじで、将来どうしようかなんていうモラトリアムでふらふらとする権利は消えた。
人間として、日本で生きることはもうできない。
シアンの世界で、共に村で生きることもできない。
魔界を治める1柱、魔神アスタロトであれと。
魔神たちはそう言い、あとは自由だった。
部下たちが頑張ってくれたのだろう。
人間として生きながら、強大な力を抱える若き魔神アスタロト。前世は東方の王バールの妻として生き、その柱の元は、全ての勝利を確約する豊穣の女神イシュタル。その男が、魔神として全てを注いだら、この魔界も大いに潤うことになると。
方々の魔神は、それならと許したらしい。
あの、言うことを聞かない生意気なアスタロトが魔界の犬になると言うのならと。

「…ルウィンがお母さんを助けてあげられたらよかったんだけど。ごめんなさいね」
「いや、あいつには、母さんの体力を回復させてもらったから…感謝してる」

ルウィンは、シアンの幼馴染でお目付役の男だ。
その正体は、500年の命で生き、死んでまた生き返る不死鳥。魔神フェネクス。
蘇生の魔神フェネクスは、どんな傷でも癒すことが出来る。が、病魔はまた別だ。病気が活性化し、さらに危なくなる可能性もある。彼には、病魔を払ったあとの、奪われた体力の回復をお願いした。
魔神なのに、見返りは「ロイさんが頭を下げて僕に頼んだっていうのがレアすぎて、今ちょっと思いつかないんでいいです。え?今しか聞かない?えっと、今度連休欲しいんですよね!妻と旅行に行きたくて!シアンさまに頼んでもらえます?」だそうで、とても出来た男である。下僕根性が身についているとも言える。妻を大事にするのは良いことなので、ロイも喜んで休暇を認めた。

「それでさ、魔神と関わるのは、本当に危険でろくでもないって、痛感したんだ」
「自分も魔神なのにね」
「だからだよ。ほんっとろくでもない。そんなのに、シアンを関わらせたくなくて」
「今更なのに」
「今更だけど。それでも、おれがシアンに執着しなくなったら、魔神たちもシアンに興味を無くすと思ったんだ。
まあ結果は、おれがシアンが居なくなるのに耐えられるはずがなかったんだけど」
「よかったわ」
「気づくのに時間がかかって…というか、意地はってゴメン」
「何度も謝らなくていいのよ?一生許さないのは変わらないから」
「うう」
「じゃなくて、よかったっていうかね。なんていうか、ロイって、テキトーに見えて、真面目でいつも一生懸命じゃない?」

でも、真面目で一生懸命に見えて、すごくテキトーなんだけど。あ、あとわがままで自分勝手ですごく横暴。
と、乱暴に評して。

「テキトーで、余裕があるように見えるのは、ちゃんと頑張ってきたって自信があるからで、一生懸命なのは、そうでないと自分が駄目になるかもしれないって気を張ってて、自分に自信がないからなのよね」
「ん?おれの性格?喧嘩を売ってるわけじゃなくて?
んー、そうかな…確かに、ちゃんとしてたいと思うよ。立派でありたいというか…誇れる自分でいたいというか…。テキトーとか横暴っていうのは、たまに言われるけど、心外というか、図星的痛さはあるかもな…。うん。元々あんまりちゃんとした性格じゃないんだろうなって」
「いいのよそれは。わたしも言えたもんじゃないし。そういうところも好きだもの。…えっと、何が言いたいかっていうとね。
ロイは、一生懸命でちゃんとしようとしてるの、すごく疲れるんじゃないかって。横暴でテキトーなのは、そのガス抜きなのよね。それでバランス取れてるなら良いんだけど、わたしが見てなきゃ、いつか全部潰れちゃうんじゃないかって思って」
「うん」
「だけど、ジャラヒくんや、リオちゃんや、魔神たちといるあなたを見て、それはわたしの高慢だったのかもしれないって、思ったの」
「そんなこと…」
「ない、とは言えなかったの。
あのね、わたしは、高慢じゃ駄目なのよ。
強欲でもだめ、高慢でもだめ、嫉妬もしない、欲もない、暴食もしない、憤怒もない、怠けない、憂鬱にもならない、嘘もつかない、過ぎた幸運もだめ、全部、罪は持たない。それがわたし…それが巫女なの。だから、魔神の能力はわたしには効かないし、わたしは魔神を封じることが出来る」
「シアンはすごいと思うよ」
「すごくないわ、簡単よ。要は、溜め込まず、素直でいれば良いのよ。溜め込むから罪になるの。嫌なことがあったら、ぱっと吐き出して全部忘れたら、なんにも残らないわ」
「なかなか出来ないと思うけど…」

普通は、それをしたら周りの人がどう思うかが気になるものだ、と思う。
よく思われたい、という願望がシアンにはないのだろう。それも彼女のいう『罪』なのだ。
だからシアンは思いのままの行動で、周りを吹き飛ばすパワーで迷惑をかけるのだけど。
ロイはそんなシアンが好きで、それから、そんな真似、自分には出来ないと思う。
ちゃんとしたいというロイの志は、シアンの言う罪そのものだ。溜め込み過ぎて、その溜め込むのが普通になって、すっかり身についてしまっている。
憂鬱感情を司る魔神だからなのか、憂鬱さは不快ではないので、溜め込み過ぎて潰れるにも、自覚を持つのが難しい。
むしろ、その痛みと憂鬱が、魔神としてのロイの快楽なのだから。


「とにかくね、ロイは大丈夫なのかもって思って。仲間もいるし、ガス抜き出来てるなら、わたしがいなくても、ロイは大丈夫。ていうか、勝手に心配してただけで、ロイは元々大丈夫だったのにね。それに…ごめんなさい」
「ん?」
「わたし、気がついて怖くなったの。高慢に思ってたってことに。このままだと、嫉妬したり、憂鬱になったり、溜め込んで、『罪』を負ってしまうって。上級巫女になるって言ったのは、そのためなの。ロイのためとかじゃないの。強くなって、いつかロイを手伝いたいからっていうのは本当だけど。ロイが巻き込むとか気にせず頼れるくらい強くなりたいのも本当だけど。
このままだと、『罪』を負うかもって、力を失うのが怖かったのが、1番の理由。だから、ロイから離れたの。ごめんなさい」
「いや、なんていうか…」

そう思ってくれていたことを、知らなかった。
そんな勝手な、なんて言えない。
自分の力を失うかもしれない。
その恐怖は、ロイにだってわかる。
魔神の力なんていらないと、何度も思ったことはあるけれど、本当に力がなくなるかもしれない、なんてなったら、ロイだってなんとかそれを回避しようとする。もうこの力は、手放すことはできない。
便利だとか強さとか、そういう理由ではなくて、もうこの力は自分自身だから。
これがなくなると、力以外の全ても、一緒になくなってしまうから。
シアンも守れない、仲間とも共に戦えない。部下たちなんて言うまでもない。魔神の力があるからこそ共にいるのだ。
この力の所為で失ったものもあるけれど、この力がないと得られないものもたくさんあった。
それを失うなんて、もう出来ない。
そんな思いを、シアンもしていたのなら。

「ごめん、気づけなくて」
「いいのよ、これはわたしの問題。ロイには関係ないわ。あ、拒否してるわけじゃないのよ。
さっきも言ったけど、巫女としてね、わたしは『罪』を持っては駄目なの。
溜め込むと罪になるって言ったけど、だれかを頼るのも罪になりやすいのよ。
例えばロイが浮気して…たとえばよ?たとえば。
わたしが嫉妬するでしょ?
ヤキモチは良いの。わたしをもっと大事にしなさいよ!ってね、すぐ吐き出せば罪じゃないんだけど。
ここでね、ロイせいで!許せない!とか、相手の女が…あ、ロイの場合男もあるかもよね?とにかく、相手がどうとか…原因を追求したり、相手の真意を考えたりすると、これは罪に繋がるわ」
「浮気はしないよ?信じて。おれ、そういうの許せないから」
「既に夫と子供がいるくせに何言ってんのよ…あれ前世のだっけ?まあいいけど。
とにかく!これはわたしの問題!修行が足りなかったってだけ!
ロイは、わがままで自分勝手なわたしたちは、似た者同士だって言ったでしょ?」
「うん。その、『わたしの問題』?だっけ、それ聞いて更に思ったよ。その自己完結。シアンは自分勝手だなあ」
「お互いさまよ。えーっと、でね、話は戻りますけど。
そんな自分勝手なわたしたちだけどね。
ロイが、それでもわたしを必要だって言ってくれて、よかったなって。
ロイが、わたしがいないと駄目なことに気づいてくれてよかったって。
ロイは、いつも一生懸命で、自分が潰れちゃいそうなことにも気がつかないのに、ちゃんと、「わたし」がいないと潰れちゃって、駄目になることに気がついたのは、とっても奇跡よ。
なにせ、潰れそうになる憂鬱も歓びに変える魔神なんだから」
「なんかおれがドMみたいな…」
「その通りでしょ?潰れて駄目になることに気づけただけでも及第点よ。すごいわ、ロイ」

たしかに、酷いことを言われている気がするのに、嬉しいんだから、ドMなのかもしれない。

「ね、ロイ。でもわたし、潰れそうになるくらい、一生懸命に真面目にしようとしているあなたも好きなの。
こんな自分勝手で傲慢でテキトーな魔神を、真人間になろうと努力する性格にしたご両親!すっごく会ってみたいから!よろしくねっ!」
「う、うん」





地球時間、2月9日の木曜日。
前日の水曜日に、日本に移動したロイたちは、日本の作法を教えながら準備し、その日を迎えた。

「入籍日は、お肉にあやかって肉の日!よし、挨拶したら籍入れて、それから、観光して来週帰ろう」
「ふっふっふー!ここが日本ね!お土産!何にしようかしら!」
「別に何もいらないよ。あのな、ほんと、変なことするなよ?失礼なこと言うなよ?おれの両親、優しいけど厳しい人だから!」
「ロイはわたしのお父様に結構失礼なこと言ってるわよね?」
「それはごめん!」
「まあいいけど。大丈夫よ。わたしだって、作法とかお父様に厳しく躾けられてるんだから」
「だよなあ。おまえんち、でかいし、村長の娘だし、村ではおまえ、巫女の頭なんてやってるんだもんなあ。なのになんでこんなに不安なんだろう…」

天真爛漫さが際立ちすぎて、きちんとしているシアンが思いつかない。
言われてみれば、父親を「お父様」なんて呼ぶし、使う言葉も基本的には上品…なのだろうか。それにしては、幼馴染のルウィンを下僕呼ばわりするのに躊躇いもないが、それは上流階級故の行いということだろうか。
疑問が頭を埋め尽くしたところで、シアンが実家の玄関の引き戸の横、インターホンをポチりと押した。

「あ」
「予習したのよ!これで呼ぶんでしょ?」
「ま、待てよ、心の準備が…」
「ご実家でしょ?なんの準備がいるのよ」

しばしのち、インターホンの音がざわつき、聞き覚えのある緩やかな声が聞こえた。

「はい。どなた?」
「あ、え、えっと、ロイです。母さん。た、ただいま戻りま…」

最後まで言う前に、パチリとインターホンが切れ、どたどたと奥から音がしたあと、ドアが横にずるりと引かれ。

「兄さん!!!おかえり!!!遅いよーー!!」
「あ、ああ遅くなって悪い、龍斗。…背、伸びた?」
「うん!兄さんより大きくは…はーい。なってないのはわかってましたー。あーあ、ようやく165越えたと思ったのに…」
「おれに届くにはあと14センチ必要だな」
「兄さんも伸びてる…」
「龍斗、お前もう大学生だろ?もう伸びないんじゃないか?」
「の、伸びるよ、ほら、兄さんも伸びてるよね?おれも伸びるって。…あ、そっちが奥さ………って外人ーーー!?!?
かあさーん!!事件!大事件だよ!!兄さんが、外人連れてきたーー!!」

どたどたと、廊下を走り戻る弟。
久しぶりの再会だが、相変わらずで、少し安心する。

「うるさくてゴメン。あれが弟、龍斗。おれと血は繋がってないんだ…て、この家にいる人みんなそうだけどね。すごくいい子で、可愛いだろ?」
「男の子…よね?女の子みたいに可愛かったけど」
「うん。妹もいるけど、そっくりだよ。あ、あと可愛いとかあいつには禁句な」
「ふふ、良いお兄ちゃんしてるのね」
「ほとんど帰ってこない兄だけどね」

じゃあいらっしゃいませ、とシアンを玄関に通す。
ひんやりとした玄関は、靴棚の上に一輪の花が飾ってあるだけで、物はほとんど置かれていない。
玄関にいらないものを置くのを父は嫌うので、靴棚に入る靴以外は、各自の部屋か、物置に閉まってある。
その懐かしい雰囲気にほんの少しだけ胸が痛んだ。

「あ、靴は脱ぐんだぞ」
「はーい。面白いわね。ドアが横にスライドするとか、初めて見たわ」
「んー、引き戸の玄関は、こっちでももう珍しいかなあ。うち、純和風だから。もっと珍しいものいっぱいあるかも。」

実家を出て一人暮らしするまでは、ロイはそれが普通だと思っていた。
大学生になって一人暮らしを始めて、小さなワンルームの部屋の小ささと、開き戸のドアノブの冷たさにびっくりしたものだ。
しばらくして、実家の方がいまどき珍しいのだと知り、今では開き戸の方が慣れてしまった。
何かで古い建物を見ると、実家を懐かしく思ったりはするけど。
一人暮らしを始めたきっかけは、通うことになった大学がこの実家から新幹線で数時間かかる距離だからだ。
もちろん、それを狙ってその大学にした。
そうして、徐々に実家には帰らなくなり、卒業してからは仕事という言い訳で、ほとんど顔も見せてない。
義母が病で倒れた時に、数回顔を見せただけ。
あんなに良くしてもらったというのに、とんだ親不孝ものだ。
病気を治したなんて自己満足、きっと彼らは喜ばないことはわかってる。
合わせる顔もない。
正直、ロイのことなんて、死んだと思ってもらった方がいい。
のだけど。

「どしたの?」
「いや、なんでも」

今、隣にいる幸せを見てもらいたい、なんて。
なんだか、よくわからない気持ちだ。
誇らしいような、恥ずかしいような、情けないような、嬉しいような。
父がなんて言うだろうとか、母がなんて思うだろうとか、いつも思ってることは、ちっとも頭に浮かんでこなかった。
ただ、なんかこう、見てもらいたい。
この幸せを。
こんな風に思う日が来るなんて思ってなかったので、なんだかとても不思議だった。










「で!馴れ初め!馴れ初め教えてよ兄さん!」
「ちょっと待てって、挨拶くらいさせろよ」

茶の間の座卓は、やはりシアンには新鮮に映ったらしい。
低いテーブルを見て、これは何?という顔をして見上げてきたので、座布団を渡して座るように示し、自分はその横で正座をした。シアンも真似をしようとしていたが、正座なんてしたら後で可哀想な目に合うことがわかりきっていたのでやめさせる。初心者のすることじゃない、と言うと、しばらくムキになっていたが、足が痺れたのだろう。すぐにやめていた。
母は、座卓の角向こう、斜め横にいる。お茶を淹れる仕草に不自然さはなく、顔色も悪くない。もう病気は大丈夫なようだ。

「えっと、母さん、体調は大丈夫ですか?」
「ええ、ロイさんったら、私が治った途端ここに帰ってこなくなったんですもの。もう少し、悪くてもよかったかもしれませんね」
「ご、ごめんなさい。仕事が忙しくて…」
「冗談ですよ。寧ろ、休ませてしまって、申し訳ございませんでした。ロイさんの顔が見えて嬉しかったですよ」

にこりと笑った母は、着物の袖口を抑えながら茶を湯呑みに注ぎ、ロイとシアンの前に、どうぞとそっと差し出した。
それから母が席に着いたタイミングで、シアンはすっと頭を下げる。

「ご挨拶遅れて申し訳ございません。
シアン・ヴァイオレットと申します。
あの、お着物綺麗ですね…」
「シアンとは仕事で知り合ったんだ。見ての通り、日本人じゃなくて。その、フェルタっていう…フランスとドイツとイギリスとイタリアとかその辺の間にある小さな国の人なんだ」
「へー!スイス?ベルギーかな。日本語上手なんだね」
「えっと、ロイ…さんに、教えていただいて」

実際は便利な魔法の力だ。
ロイの力の1つリベラルアーツを教える能力。
文法学、修辞学、論理学、算術、幾何学、天文学、音楽。
この七科に属するものをロイは与えることが出来る。
そのうちの文法学を応用利用し、シアンに日本語を話せるように細工してある。

「あの、でもまだ、勉強中ですので、おかしなことを言ってしまったら申し訳ないです」
「いえいえ、シアンさん。すごくお上手な日本語ですよ」

何か失敗したとしても、日本語がわからなかったことにしてしまう作戦。
シアンもなかなか抜け目がない。
ただ、まさか母親が着物で出てくるとは思っていなかったのだろう。
初めて見る衣装…でもないだろうが、珍しい衣装に、シアンは珍しくたじろいでいた。
ロイの中では、母親=着物なイメージだったので、そこで驚くんだ、と新鮮だったのだが。よく考えたら、日本人でも驚くかもしれない。一般には普段着として着物を身につける人は少ないだろう。学校の友人たちでも驚きそうだ。

「にしても兄さん。今まで浮いた話全然聞かなかったから心配してたけど、まさか外人捕まえて帰って来るなんてびっくりした!さすが兄さん!スケールが違うなあ…!
こんな可愛くてスタイルよくて、お人形みたいで…
あ、ごめんなさい。シアンさん。じろじろ見ちゃって…」

不躾なことを言ってしまったことに気がついた龍斗は、低く頭を下げた。悪いことをしてしまったら、ちゃんと謝ることができるのは弟の美徳である。
シアンを可愛いと評しながら、大きな瞳を輝かせる弟こそ、兄の目から見ても可愛い。身長も低く、手足も細く、いつか身体も大きくなると信じているためか、着る服もいつも大きめだ。今着ているパーカーも身体に合ってなく、身体の線を隠しているため完全に女の子のそれである。が、それを言うと怒る。兄のような男の中の男になる!が龍斗の目標らしく、完全に何かを誤解しているが、良い兄でいたいロイは、彼の夢を壊さないように良い兄を続けている。

「え?あ、全然、いいのよ。龍斗くんこそ、その…」

頭を下げられたシアンは慌てて手を振るが、事前に注意されていたことを思い出し、可愛いと言いたい言葉を濁した。

「え、えっと、ロイ…さんから、自慢の弟だって聞いてたから、会えて嬉しいわ」
「ぼ、ぼくも、会えて嬉しいです!兄さんはおれにとっても自慢の兄さんで、ほんとなんでも出来て、足も速いし、剣道も強いけどサッカーも上手くて!学校でも生徒会もしてて、みんなから頼られてて、頭も良くて、おれと違って成績すごいし!教え方も上手いし!仕事で世界中飛び回ってるし!それから」
「ま、待って龍斗、おれがいたたまれない」
「奥さんになるんだから、全部知ってて欲しいんだよ」

一生懸命に「ちゃんとしよう」としていたことを目の前で上げられると、なかなかつらいものがある。なんというか、恥ずかしい。
ロイがそんなに立派なものじゃないことをシアンは知っているから、尚更だ。頭を抱えるのを我慢して、代わりに胃を押さえるロイを見て、シアンはくすりと笑った。

「ふふ、弱点は歌うことくらいかしら。立派なお兄さんね」

それを聞いた龍斗は、一瞬きょとんと不意を突かれた顔をして、それから横に座る苦い顔の兄を見て吹き出した。
段々堪え切れなくなったのか、机を叩いてゴホゴホと咳をしたあと、息を整えて、また笑う。

「そうそう!うん、あと、絵も弱点かな。下手っていうかあれは芸術だよ?兄さんの絵!何描いてもヘビになるんだ」
「ヘビに…」
「そうそう!昔、夏休みの宿題の絵、手伝って貰ったんだけど、一生懸命ヘビ描いてくれてさ。絵の具だらけになりながら、夏休みの花火大会の絵を描いたんだって言うんだ。ヘビじゃなくて花火なんだーって。おれさーもう申し訳なくなっちゃって!あれから、夏休みの宿題は自分でやろうって決めたんだよなあ」

思いもよらないところで、弟がある時から夏休みの宿題を泣きつかなくなったことの真相を知ってしまった。衝撃だ。兄を頼らずに自分でやろうと大人になったのだと思ってたのに。頼らなくなった要因は、兄の不器用さを見たからなのか。非の打ち所がない完璧な兄と思われていると思っていたのに。弟なりに何かを感じ取っていたのか。なんだかすごく愕然とする。

「あーなんか安心した!シアンさん!シアンさんは幸せになるよ!うちの兄さん、すごい人だから!」

不器用さをちゃんと見ていたのに、弟の評価が「すごい兄」なのは変わらないらしい。不思議だ。
憮然とする「兄」の横で、シアンは龍斗の言うその評を、揶揄するわけでもなく受け止めて、頷いている。
龍斗は、それを見て満足そうに笑った。

「だから、…兄さんを幸せにしてください。お願いします。…シアン姉さん」

背筋を伸ばして、綺麗な正座。
畳の線に合わせて手をつき、手の形に合わせて頭を下げる。
この家で、母や父から教わって身についた所作は、もちろん龍斗にも備わっている。
朝起きて、学校に出掛ける前、兄弟揃って父母に行って来ますと頭を下げ、寝る前にもお休みなさいと頭を下げた。
礼に始まり礼に終わる。それが岸辺家の家訓の1つ。
ロイは、弟がシアンを受け入れたのだとわかった。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

その姿勢を真似たシアンの礼は、龍斗ほど綺麗ではなかったけれど。
なんだかロイは、初めて…今更だが、そこで初めて、自分とシアンが結婚するのだと自覚した。
あのシアンがこうやって、家族を受け入れようとしてくれている。
ロイを形作ってきた全てを。
あのいつも自分の道を突き進む彼女が、性格も、文字通り住む世界も違う彼女が。
こんなにも受け入れてくれるなんて、これが結婚なのだと言うなら…

「なに?兄さん、感動してるの?」
「や、べ、べつに…っそ、それより、龍斗、真理衣と父さんは?」

誤魔化すように咳をして、座卓の向こう、不在の席を示すと、和かに母が答えた。

「真理衣さんはお父さんを呼びに行ってますよ。そろそろ来るんじゃないかしら」

言い終わると同時に、襖が開いた。

「遅くなってすまない」

低い声の謝罪が、ひやりと響く。
襖を開けたのは、久しぶりに見る父親。
思わず背筋が伸びたのは条件反射…というか、当然だ。父親と話すときにダラけたところなんて見せられるはずがない。
その後ろから、長い黒髪の少女が、目を丸くしてこちらを見ている。義妹、真理衣だ。高校生になったあとも何回か会っていたが、女の子は見るたびに成長するなあ、と少し驚いて、安心させるように微笑みかけると、頷いた真理衣は、父を追い越して、母や龍斗の向かい側、ロイの斜めに腰を下ろした。

「お久しぶりです、父さん。連絡出来ず、ご心配おかけしました」
「いや、…元気ならいい」

父は丸くなった。
父の返事にそう思う。
いや、昔から怒鳴りつけられたことなんてなかったし、実はそんなに怒られたこともない。
寡黙な父が声を荒げたことなんて、一度もなかった。
父はいつも低い声で、ゆっくりと必要なことだけを口にして、ロイに大切なことを教えてくれた。
萎縮していたのはロイの方で、父を恐れていたのもロイの勝手だ。
現に、龍斗も真理衣も父母を恐れていないし、むしろどちらかというとワガママなくらいで、のびのびとしている。
父も母も、血が繋がっていない自分と血の繋がっている龍斗や真理衣を区別したことはない。長男だから、男だから、女だから、血が繋がってないから、そんな区別を父も母も口にしない。
気にしていたのはロイだけで、きっとそれは、父母に伝わっていて、それをロイは申し訳なく思っていた。
だから、あまり家に帰りたくなくて、大学は遠くを選んだし、実家には最低限しか帰らなかった。育ててくれた恩を返したかったけど、なにが返せるのかもわからなかった。
そんな遠慮が、ロイに父を恐れさせていた。
父に立派な息子だと思って欲しくて、いつも一生懸命だった。
ほんとは、父と母は、昔も今も誰よりも優しい。
知っていたそれを、ロイは初めてちゃんと受け止めて、下げた頭をゆっくりと上げた。
正面から、父を見る。
太い眉と鋭い目。笑わない口元。
相変わらず怖い顔をしている。
だけどその顔は、いつもロイを心配していた優しい顔だ。

「強さは何か、見つかったか?」

正面から顔を合わせると、父が問うたのはそれだ。

強くなりたいと。
幼いロイは、父にそう言ったことがある。
父は「強さとは何だ」と聞いてきたので、それは、殴られても立ち上がるタフさだったり、心ないものたちの陰口を気にしない、心のありようだったり、冷たい世間を一人で歩き抜くことが出来る財力だったり、二度とバカにされないシンプルな腕力だったりする。そんなことを答えると、父は何かを考えて、ただひとつ、古い竹刀をくれたのだ。
子どもだったロイには大きくて、重い、使い古された竹刀。

『まずはここからだ』

父はそう言って、ロイに剣の道を教えてくれた。
それがロイの原点だ。
魔神だとか前世だとか関係ない、ロイだけの本当の原点は、父のくれた古い竹刀。
これがなければ、ロイはちゃんとしようなんて思えなくて、ろくでもない人間になってしまっていただろうと思う。
何せ、元が魔神で、産まれもわからない捨てられた孤児だ。父と母が引き取ってくれなかったら、自分の未来はわかりきってる。今みたいな未来じゃない。想像するのも容易い、ろくでもない未来。
最初に父は、「ロイ」なんて自分を棄てた人間が適当につけた意味のない名前に、漢字と立派な意味を与えてくれた。
初めて、ロイは名前を誇らしく思った。
冬に路端で踏まれる蕗は、春になると芽吹く。
踏まれても気高く威風堂々とあれと付けてくれた蕗威の字は、ロイの生き方の指針。
父は、ロイに剣を与えてくれた。
ロイにとって剣は力の象徴になり、支えになった。まっすぐに伸びる剣を見ると、心が引き締まる。

強さとは何か。
幼い頃色々出てきた言葉と、今の思う答えは違うものだ。

ロイにとって強さとは、父のくれた、剣であり志。
それから、いつもそうありたいと思っている自分の心だ。

「はい」

答えると、父は小さく頷いた。
他に言葉はない。
それから、 母に向かって、昼にしようと促す。
是も非もなく、それ以上問おうとしないのが、実に父らしい。












客が来た時の昼ご飯は寿司。
岸辺家のルールのひとつである。
父は酒を飲まないので、宴会にもならず、実に粛々とした食事会になるのだが、龍斗と真理衣がいるのだから、和やかさは事欠かない。

「シアンさん!兄さんとはどこで出会ったんですか!」
「え、えっと、あの、わたしの家の近くでロイ…さんが迷ってたのを、助けた…のが最初だったかしら」
「偶然出会ったの!?一目惚れ?一目惚れですか?!」
「えっと、最初は…その…そういうわけではないんだけど」

そういうわけじゃないどころか、大喧嘩から始まったということは、言っていいんだろうかとしどろもどろなシアンはロイを見上げて助け舟を求めるが、ロイはそれに気がつかないふりをする。

「一目惚れじゃないなら、好きになったきっかけは!?兄さんの好きなところは!?」
「え…きっかけ…は…ある時ロイが泣いてて、それを見たことかしら…好きなところは偉そうなのにたまに情けないところで…」
「ちょっと待ってシアン。何言い出すんだ?」

真理衣を止めなかったのは、ロイ自身ちょっと気になっていたからだ。しかし出て来た答えは酷いものだった。止めなかった仕返しだと思いたい。本当にそうなら少しつらい。だが本当にそうなのだろうなあと思う。つらい。

「え?いけなかった?ロイが泣いたの内緒だったかしら?」
「内緒っていうか、デリカシーの問題だろ?」
「デリカシー…ロイの口から出てくると、不思議な呪文に聞こえるわ…」

おまえには言われたくない!というお互い様ないつものやり取りをしている横で、「龍兄、あれが惚気ね」「あれが惚気だよ真理衣」とヒソヒソ呟く弟妹。

「でも、兄さんが外人さんを連れて来たのはびっくりしたけど、シアンさんでほんとよかった!シアンさん!シアン姉さんって呼んでいいですか?」
「調子いいなあ。真理衣、ロイ兄が彼女連れて来たらいじめ倒すって言ってたじゃん」
「ふつーの子連れて来たらそのつもりだったけど、ハリウッド女優真っ青のストロベリーブロンド美少女よ!日本語堪能で可愛くてロイ兄を泣かせられるとか、特SSランク!さすが私の自慢のロイ兄よ!!ロイ兄はこうでないと!」
「ああ!ロイ兄はおれたちの予想を軽く飛び越えてやってくれる!おれはロイ兄の正体が世界を救うヒーローだったとかでも驚かない!」
「わたしは実は某国の王子だったとかでも驚かない!」

当たっていないが、一周回って近い。
勝手を言う弟妹に、魔神で魔界の主計長官が正体の兄は少しひやりとする。
というか、少しブラコンの気配があるなあと思っていた妹の本性を初めて見た気がする。
え?なに?彼女連れて来たらいじめるつもりだったの?なにそれこわい。
日本人形みたいな、大人しく愛らしい妹はどこに行ったのだ。
身近な家族の本性を初めて見た。家族にいい格好をしようと演じていたのは、ロイだけでなかったのかもしれない。

と、ふっと、父の隣にいた母が、ロイに尋ねた。

「ロイさん。失礼だけど、彼女の…シアンさんのお仕事は?日本で一緒に住むの?」
「いや、シアンの国におれも住もうと思ってます。おれの仕事もそっちだから。彼女の巫女の仕事もあるので…」
「「巫女!?」」
「聞いた龍兄!彼女は巫女さん!ストロベリーブロンドの美少女巫女とかなにそれ!」
「え?なに?巫女ってスイスにもあるの?シスターとは違うの?シャーマンってやつ?神の力で戦うの?」
「え、あ、いや」

失言に気がつくがもう遅い。
弟の発言がちょっと現実からズレてることに大丈夫かこいつと思いつつ、何とか言葉をひねり出す。

「シアンの国の風習で…ええっと…」
「わたしの仕事は、平和と幸せを祈り、自分を捧げ、人間を邪悪から守ることです」
「ちょ、シアン!」

シアンがロイの言葉を継いで口にした言葉は、間違ってはいなかった。
それがシアンの仕事だ。
ただその仕事は、この世界には…日本の中では、真っ当のとは言えない。
巫女で、平和を祈り、捧げ、人間を守る。
あの世界では立派な職業でも、この世界では胡散臭い宗教で。
現に、それを聞いた真理衣と龍斗はちょっと退いていて、母親の表情からは何も読みとれなかった。

「ロイさんの国にはないものだと、聞いています。
胡散臭く聞こえることも、初めて会ったときのロイさんの態度で、わかります。
だけどこれは、生まれたときからずっと、わたしに課せられた、使命です」

巫女なの!
と、初めて会ったシアンが言ったとき、ロイの第一声は、宗教ならお断りです。だった。
だって、胡散臭いにもほどがある。
人類の平和を祈る?
邪悪から守る?
ご先祖様は大切にしても、カミサマにはなんとなく胡散臭さを感じるのは、現代日本を生きるロイにとって、仕方がないことだったと思う。
だからつい、彼女を咄嗟に否定してしまった。
シアンはその言葉を流してくれたけど、それはシアンが巫女として『大罪を持たない』ことを信条にしているからだと今ではわかる。
人から言われたことを気にしていては『罪』を溜めるだけ。彼女は強欲も憤怒も嫉妬も暴食も高慢も色欲も怠惰も憂鬱も拒食も幸運も持ってはいけない巫女だから。
とはいえ、ロイが反射で否定したのは、宗教がどうとかではない。彼女の全てだったのだと、今改めて気がついた。

シアンは巫女の長となる為に産まれ、期待通りの力を持ち、周囲に嫉妬されながら生きて来た。
あるときその力を失って、これまで特別扱いされ続けてきた反動で、彼女は酷い嫌がらせをうけたのだという。
それでも、力を失っても、彼女は巫女だった。
嫌がらせを受けたことはすぐさま倍にして返し、それまで通り強い態度を貫いた。
周りより持つ聖気が弱くなっても、彼女は誰より巫女だった。
『大罪』を寄せ付けない彼女の強さは、力を失くしたときも、取り戻した今も変わらない。
それをロイも見てきたつもりで、それが彼女だと思っていたけれど。

そうだ。
彼女は、自然とそうであるのではない。
そう、あろうとしているのだ。
ロイが一生懸命、ちゃんとしようとしていたのと同じで、彼女は巫女であろうとしている。
人のせいにはしない。人を頼らない。すべて、自分のことだから。
そう言ったのを聞いたのは、ついこの間のことで。
それは、シアンの矜持なのだ。

だから、シアンは真っ直ぐに、母と父を見つめて言った。

「ロイさんの仕事は、わたしと相容れない仕事で…周りからは反対もされました。
だけど。
わたしは、ロイさんに何も強いるつもりはありません。
ロイさんを救おうとも、思いません。
ロイさんは、自分で立てる人だと知っています。
ロイさんはロイさんの、わたしはわたしの仕事をして…
それから、…ロイさんを守りたい。
わたしはそう思っています」

殴られた気がした。
巻き込みたくないなんて、そう言ったのはロイだ。
自分は魔神で。
彼女は巫女で。
相入れるわけなかった。だけど、それについて、彼女と今までちゃんと話をしたことはなかった。
魔神なんてろくでもないというのは、2人共通の意見だったが、とはいえロイも魔神なわけで。
シアンはシアンで、それを封じる力を持っている巫女だ。
それが明らかになったとき、シアンの周りは一瞬で態度が変わったし、ロイの部下となった連中は、シアンを外敵扱いした。
だけど、ロイを勇者扱いしたころのまま、シアンは未だに態度を変えない。
魔神なんて辞めろと彼女に言われたこともない。
巻き込みたくないと言ったら、今更だと言われただけ。
その今更という言葉の本当の意味を、今初めて知った気がする。
彼女が言っているのは、いつも巻き込まれているから今更、なのではなかった。
彼女はもう、きっと随分前に覚悟を決めていたのだ。
ロイはロイで。
自分は自分で。
出会った時から、最初から何も変わらない。
「今更」だ。
巻き込むとか、彼女の考えからするとなんて的はずれだったんだろう。
加えて、人類を邪悪から守るついでに、魔神とか関係なく「ロイ」を守りたいなんて、ロイの方が立場がない。

「…君は…強いな」

低く、父が言った。
父に強いだなんて、ロイも言われたことがない。
苦笑して父は続ける。

「でも、たまにはロイに守られてやってくれ。あの子は拗ねると手に負えないから」
「そうですね…がんばります!」

父が笑うところを初めて見た。
目の横に皺が刻まれて、厳つい顔つきが、随分緩む。
いや、長年一緒に暮らしていたのだから、初めて見た…わけではないはずだが、父のそんな緩んだ顔を見た印象はない。
呆然としていると、その隣でふふっと笑い声が弾ける。

「あーおかしい!ロイさんの顔!
あなた、見てくださいよ。もう私面白くて」
「…笑ったら可哀想だろう。我慢しなさい」

父の背中を叩いて笑う母。
仲の良さそうな夫婦。
この光景は見たことがないわけではない。
龍斗が何か言って吹き出す母とたしなめる父という、よく見るいつもの光景と同じだ。
違うのは、笑っているのはロイのことで。
きっとそれは、初めてじゃなくて、2人の間では良くあるのだろうと、よくわかって。
なんだか恥ずかしくなって、ロイは耳まで真っ赤になり、顔をふせた。














「良いご両親ね!最初はびっくりしたけど、ロイのお父さんとお母さん!ってかんじ!」

昼を食べて、もう一度今後のことを報告した後、ロイ達は家を出た。
これから役所に向かって書類を提出する。
もう少しゆっくりしていけと家族は言っていたが、シアンが「ロイが何としても肉の日に入籍したいって言うんです」と言うと、ああと納得して解放してくれた。
そんな素っ頓狂な回答で納得してくれるということは、今まで気取ってきた自分の態度はバレバレだったということで、今更だが恥ずかしすぎる。
そんなに肉肉言ってきたつもりはないし、好き嫌いせずに何でも食べる手のかからない長男を演じていたつもりだが、よく考えると、ロイに何か良いことがあった日は必ず肉が出てきたものだった。
バレていた。

「また来ましょうね!」
「…ああ」

本当は。
もう、この家には帰って来ないつもりだった。
だから、シアンの婿養子に入って、向こうで暮らすことを了承してもらい、あとはどうしてもの時だけ顔を出すつもりだった。
龍斗や真理衣が結婚するときとか、考えたくないが、家族の葬式とか、それくらいで。
覚悟を決めて婿養子になると言ったら、いとも簡単に受け入れられてしまった。
「ロイ兄さん、婿養子って、外人になるってこと?え?苗字は?ロイ・ヴァイオレット?なにそれヤバイ。兄さんはどこまで行ってしまうの?」とかなんとか真理衣に騒がれたくらいだ。
長男だが、岸辺家を継ぐのは岸辺家の血を継ぐ龍斗の方がいいし、結局は父も受け入れるだろう。そういう算段がロイにはあったが、受け入れてくれた父も母も、血の繋がりがどうとか考えていないことは、もうロイにもわかる。
父も母も、ロイのしたいようにすればいいと、最初から、きっとそれしか考えていないのだ。



「さて、次はシアンの家だな」
「お嬢さんを僕にください!てやるの?」
「かっこいいこと言いたいんだけど、今回の場合、婿養子だからおれが貰われる側だよな?」
「あ、わたし息子さんを私にくださいってやってない!」
「いや、なんか充分やってたし、これ以上おれを情けなくしないでくれる?」

自分より前に、父に強さを認められた彼女。
父に、強くなったなと言われるのはロイの夢だったのに、先に奪われてしまった。
悔しさを堪えて歯ぎしりすると、その背中をぽんと叩かれる。
背中を押してくれるその手に、きっと生涯敵わないんだろうなあ、と悟って、ロイは彼女…妻の手を取った。













2017-02-10 : SS : コメント : 0 :
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サツヤ編第3話

緋月颯椰が消えた。
そのことを哲が知ったのは、彼が消えて3日後のことだった。

「てっちゃんてっちゃん、今日さっちゃんと一緒にいた…てことは、ないわなあ」

母親は、帰ってきた哲の顔を見て静かに頭を振った。
返事を聞かなくてもわかるだろう。
母の言うてっちゃんというのは哲のことで、さっちゃんというのはサツヤのことだ。幼馴染の。
幼馴染とはいえ、サツヤとはもう4年もまともに会話なんてしていない。
正確には、小学校6年の秋以来、だ。

「にしても、どこいっとたんよ、てっちゃんは」
「…学校」

いつもは一晩帰ってこないくらい言及もしない母親が、珍しく聞いてきたことに違和感を覚えながら、短く答える。

「また機械いじり?」
「研究」

学校の目を盗んで、旧校舎の化学準備室で寝泊まりするのもいつものことだ。堂々と言えることではないが、今までこの大らかすぎる母親に咎められたことはない。
親として問題があるのではないかとも思うが、藪蛇すぎるので哲もありがたくその放任主義の恩恵を受けていた。
だから、今更そのことについて何か言うとも思えない。そう思い母親を窺うと、母親は哲の答えに、そうかあ、と繰り返して。

「さっちゃん、いなくなっちゃったんだって」
「…そ」

心配やなあ、という言葉に返事をせず、哲は自室に足を向けた。




幼馴染のサツヤが消えた。
それに驚きや衝撃はない。いや、全く無いかと言われると、少しは動揺したかもしれないが、衝撃のようなものはなかった。
やっぱり、なるほど、ついに、とうとう、ーーようやく。
ああ、ようやく消えたのかというのが、一番近いかもしれない。
あんなことをしておいて、それをまるっと忘れてのうのうと生きている方がおかしいのだ。
のうのうと卑屈に、見当違いに、まるで被害者みたいな顔をして。


---兄さんがいなくなったんだ。
---僕、一人じゃ無理だよ。

あの日哲の足下でしくしくと泣いたサツヤ。
哲は、何も言えなかった。
慰めることも罵ることも出来なくて、泣くサツヤから身を翻し、冷える身体と震える足に叱咤しながら、逃げることしか出来なかった。

それ以来、サツヤとは話をしていない。
話なんて、出来るわけなかった。
何を話せと言うんだ。目も合わせられない。
問い詰めることもできない。知りたくもない。
考えたくもない。
それでも何もなかったふりは、哲にはできなかった。
突然避けだし、顔も合わせなくなった哲に、サツヤも何も言わなかった。
それから数年、1人で過ごしていた彼は、今更姿を消したという。


消えたのは、罪悪感からだろうか。
それとも絶望して?
世を儚んで?

「ばかだな」

何にしろ、今更だ。
緋月サツヤは、本当はもっと早く消えるべきだった。
一人ぼっちで、誰からも手を差し伸べられず、延々と泣きながら過ごしていたのは、彼への報いだろうが、それを放り出すなら、もっと早くやるべきだった。
そうしたら、サツヤもあんな小さな背中で、あんなに重い荷物を背負うことはなかったのに。
それを是としたのは、哲も同じで。
冷たく見捨てた現実と、それでも、だからこそ、その姿を見届ける責が哲にはあった。
サツヤが逃げたのだとすると、その責の行方は。

「くそ」

乱暴にベッドに鞄を投げた哲は、軋む椅子を無視し腰掛ける。そのままパソコンの電源をつけ、キーボードに八つ当たりするように指を叩きつけると、それを印刷した。
プリンターが黒い模様を吐き出す間に、スポーツバッグに、着替えといくつかの工具とスマートホンを投げ入れ、最後に印刷したいくつかの紙を押し込むと、それを抱えて、再び玄関へと駆け下りる。
何を持っていくだとか、熟考する余裕もなかった。じっくり考えてしまったら、我に返って動けなくなってしまう。困ったらその時はその時悩めばいい。いつも持ち歩くものだけを握りしめ、バタンと扉を開ける。

「てっちゃん出掛けるの?」
「もしかしたら、しばらく帰らないかも。よろしく!」

母親の声に返事だけした。
もしかしたら、というのは自分でも半信半疑だからだ。
考えたら進めない。
何故、どこにいくのかなんて、考えたら止まってしまいそうで、胸のモヤモヤを抱えて、勢いのまま駆け出す。

サツヤが消えたなら、それならそれでいいはずだった。
だけど、どうしても。
細やかで、それでも見逃せない破片が、哲に突き刺さる。
サツヤが心配だとか、そんなことはない。
心配だったら、あんなに長い間無視なんてしていない。
居ない方がいいとすら思っていた。
それならもういいはずなのに。

(わからん。でも、ひとつだけ)

思い当たることが、あった。
ひとつだけ、残っていたこと。
思い当たることがあるのなら、それを試してみないと。

(…科学者とは、そーいうもんだからな)

これは、悔いでも情でもない。
ただの、科学者を目指す大山哲の矜持である。
そう思うと、少しだけ心が軽くなって、哲は走るスピードを上げた。

目指したのは、学校。
家から徒歩20分の所に位置するそこにたどり着いた時には、走るなんて慣れないことをするもんじゃなかったと後悔するくらい、心臓がばくばくと震え、哲はじんじんする足を叱咤しながら、目的地に向かった。
哲にとっても慣れ親しんだ、旧校舎の化学準備室。
ここに来たのは、特別な理由があるわけでもない。
哲が落ち着ける場所というだけだ。
もちろんここにサツヤを招いたこともない。
正真正銘哲のテリトリー。
学校の場所を無断で借りているだけではあるが、学校だって、この場所を使って人類の科学技術が進歩されるのだから、ありがたがって使ってくださいと言うだろう恐らく。
何故か教師は煩く言うので鍵は勝手に使っているが。そもそも、旧校舎なのだから、人なんてほぼ来ない。
哲は、入ると同時に、電気ではなく、戸棚の上に置いているアルコールランプに火をつけた。
そして、綺麗に畳んで置いている白衣に手を通す。
完璧だ。
白衣を着ると自信が溢れ、なんでもできる気がした。
これからやろうとしていることは、哲だって、滑稽無糖のバカらしさを感じているが、バカらしいことを惜しまないのが科学者というものだ。
真っ暗な中、アルコールランプに薄く照らしされた光景は、それにぴったりと言っていい。
ほのかに照らされた人体模型。
カエルのホルマリン漬け。
香る薬品。
滲んで光るビーカーに、軋む棚。
苦手な人が見たら足がすくむに違いない風景を、満足気に見渡した哲は、カバンの中から印刷した用紙を取り出し、揺らぐアルコールランプの火で紙を照らす。

(とはいえ、オカルトは専門外なんだがな)

専門外ではあるが、ここはそれに似つかわしい、と思う。
取り出した用紙には、大きな丸と星。それからいくつかの記号や読めない文字のようなものを組み合わせた陣だった。
陣…いわゆる魔法陣。
科学者を自称する哲にとっては、嘲笑すべき、いわゆるオカルトだ。

だけど…

(ソウヤが言ってたのは、これだ)

サツヤの兄ソウヤ。
頭が良く、周囲に未来を期待される人気者。
人を揶揄うのが好きな面もあったが、それでも憎めるはずはなく、哲だって、彼に憧れていた。
もちろん、弟サツヤが兄ソウヤに憧れていたことは言うまでもなく。
思えば、ソウヤがいたころが一番幸せだったかもしれない。
幼い頃、ヒーローものを見て、ヒーローになりたいと言うソウヤに、哲は悪の科学者になりたいと答えたものだった。
悪の科学者がいないとヒーローも活躍できないからと言って、ソウヤは喜んでくれたのだ。サツヤは、二人とも危ないよ!なんて半泣きだったけれど。
面倒見のよかったソウヤは、哲にとっても良い兄貴分で。共に遊んだことは、思わず微笑んでしまう良い思い出だ。
そんなソウヤが。
ある日、哲に言った。

『面白い話、聞いたんだ』

どんな願い事だって叶えてくれる、大魔神がいるのだと。

「へー」
「なんだよ哲。ちょっとは興味持てって。サツヤは食いついてくれたぞ?」
「俺は科学者だから、胡散臭いものはちょっと」
「お前の作る通称科学の大発明品の方がよっぽど胡散臭くない?」

そこでソウヤが見せたのが、この魔法陣だ。
ソウヤは、学校の先輩に恩を売って、そのお礼にこの魔法陣を教えてもらったなどと胡散臭いことを言った。
複雑な模様は、いかにも「らしい」もので、ソウヤは広げた紙を嬉々として広げて、満足そうに頷く。

「これ!な?魔法陣!魔界の主計長官大魔王アスタロトを呼び出すことが出来る高等魔法陣だそーだぞ。願いが叶うんだとよ」
「…やっぱり胡散臭い」
「そこがいいじゃん。でも先輩、普段そーいう冗談言う人じゃないから面白いなって」
「からかわれたんだろ」
「まあ、それならそれで」

でも、これは絶対何かあるんだ。

そう、ソウヤは言って、その紙を哲に押し付けた。

「は?」
「哲にやるよ、それ」
「いや、いらないけど」
「遠慮するなって。俺はもう覚えたから」
「覚えたって、これを?」
「俺は天才だからなあ」

複雑なそのよくわからない仰々しい模様を覚えたと言い切ったソウヤ。
ソウヤなら覚えたのだろうと納得しなくもないが、それを哲が受け取るかどうかは話は別だ。

「いらないって」
「いつか役に立つから!必要なときに、それを使え」

いいから、と真顔に直って押し付けられてしまえば、哲も受け取る他はない。
渋々受け取って、家に帰った哲は、その魔法陣を検証することにした。
もしかしたら、何か隠された暗号でもあるのかもしれないと。
ソウヤは「覚えた」からいいと言っていたのだから、紙自体に何かあるわけではないのだろう。
この模様になにかあるのか。
パソコンに取り込み、見つめて、怪しげな本やサイトを調べてわかったのは、ソウヤの言った通りこれは魔法陣で、いわゆる魔神を呼び出すのだということだけ。
毒を吐き出すその魔神を呼び出すと、現在過去未来や、リベラルアーツを教えてくれるのだとか。リベラルアーツて…と調べたところ、自由七科。文法、修辞、論理、算術、幾何、天文、音楽、らしい。
学校のテスト前に使えという事だろうか。
と思いつつ、馬鹿らしくなり、その魔法陣のことも、哲は忘れてしまっていた。

だけど。
サツヤが消えたことを聞いたとき、思い出したのは、ソウヤが意味深に残したこれだ。
ソウヤは、サツヤにも教えたと言っていた。聞いたサツヤはこれに食いついていたと。
ソウヤは、これは願いが叶う魔神だか悪魔だか魔王だかを呼び出す魔法陣だと言っていた。
胡散臭いそれをサツヤが思い出し、実行したのだとしたら。
ソウヤがそれを見越して、哲に教えたのだとしたら。
それが、どうしてサツヤが消えることに繋がるのかはわからないが、一度思い浮かんでしまったその説は、哲の頭にこびりついてしまった。
だとしたら、実行しないと落ち着かない。
何故なら、それが科学者だからだ。


黒板脇のチョークを持ち出し、床に魔法陣とやらを描く。
実験器具の片付けに手間取ったが、器用さに自信がある哲にとって、魔法陣を描くことは造作もないことだった。
円の中に紋様と記号を描き、最後に魔神の名前らしきものを記す。

「こんな感じか」

描き終えて、手についた白い粉を叩き、ふうと息をつく。

「…まあ、何もないな」

見下ろした魔法陣は、我ながら精巧に描かれている。誰が考えたか知らないが、神秘性を感じさせるデザインは、哲の精巧さにさらなる輝きを増したかに見えた。が、それだけである。
何もない。
アルコールランプの火は、淡く揺れているものの、風はなく、音もなく、何の気配ももちろんない。

徒労であるとわかってはいたが、少し残念な気持ちもあった。
やるだけやったし、という自己満足感もあったが、片付けを考えると少し気が重い。
このまま帰るのも面倒だ。今日はここに泊まろう。途中になっている研究の続きもしたい。今やっている研究は、授業中の居眠りをバレないようにするサポート器の開発だ。バレないようにするためには、むしろ目立てばいいのではという天才的逆転の発想で、開発は今ピークに、差し掛かっている。居眠りをする時にボタンを押すと、小さな人形がぞろぞろと出て来てサンバを踊って教室を廻るという脅威の性能のマシーンだったのだが、教師に怒られたので改良中だ。サンバが駄目だったのだ。コサックダンスとフラメンコのどちらが良いだろう。


と。

突然、明かりが消えた。
隅に置いていたランプが消えている。
風は…窓を少しだけ開けていたものの、風が吹き込むほどではない。
オイルが切れたのだろうか。
本館の理科室から持って来たランプだが、学校がアルコールをケチるため、長時間は保たないのだ。
ほんのりと照らす月明かりを頼りに、哲は戸棚を目指した。予備のアルコールランプがあったはずだ。もしなければ電気を付けなければならないが、勝手にここを使っていることがバレて、用務員にまた怒られるのは避けたい。

「こんなところにいたのか」

声がしたのと、哲がつんのめったのは同時だった。
暗闇の中響く声は、どこからしたのかわからない。
近くでもあり、遠くでもあり、中からでもあり、外からでもあるような、声。
転びそうになった瞬間、ぐっと腕を掴まれた。
力強く引かれ、そこに何かいることが、わかる。

「探したんだぞ。サツヤも待ってる。帰ろう」

そんな声に腕を引かれ、哲が返事をする前に、突如、世界は闇に包まれた。
逃れようもない眩暈の中、サツヤというその名前だけはしっかりと認識出来て。





ちゅんちゅんと、聴いたことのない鳴き声がする。

哲が気がつくと、そこは森だった。青空だった。声の主は鳥だった。空気も澄んでいる。
都会育ちで都会から一歩も出る気がない哲にとって、初めての景色で空気で音だった。

「は?」

少なくとも、先程までいた夜の化学準備室ではない。

「き、気がついた?哲く…大山くん」

名前を呼びそうになり、慌てて苗字に呼び変えて。
哲に声を掛けたのは、哲の知っている人物だ。
その横には、申し訳なさそうにしている青年。哲よりも少し年上だろうか、人の良さそうな青年は、気がついた哲に頭を下げて、口を開く。

「ごめん。日本から召喚なんて珍しいから何かと思ったら、ソウヤの気配がしたから、つい焦って。悪いことしたね」
「ロイさん、哲…大山くんを、兄さんだと勘違いしたみたいで…大丈夫?痛いとこない?」

付け加えるように、おずおずと話すその声は、知っている。
面と向かって話すのは随分久しぶりだ。
いつも遠慮がちな話し方。話し慣れてないのか、少し早口で、途中で止まりがちになるのも、哲は知っている。
だけど、知っているそれより少しだけ張りがあり、その顔は、知っているそれより明るかった。

…あんなことがあったのに。
咄嗟の激情と、こんなところにいたのかという怒り。それから、認めざるを得ない、確かな安堵。
同時に襲われて、哲は言葉に詰まった。

「サツヤ…」
「哲くん?」

久しぶりにその名を呼ぶと、サツヤも首を傾げながら、哲の名前を返して来た。
少し、笑って。名前を呼ばれたのを、喜んででもいるように。

あまりにも滑稽な幼馴染の再会。
だって、哲はサツヤが許せなかったのだ。
名前なんて二度と呼ぶことはないと思っていた。
サツヤだって、こんななんでもない顔なんて、二度とすることはなかったはずなのだ。
それを哲は知っていて、許容していて、それはもう崩せないもので。
あまりにも簡単に、名前を呼ばれると、もうなんと言っていいかわからない。

「…夢か」

悪夢に違いない。疲れてたのだ。
きっと化学準備室で転んで気絶してそのまま寝て夢を見ているのだ。
夢なら仕方ない。都合の良い夢には、現実の悪夢なんて関係ない。だからサツヤはなんでもない顔をする。
現実が悪夢なのか、普通に笑う夢のサツヤが悪夢なのかわからないけど。


「ごめん、哲くん、だったかな…残念ながら夢じゃないんだ」



魔神アスタロト。
そう、サツヤの隣にい青年は名乗った。
哲が描いたあの魔法陣は、この青年を召喚する魔法陣だったらしい。
魔神。そう名乗られても、目の前の青年は、普通のどこにでもいる人間にしか見えない。
困惑しつつ、魔法陣はソウヤに教えてもらったものだと告げると、ロイは首を傾げた。

「おかしいな。ソウヤに会ったのは、ブリアティルトに来てからだから、ここに来る前のソウヤが、おれの召喚術を知ってるはずはないんだけど」


話を聞いてわかったのは、ここはブリアティルトという異世界だということ。
サツヤはソウヤを追いかけてここに来たということ。
ソウヤは、サツヤが来る前に行方不明になり、みんなでソウヤの行方を捜しているということ。

二の句が継げないとはこのことだ。
そのうえ。

「ごめん哲くん。僕が行方不明になったから、心配してくれたんだよね?僕、兄さんを探さなきゃいけないんだ。兄さんが見つかるまで、僕は、帰れない」

せっかく迎えに来てくれたのにごめん。
そう頭を下げるサツヤに。
いや、勝手に連れてこられたんだから、迎えに来たわけじゃないとか、サツヤの邪気も悪意もない顔だとか、そもそも魔神って正気かなとか、異世界とか頭がおかしいとか、何も言えない。
何とか言えたのは

「…俺も、「ソウヤ」が見つかるまで、ここにいる」

乾いた口で何とか紡いだその言葉。

「哲くんも捜してくれるの!?助かるよ!」

それに手を叩いて喜ぶサツヤが、哲には化け物に見えた。








2017-01-26 : SS : コメント : 0 :
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アイドルとジャラヒ

アジサイProさまの花音ちゃんと導くんをゲストにお借りしました。










「でね!ジャラヒさん!プロデューサーさんったらひどいのよ!」



「ほんとにもう、花音さんは、こっちの気も知らないで」


「「どう思います!?ジャラヒさん!!」」


「とりあえず、お前ら話しあえよ…」






時園花音。
ブリアティルトのオーラムで、歌を歌うことを生業にしているひとりの女性の名である。
『アイドル』<偶像>という聞き覚えのない呼び名の職業を名乗った彼女に声を掛けたのは、ジャラヒの方からだった。
傭兵登録はしたけど、歌を歌うことが本職なのだ。そう受付に力説する青髪の女性が花音で。
その会話を耳にしたジャラヒは、歌を歌うなら聴いてみたいと、つい声を掛けて。
突然声をかけられた花音は、嫌な顔ひとつせず、ジャラヒを歓迎してくれ、以来交流が続いている。

嫌な顔しなかったのは、良いカモが来たと、客商売の一環だったからかもしれない…と思ったと同時に、ジャラヒは否と結論を下した。そんな計算が出来るような女性ではない。
そんな計算が出来る女であれば、今、ジャラヒの目の前で、頬を膨らませて、プロデューサーとやらの文句をジャラヒに…お得意様であるカモに語ったりはしないだろう。


「でも、だってジャラヒさん!プロデューサーさんったら、私に歌よりも、料理の勉強しろって言うの!」
「おれは武羽さんから、花音が接客せずにすぐ歌いたがるのなんとかならないかと相談受けたけど」
「プロデューサーさんは、アイドルを何だと思ってるのかしら!歌ってって、お客さんに頼まれたら歌うしかないわ!」
「まあ、そりゃ、頼まれたら歌うのが歌手だよな」
「でしょ!?」
「うん、でも喫茶店なんだから客は捌けよ」


歌手、とはいえ。
ブリアティルトに来たばかりで、それだけで暮らしていけるはずはない。
だからこそ、彼女は傭兵登録もしているし、それと同時に、ここ、喫茶店「ブルーフラワー」を経営していた。
その喫茶店のマスターが、武羽導。花音の言うプロデューサーさん、である。
喫茶店のマスターにして、アイドル時園花音をプロデュースするのが彼の仕事である。
ジャラヒも、花音の歌を聴きに喫茶店に足を踏み入れて以来、親しくしている。
眉を八の字にしつつ胃を押さえる彼の動作は、妙に親近感を抱くものだった。

そんなブルーフラワー。現在客はジャラヒしかいない。
人がいないのは、昼時をだいぶ過ぎたから、というのもあるが、マスター1人と店員1人でやっているこじんまりとした店だ。これくらいでちょうどいいのだろう。
元々、花音の歌う場を兼ねての商売として出来た喫茶店らしい。
ただ最近は、花音の歌と、なかなか腕を上げて来た導の料理で、昼時はそこそこに混む人気店になっている。その為、本人が望んでいる『歌』を歌っていると、導1人で客の対応をする羽目になり、店はまわらず、導の胃が痛み、花音との口論が激しさを増す結果になっているのだが。

つまり、ジャラヒはふらっとコーヒーを飲みに来たばかりに、現在、昼を過ぎて落ち着いた店内で、花音側の要望、愚痴、意見を聞く羽目になっていた。
ちなみに、花音は先ほど買い出しから帰って来たばかりで、彼女が顔を出す前に、ジャラヒは導側からの要望、愚痴、意見もたっぷり聞いている。

「てか、人増やせよ。ウェイトレス雇えばいーじゃん。そしたら花音も歌えるだろ」
「ジャラヒさんやってくれるの?ウェイトレス!」
「なんでだよやらねえよっていうかなんでウェイトレスだよそこはウェイターだろやらねえけど」


目を輝かせる花音に、一息でそうツッコんで、ジャラヒはふうと息をついた。
それから、すっかり冷めてしまったコーヒーを一口。
冷めても美味い。
冷めた酸味よりも、深みを感じられる味わいは、喉に引っかかることなくするりと通る。
最初に来た時よりも、腕を上げたなあ、とジャラヒ自身コーヒーに強くもない癖に評価して、それからカウンターの奥に声を投げた。

「武羽さん、コーヒーもう一杯」
「あ、はい」

返事を聞いて、コーヒーが出るのを待ちながら、ちらりと花音に目を向ける。
むすっと頬を膨らませた花音は、まだ納得はしていないようだった。
マスターと店員の戦い…ではなく、プロデューサーとその歌手の戦いは、まだ続いている。
店は大事だ。そこは花音もわかっている。
反省していないわけではない。
忙しいのに、客を放置して歌っていたというのは、正しいと言い切ることは彼女にだって出来ないのだろう。
ただ、花音の歌を聴きに来たのだという客に、今日は歌えないと、断ることも彼女には出来ない。
それは歌い手、プレイヤーとしての矜持だと、ジャラヒにはわかった。そして、それはとても好ましく思える。

(やっぱり、演者はそうでなくちゃな)

パフォーマンスをする側が、それをする場で、求められて断ることなんて、あってはならない。
そうでなければ、演者ではない。
わがままでもいい。
無茶を言ってもいい。
ただ、その矜持だけは持っていなければならない。

少しだけ、懐かしさに胸が痛んだ。
実のところ、花音に声を掛けたのも、傭兵である前に歌手であると言い切る彼女に、その矜持を見て、ワクワクさせられたからだ。
そんな演者の矜持が、昔からジャラヒは好きだった。

「なあ、武羽さん」

そして、それはきっと、彼女のプロデューサーもそうだろう。
と、少し気まず気に、コーヒーを持ってきた導に、ジャラヒは笑いかけた。
感情を剥き出しにする花音と違って、導の考えていることは、ジャラヒにはわからない。
だけど、元々同じ「裏方」として、演者に対する気持ちは、少しだけわかる気がした。

「人、増やせねーの?喫茶店の店員」
「それが…人に賃金出せるほど儲かってなくて」
「だったらジャラヒさんに頼めばいいじゃない!」
「なんで『だったら』だよ!やらねえよおれは!しかもタダかよ」

図々しく手を打つ花音に、あちゃーという顔でため息をつく導。苦笑して、気にしてないことを示すと、もう一度すみませんと頭を下げる。

「人を増やす程の忙しさでもないんですよ。花音さんがちゃんと働いてくださったら、問題ないんですけど」
「でも、歌ってくれって言われてるのに歌わないわけにはいかないじゃない!私はアイドルなのよ!」
「そ、それはそうですけど…喫茶店として、仕事もきっちりしていただかないと」
「もー!プロデューサーさんはそればっかりなんだから!私も!ちゃんと歌いたいの!!」
「待て待て待て待て」

このままだとコーヒーがまた冷める。
ぐぐいと一気にコーヒーを飲み干して…ちょっと熱くて涙目になったが、それはさておき。
待ったをかけたジャラヒは、落ち着け、と2人を宥めた。
落ち着いてないのは花音の方なので、必然的に花音に向かい合う形にはなってしまうが。

「花音、おまえな。武羽さんはプロデューサーなんだろ?おまえをちゃんと歌わせたいに決まってるし、その準備もちゃんとしてる。な、武羽さん」
「え!?!?あ、はい。ええ、はい。はい。はい。そうです!」
「??…よくわからんが、こんなに頷いてるんだ。とてつもなく壮大な計画に違いない」
「……」
「プロデューサーさん…!私…」

何故だか少し青くなった導と、それを感動するように見上げる花音。
きっと、導はプレッシャーを感じているのだろう。
歌うことが大好きな花音に、それ相応の舞台を用意したいと。
その気持ちは、ジャラヒにもわかる。
だから、この信頼関係で繋がる2人に、少しだけ手助けが出来たらと思う。
ジャラヒに出来ることなんて、今となっては一緒に考えることくらいしか出来ないが。

「だからさ、花音も頑張ろうぜ!おれ、ちょっと調べたんだけどさ、アイドルって面白いな。おれの世界にはなかったんだけど。歌手だけど、歌うだけじゃないんだろ?」

歌手で、アイドル。
偶像なんて名乗る彼女に興味を覚えたので、周囲に聞いてみたところ。
資料をくれたのは、ジャラヒの仲間の1人にして、いけ好かない男だったのだが、それはさておき。
アイドルは、偶像である。
生き方であり、魅せ方であり、欲望であり、人間である。
歌だけではなく、全てを使って、人を勇気付けるのがアイドルだ。
アイドルは、希望の象徴である。
なんて、とてつもないことが書いてあり、ひっくり返りそうになったのだが、もう少し調べて…それから、花音と接するうちに、わかった。
アイドルを見てると勇気が貰える。
感動する。
花音は「歌」にこだわりを持っているようだが、職業としては、歌唱力よりも、親しみやすさと、そこから生まれる感動を重視される仕事らしい。
完璧なパフォーマンスでなくても、その一生懸命さで感動を生むのだという。
そんな発想は今までなかった。
アイドル。
これは、面白い。
ジャラヒの世界では、アイドルなんていない。
元々、歌や踊りや芸術なんて、慰みでしかない世界だ。
それに希望を見出し、演者に金を出し、支援していたジャラヒは、もし結果が出なければ、ワートン財閥の変わり者でしかなかっただろう。
楽団を囲い、劇場を建て、そこそこ事業を軌道に乗せたジャラヒは、ワートン財閥に芸術の扉を開いた。
もっとも、ジャラヒ自身は、胸を打つほどの演奏をすることも、歌うことも、絵を描くことも出来なかったので、やったことといえば、お金を出して場所を作っただけなのだけども。
そんなジャラヒの嗅覚が、アイドルという職業を、当たりだと告げている。
面白い。
とはいえ、今は金もコネもないジャラヒだ。
口しか出せないのであれば、本当は口を挟まない方が良いのだろうが。
ついワクワクしてしまうのだから仕方ない。

「歌もだけど、みんなに愛されて、応援される仕事がアイドルなんだろ?すげーじゃん花音」
「え、えっと…」
「愛されて、応援されて、頑張って、感動を与えるのがアイドル。だよな?」

ずずい、と詰め寄ると、きょとんとした花音も、ごくりと喉を鳴らして。
一呼吸置いて深呼吸したあと、大きく頷いた。

「そ、そうよ!それがアイドル!だから私、もっと歌いたいの!!」
「オッケー。じゃーアイドル。喫茶店のアイドル業務考えよーぜ」
「そう!歌…って、へ?アイドル業務?」

平然と頷いて、パチンと指を鳴らす。
悪戯を思いついたように笑ったジャラヒは、腕を組んで続けた。

「そ。せっかくアイドルのいる喫茶店なんだからさ、アイドルが作った飯とか、人気出るんじゃね?花音、料理しねーの?」
「お願いしてるんですけどね、彼女、苦手だそうで」
「だ、だって!料理とか、そんな…」
「オムライスとか、プリンとかは?」
「うう、ケチャップで文字書くのと、生クリーム乗っけるのは出来るわ…」
「そ、そこから始めよーぜ」

アイドルがケチャップで文字書いたオムライスとか、ありなのか…とぶつぶつ呟くジャラヒに、そういうの流行りなんで、アリかもですねと頷く導。そんなのが流行ってるなんて恐ろしい世界もあるもんだと慄きつつもそれはさておき。

「配膳も、パフォーマンスだと思ってさ」
「パフォーマンス?」
「ほら、歌うだけがアイドルじゃねーんだ。
アイドルが飯持ってきてくれるとか、感動するだろ?そこでケチャップ文字書いてもいいし、なんかあるだろ」
「なんかって…」
「それはアイドルが一番詳しいんじゃねーの?」

肝心な所で投げたジャラヒだが、花音はアイドル…パフォーマンス…と呟きながら、うんうん唸っている。

「…花音さん、握手会とか、サイン会、したいって言ってましたよね」

と、助け舟を出したのは導だった。

「歌まで歌われると、喫茶店の仕事が回りませんけど、握手くらいならいいんじゃないですか。話し込まなければ」
「そ、そうね!アイドルと握手が出来る喫茶店!ありだわ!ありがとうプロデューサーさん!!」
「サインは時間かかりますから、無しですけど」
「それは、ささっと書ける練習すればいいのよ!」

それは自信があるらしい。
胸を張った花音は、先ほどまで機嫌悪そうに導を見ていたことすら忘れたようだ。
ニコニコと、どんなサインにしようかとうきうきと弾んでいる。

「で、肝心の歌だが、花音」
「はいっ!」
「お前には酷かもしれないが、頼まれても歌うな」
「えっ!?」

酷かもしれないがと前置きをして、それでもあっさりと、ジャラヒは告げた。
それは、ジャラヒが彼女の中に見つけた矜持を否定することでもある。
だけど、ジャラヒは揺るがなかった。
演者が自分では選択できないそれを、選ばなければいけないのは、裏側の人間の仕事だ。
演者をサポートする人間が、演者の矜持を否定するとき、揺らいではいけない。
だからこそ、それをなんでもないようにあっさり告げてやる。
そんな、先ほどまで応援してくれていたはずのジャラヒからの歌うな宣言に、すぐに反応できず、花音の顔が明らかに戸惑う。

「でも、ジャラヒさん、歌うのがアイドルなんです」
「ああ。そうだ。だけど、もっとレア感が欲しいな」
「レア感??」
「いつでも頼まれてホイホイ歌ったら、お前の歌に特別感がなくなるだろ?」
「特別感…」
「歌が聴きたいなら、今度いついつ歌うから来てね、とか。何回来たら歌ってあげるとか、そういうの」
「でも…」

望まれてるのに、歌わないなんて…

そんな彼女の気持ちを。
プライドを。
しっかり飲み込んで。
それでもジャラヒは、同情もせず否定する。

「でも、花音はアイドルなんだろ?アイドルは、特別じゃなきゃだめだ。身近だけど、特別。いつもここに来れば会えるけど、一番花音が素敵な姿が見えるのは、特別な時だけって。そーいうレア感。
そうだな。
まあ、今みたいな客が1人しかいないってときは、『トクベツに』歌ってあげてもいいかもだけど。
それなら、客も喜ぶし、誰も困らないし、トクベツは守られる」

花音は。
それを聞いて、全て、納得したとは言えなかった。
望まれてるのに歌わないなんて、そんなのアイドルなんだろうか。
歌って!と頼まれて、否定するなんて、許されるのだろうか。
歌ってという笑顔を否定なんて、できっこない。
でも、全てに答えていつも歌っていたら、喫茶店の仕事にもならないのもわかっていた。
納得できない。でも…どうしたらいいのか。
そこで止まった頭の中を、ジャラヒの声が通る。
少し悪戯っぽい、その『トクベツ』
それだけは、なんだか少し、優しい言葉に聞こえて。

「…ええ。考えてみるわ」

ぽつりと頷く。
と、それを、はっと顔を上げた導が、意外そうに見つめた。
目を開いて、それから少し、眉を潜めて、その一瞬だけ見せたしかめっ面は、すぐに消えてしまったけど。

「そうですね、普段は給仕パフォーマンスとサインをプレゼント。トクベツな日はライブ。だったら、花音さんも喫茶店の仕事に集中出来るかもしれませんしね。トクベツな日のライブが良かったら、お客さんも増えるかもしれませんし」
「…他人事みたいに言ってるけど、考えるのは武羽さんだからな?」

なるほど、と頷く導に、さらっとジャラヒは釘を刺して、それから立ち上がった。

「悪ぃな、長居した。ライブ楽しみにしてっから。やるときは呼べよ?」
「え?いや、ありがとうございます。じゃなくて、ジャラヒさん?」

ごちそーさん。と金を武羽の手の平に置き、話がまだ終わってない2人の間をするりと通り抜けたジャラヒは、ヒラヒラと手を振って、店の扉を抜けた。
客が会計を終えて出て行ったというだけなのに、逃げられた感が強いのは何故だろう。

「…そろそろ、店仕舞いの時間ですか」

先に我に返ったのは導の方だ。
アイドルとは…とまだ考えている花音を横目に、扉の外のOPENをひっくり返し、CLOSEにする。
扉を閉めて、エプロンを脱いで、それから、座ったままの花音と目が合う。
なんとなく気まずくなって、逸らしたのも導の方が先だった。

「ジャラヒさん、凄い人だったわね」

口を開いたのは花音の方が先だったけれど。
応じて、導も苦笑する。

「ほんとに。そう言えば花音さん、ジャラヒさんにナンパされたんですっけ。花音さんに気があるんですかね、彼」
「何言ってるのよプロデューサーさん!ジャラヒさんに失礼だわ!」

特に悪意は無かったが、なんとなく言った言葉は、確かに感じが悪かったかもしれない。
ただ、アイドルを説くジャラヒと、それを素直に聞く花音が、少し不思議だっただけだ。少し不思議で、ちょっとだけ所在無かった。ジャラヒは何も悪くないこともわかっていたので、確かに失礼だったと、訂正しようと口を開く。
が、導の言葉は、続いた花音の言葉に消された。

「だって、ジャラヒさんロリコンだもの!」
「…え?」
「聞いた話によると、13歳の女の子が大好きなんですって!」
「は、はあ…」
「だから、私には興味はないの!安心してプロデューサーさん!アイドルにゴシップニュースはご法度!わかってるわ!」

自信満々に頷くところなのだろうか。
安心出来るところなのかもわからない。
ただ、人の良さそうな男の意外な性癖に慄くばかりだ。

「え、でも何で、そんな、ジャラヒさんは…」

自分でも何を聞いて良いのかわからなかったが、口をついた「何で」を、しっかり花音は把握したようで、にっこりと頷く。そして、秘密を明かすかのように、声を潜めた。

「ジャラヒさんは業界人なのよ」
「業界人」
「だからロリコンなの」
「だからロリコン」
「ほら、業界人にはロリコンとホモが多いっていうし」
「ロリコンとホモ」
「もしかしたらジャラヒさんもそうなのかも…」
「ジャラヒさんもホモ…?」
「だから、よろしくねプロデューサーさん!」

何をよろしくされたのか、ちっともよくわからない。
だけど、花音は今までより更にやる気を出したようで、えいえいおーと空に叫んでいる。
彼女はいつも全力。、いつだってアイドル。
前しか見ていない。
一方、プロデューサーさんなんて呼ばれているが、実のところ導は、にわかプロデューサー。でもってなんちゃってプロデューサー。
増してや、こんなファンタジーの世界では、にわかな導の知識なんて役にも立たず。業界人のジャラヒから見れば、ひよっこどころか、玉子にもいたってないに違いない。
とすると、これから、彼女に乗っかってプロデューサーさんで行くのであれば、あの業界人の力を借りるしかないわけで…

(よろしく…するしかないのか…)

頭を抱える導の、大きな誤解が解けるのは、もう少し後のことだった。





2016-10-19 : SS : コメント : 0 :
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赤雫物語サツヤ編2

赤雫☆激団。
一味が根城にしているのは、赤い屋根が特徴のこじんまりとした家。
一味6人のうち、期をめぐることに3人がこの家に滞在し、残りの3人は、別邸で寝泊りをすることになっている。
一応、朝昼夜のご飯時は、本邸のリビングに集合することにはなっていたが、6人がきちんと顔を合わせるのは夜ぐらいで、いつも各々マイペースに生活していた。
最初はサツヤも自分は一体どうすればいいのか途方にくれたものだったが、少したつとすぐ慣れた。
放っておいてくれるのはありがたい。
冷たい無関心とは違う、暖かな肯定だということは、サツヤにもわかっている。
歓迎の印にくれた指輪が、それをはっきりと教えてくれた。
放っているように見えながら、許容してくれている。
サツヤに宛がわれている部屋だって、本邸の方の一室で、隣の部屋はメイドのドロシーの部屋になっており、何かあると駆けつけてくれることになっていた。
とはいえ、部屋にこもるのもなんだか悪い気がして、なんとなく、サツヤは一味が顔を合わせるリビングルームに滞在することが多い。

だから、その日もサツヤはいつもどおり、リビングで紅茶をすすっていて。

「サーツヤくん!あーそびーましょ~!」
「え、あ、うん」

少女の明るい笑顔に、面食らっていた。

「えっと、リオちゃん、そんな大きな声出さなくても、聞こえるよ、近いし」

リビングにある6人がけのテーブル。台所に一番近い奥の席がドロシーの席。その横がダリアで、続いてロイ。
ロイの前がリオの席で、その隣がジャラヒ、そして隣のドロシーと向かい合わせの席がサツヤ。
今、リオは、サツヤの2つ隣の低位置に座っていた。
間のジャラヒは今は外出中。よって、誰も挟んでいないほぼ隣の席で、リオは元気よく手を振っていた。隣の部屋でも聞こえるくらい、大きな声で。

「サツヤくん。お誘いの作法なのよ?」
「そ、そう」

よくわからないが、彼女の作法なら仕方ないと納得するしかない。

リオディーラ。
10代前半の女の子。
なぜこんな幼い子がこの部隊に…と尋ねたら、彼女はジャラヒとロイの娘みたいなものだと、ダリアが教えてくれた。
ちょっと一瞬本気で触れないほうがいい関係なのかと思ったが、それを聞いていたロイが必死で訂正してくれたところによると、彼女は、この部隊を立ち上げた「リオディーラ」というリーダーの忘れ形見みたいなもので、ロイの魔力とジャラヒの世話で、ここまで育てたらしい。
聞いてもあまりよくわからなかったが、とにかく。
彼女は、この部隊の中で、特別可愛がられていることはわかった。
ジャラヒは、いつもはすました顔をしているが、リオのことになると、ハンカチ持ったか?忘れ物はないか?夕方までには帰って来いとか、母親みたいに口うるさい。ロイはあまり何も言わないが、リオが困った顔をしていると、一番最初にやってくるのは彼だ。
ダリアだって、リオとお人形遊びをやっているみたいだし、ドロシーは…みんなに同じように優しいけれど、リオのような子どもの扱いは、一番上手いようだった。

「あのね!あのね!おままごとしたいの!」

子どもとはいえ、あまりにも幼いその提案。
思わずきょとんとしてしまったが、にこにこと期待に満ち溢れて顔を輝かせているリオを見ると、サツヤも思わず笑ってしまう。

「いいよ。でも二人じゃ少なくないかな?」
「だいじょーぶ!みんなでやろーね!サツヤくんは、王さまね!」
「お、王様??」

突然思っても見なかった配役を与えられた。

「それでね!ドロシーちゃんがお后さまなのね!」
「へえ」
「ロイくんが魔王!」
「魔王」
「ダリアちゃんが魔女で~」
「魔女」
「でねでね!ジャラが王子さまなの!」
「??金髪だからかな…」

発表された配役は、どうやらファンタジーものらしい。
魔王やら魔女にされたロイやダリアには申し訳ないが、不思議と納得してしまった。ジャラヒが王子というのは疑問が残るが、確かに金髪といい、碧の目といい、いわゆる絵本の王子様然としていなくもない、ような気がしなくもなくもない。と、無理やり納得しておく。

「リオちゃんは?」

肝心の本人を問うと、リオはそこで、少し照れたように顔に手をやった。

「ワタシはね…おひめさま!」
「あ、可愛い。似合うよ。うん」

やっぱり女の子はお姫様だ。
おままごとでお姫様。とても可愛らしくてほほえましい。
これが男の子だったら、ヒーローごっこだろうか。
と、サツヤはふと幼い頃のことを思い出した。
サツヤがリオよりずっとずっと小さなころのこと。
幼稚園児の頃だ。
あの頃は、サツヤにだって、おままごとをする友人がいた。
サツヤはいつもすぐにやられる怪人役か、人質の役ばかり。
幼馴染である友人は、いつもなぜか悪の科学者役をやりたがって、兄がヒーロー役をやるのがいつもの配役だった。

(兄さんが、いつも、見たことないような必殺技、みせてくれたんだっけ)

毎回違った必殺技で怪人を倒す兄は、あの頃からサツヤの憧れだった。
悪の科学者役の幼馴染と、今のはどうやったのかと兄に詰め寄ったものだった。

(なつかしいな)


「じゃー、王さま!よろしくおねがいします!」
「あ、うん。よ、よろしく…」
「王様っぽく!」
「え、…こほん。よろしくたのむ、よ?」

応えたサツヤに、リオは少し不満げに何かを考えていたが、仕方ないと及第点をだしたのだろう。こくんと頷いて、サツヤの手を取った。

「王さま!お散歩ね!」




手を引かれて連れて行かれた先は、赤雫☆激団の裏庭。
日当たりのいい裏庭は、小さな野菜農園にもなっていて、地面から野菜の葉が姿を見せている。
そして、そののどかな農園の先に。

「魔王!」

のどかでない敬称をつけられた男が、剣を振るっていた。

「ん、ああ、リオか。サツヤも……て、魔王?」

剣を振る手を止めて、汗を拭いながら、一歩贈れてロイは首を傾げる。
それから、サツヤが王さまで、自分がお姫様なのだとリオが胸を張ると、ああ、と頷いて。

「えっと、おれが魔王役か。難しいな…イケニエでも要求すればいいのかな?」
「ドロシーちゃんが、晩御飯は焼肉だって言ってたよ!」
「なんてことだ。もう用意されていたとは…姫よ、その情報でこの魔王に何をさせたいと言うんだ」
「えっとね。ジャラどこにいるか知ってる?」
「うーんどうでもいいから知らないなあ。ドロシー…は買い物だっけ。そうだな、ダリアなら知ってるんじゃないか?」
「はーい!ありがとね!」
「ああ。サツヤをあまり困らせないようにな」

はーいともう一度元気よく返事をして、くるりと振り返ったリオは、拳を突き出した。

「魔王やっつけたー!」
「え?あ、うん。えっと、偉いね」

素振りを続けるロイにさよならを言って、リオはまた室内に入る。
そのまま洗面所で手洗いうがいをしたあと、タオルで拭きながら、サツヤにも綺麗なタオルを差し出した。
ありがとうと言って、サツヤもそれに倣う。
外から帰ってきたら手洗いうがいは重要だ。なんて、誰かがリオにしっかり教えたのだろう。それをリオは疑いもないようで、めんどくさがる素振りも見せなかった。

(いい子だな…)

少々幼いが、素直でいい子だ。
ここに来たばかりの新入りのサツヤにも、こうして遊びに誘ってくれる。きっと、いつも彼女はこうなのだろう。
みんなに愛され、いつもにこにこと幸せに過ごしている女の子。
サツヤだって、手を引かれていると、いつの間にか笑っている。
不思議な少女だ。




「だーちゃん!あそびましょー!」

ダリアの部屋の前で、リオは先ほどサツヤに呼びかけたのと同じように、朗らかに声をあげた。
ちょっと待って、という声のあと、扉が引かれる。

「リオ?どうしたの…あら、サツヤも」

黒い髪を伸ばした女性。冷ややかな眼差しは、初めて見たときから、サツヤを萎縮させる。
今も、ふっと投げられた視線に、ひやりとして、思わずびくりと体を振るわせたのだけど。

「何して遊ぶの?ごめんなさいねリオ、私、もう少ししたら出かけるのだけど…」
「おままごと!だーちゃんは魔女よ?」
「魔女、えっと」

配役を告げられたダリアは、困ったように眉を寄せる。

「出来るかしら、変身…。マジカルウィッチ・ブラックブロッサムに…」
「え、魔女っこ路線??」
「だーちゃんなら大丈夫だよ!最強の優しい魔女だもの!」
「そう、ありがとう」

思わず疑問符を浮かべたサツヤの声は聞こえなかったのだろう。ダリアは優しく微笑んでいる。
リオの配役を尋ね、お姫様と聞くと、ぴったりだわと頷く。それから、ダリアは鏡台の引き出しにごそごそと手を伸ばした後、目当てのものを見つけたのか、満足げに頷いて、優しい微笑みを浮かべながら、ダリアはリオの顔と向き合えるように腰を下ろした。

「少しじっとしてて」

ダリアはリオの頭に手を伸ばすと、器用にその髪に、リボンを飾り付ける。
髪を二つに分けて、先に縛った赤いリボン。
きょとんとしたリオに、にこりと笑って
「お姫様はかわいくしなくちゃ」
と、彼女の頭を撫でた。
リオはというと、そうっと恐る恐る頭に手をやり、いつもと違う頭の様子に不思議そうにした後、リボンに触って、それからまるで壊れ物にでも触ってしまったかのように手を離し、背筋をピンと伸ばした。

「だーちゃんすごい!さすが魔女ね!!」
「お姫様にだけ効く魔法よ」
「すごい!!」

目をきらきら輝かせて、くるりと回って、大きく飛び跳ねて。
体全体で喜ぶリオに、なんだか見ているサツヤまで嬉しくなってくる。

「よかったね。リオちゃん」
「うん!あのね、にあう?」
「うん。似合うよ。かわいい。お姫様みたいだ」

その返答に、赤くした顔に両手をやって、もじもじ照れ照れし、それから、ぱっと顔をあげた。

「王子さま!」
「??」
「み、見せにいくの!!」

王子様、と言われて一瞬考えてしまった。
おままごとをしているのだということと、彼女が言っていた配役を思い出して、ようやく思い当たる。

「ジャラヒなら出かけたけど、どうせ商店街にいるんじゃない?ドロシーがお米買いに行ってるって聞いて出て行ったから」

配役を聞いてないはずのダリアが、なぜかそれを言い当てた。
ジャラヒの名前なんて出してもいないのに、王子がジャラヒなんて、どうして出てきたのか。
もしかしたら彼女は本当に魔女なのかもしれない。

「リオのための王子なんて、アイツ以外誰がいるのよ。ねえ?」

まるでサツヤの心を読んだかのような返しで、ダリアが同意を求めると、リオは、ん、と頷いて、ねえ~!とニッコリ笑った。




さて。

「ぷりんーぷりんーぷりんせすー♪」

歌うリオと手をつないで、サツヤは商店街へと足を向けている。
先日財布を取られた教訓もあり、ポケットの財布にはチェーンもつけている。
はぐれないように、リオの手もぎゅっと握って。

「ぷりんはつよーい♪おひめさまー♪」
「わ、ま、待ってよリオちゃん」

リオに振り回されていた。

スキップしながらあっちへふらふらこっちへふらふら。
それにつられて、サツヤもふらつく。
それでもリオが本当に楽しそうなので、サツヤは悪い気はしなかった。
悪い気はしないどころか、申し訳ないくらい楽しく思っている。
兄も探さず、こんなところで楽しくしていて、いいのかなって罪悪感が胸をよぎるくらい。

(一体、兄さんは、どうしてるんだろう)


「サツヤくん!だいじょうぶだよ!」
「え?」
「ワタシね、ジャラのいるとこ、すぐわかるもん!」
「そ、そうなんだ。すごいね」
「だからね、サツヤくんもね、だいじょうぶ」

大丈夫と繰り返し言って、握った手をそのままに、リオは飛び跳ねる。

「だいすきな人のことは、どこにいたって、すぐわかるのよ」

絶対の掟なのだと。
当然のごとく笑って、顔を上げたリオは、ただ一点を指差した。

「ほら」




「・・・あ?なにやってんだよ」

指した先には青い空と、太陽の光を金に反射させて、かの人が、メイドを連れて立っていた。
ダリアが言っていたように、買い物の帰りなのだろう。市場の方からやってきたジャラヒは、重そうな包みを抱えている。その斜め後ろにいるドロシーは、少し申し訳なさそうにジャラヒを気にしていた。
荷物を抱えなおして、ジャラヒはリオに目線を合わせた。しゃがんで、首をかしげる。
彼に駆け寄ったリオは、ふふふと笑って、ジャラヒの手に自らの小さな手のひらを合わせて、それからその手を持ち上げた。

「つーかまーえた!」
「おにごっこ?」
「おままごとよ?」

まさか、自分が王子様役を割り当てられただなんて思いもよらないだろう。
合わせた手を握って、ジャラヒは首をかしげながら立ち上がった。・・・リオが警察で、おれが盗賊かなんかか・・・などと呟きながら、「捕まる前にお前をさらってやるー」「いいよー」などとやっている。
噛み合ってない様子が愉快で、サツヤも口の中で笑いながら、その後ろで優しく微笑んでいるドロシーを見た。
彼女も脇に荷物を抱えている。

「おままごとですか?」
「うん、ドロシーはお后さまだって」
「あらまあ」
「僕は王様らしくて・・・あ、ジャラヒさんは王子様」
「リオちゃんはお姫様ですか?」
「そうそう。よくわかったね」

長年一緒にいる彼らには、リオの配役は当然らしい。

「リオちゃんは、ジャラヒぼっちゃんが大好きですから」
「ああ・・・」

そこまで言われて、サツヤはようやく察した。
これはきっと、彼女にとっては、ただのおままごとじゃないのだ。
小さな彼女の、小さくて淡いもの。
サツヤには、そんな甘い気持ち、めぐり合えたこともないので、察することしかできないけれど。

「リオちゃん」

リオは、にこにこと笑い跳ねながら、ジャラヒの手を振り回していた。
一生懸命、頭をふりふりしているが、彼女の目的は遂げられてはいない。
王様には、お姫様に手助けをしなければいけないという役目があるのだった。
こほんと咳をして、ちらりとジャラヒを見る。
それだけで、ジャラヒが気がつくわけもなく・・・
サツヤも、こういった手助けが上手いわけもないのだけれど。

「今日のリオちゃん、とっても可愛いね」

わざとらしくそう言うと、リオはきょとんとしていたけれど。
隣の男はようやくそれに気がついたようで。
苦そうな顔をしながら、リオの髪についたリボンをそっと掬って。

「あー・・・リオ、ダリアにやってもらったのか?それ。似合うぞ」
「ふふふ。お姫様なのよ!」
「おー」

頭を撫でると、機嫌を良くしたリオに、ほっとしたように息をつく。
それからジャラヒはサツヤに目をやって、バツが悪そうな顔をしながら、負け惜しみのように言った。

「でも、今日のじゃなくて、リオはいつも可愛いんだよ。なー?」
「お姫様だから!」
「お姫様だもんなー」

そうリオに笑うもんだから、リオの機嫌は良くなるばかりだ。
少しやりすぎな感もあるが、リオが喜んでいるので良しとしよう。喜ばせすぎたことに、ちょっとだけ申し訳なさを感じるが。
リオは、ジャラヒの手を取り、うきうきと、スキップするように、元来た道をジャラヒに示す。
ジャラヒは、おうと頷いて、もう一度荷物を抱えなおしながら、ゆっくりと、リオに歩調を合わせた。

(よかった、のかな)

この部隊に入って間もないサツヤだって、リオの笑顔のためならと、絶えずあの子を気にしている一同の気持ちが、わかるようになっていた。
彼女が笑顔で、にこにこと、元気でいるのが、一番いい。
将来、彼女はもしかしたら、痛みを覚えるのかもしれないけれど。
それは今ではないもっとあとのこと。杞憂に限りなく近いただの心配だ。

「さすがですね、サツヤさん」
「え?」
「『今日の』って、わざとでしょう。ぼっちゃんがああ言えるように、隙を作って」
「え、えっと」

ぽつりと言ったドロシーに、サツヤは頷けなかった。
杞憂だと思えど、少しだけ残るしこり。
そう言われても、戸惑う他ない。
さすがと言われても、ばつの悪い思いが胸を締める。
だから、サツヤは曖昧に誤魔化して、リオたちの後に足を向ける。

「あ、ドロシーさん、行こうよ。晩御飯、作るんだよね。僕も手伝うよ」

ドロシーも頷いたのだろう。もう何も言わずに、足音だけがサツヤの後ろから聞こえてきた。

2016-09-03 : SS : コメント : 0 :
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